上 先生と私

 私は其人を常に先生と呼んでゐた。だから此處でもたゞ先生と書く丈で本名を打ち明けない。是は世間を憚かる遠慮といふよりも、其方が私に取つて自然だからである。私は其人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云ひたくなる。筆を執つても心持は同じ事である。餘所々々しい頭文字抔はとても使ふ氣にならない。

 私が先生と知り合になつたのは鎌倉である。其時私はまだ若々しい書生であつた。暑中休暇を利用して海水浴に行つた友達から是非來いといふ端書を受取つたので、私は多少の金を工面して、出掛る事にした。私は金の工面に二三日を費やした。所が私が鎌倉に着いて三日と經たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に國元から歸れといふ電報を受け取つた。電報には母が病氣だからと斷つてあつた。けれども友達はそれを信じなかつた。友達はかねてから國元にゐる親達に勸まない結婚を強ひられてゐた。彼は現代の習慣からいふと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の當人が氣に入らなかつた。夫で夏休みに當然歸るべき所を、わざと避けて東京の近くで遊んでゐたのである。彼は電報を私に見せて何うしやうと相談をした。私には何うして可いか分らなかつた。けれども實際彼の母が病氣であるとすれば彼は固より歸るべき筈であつた。それで彼はとう/\歸る事になつた。折角來た私は一人取り殘された。

 學校の授業が始まるにはまだ大分日數があるので、鎌倉に居つても可し、歸つても可いといふ境遇にゐた私は、當分元の宿に留まる覺悟をした。友達は中國のある資産家の息子で金に不自由のない男であつたけれども、學校が學校なのと年が年なので、生活の程度は私とさう變りもしなかつた。從つて一人坊ちになつた私は別に恰好な宿を探す面倒も有たなかつたのである。

 宿は鎌倉でも邊鄙な方角にあつた。玉突だのアイスクリームだのといふハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が屆かなかつた。車で行つても二十錢は取られた。けれども個人の別莊は其所此所にいくつでも建てられてゐた。それに海へは極近いので海水浴を遣るには至極便利な地位を占めてゐた。

 私は毎日海へ這入りに出掛けた。古い燻ぶり返つた藁葺の間を通り拔けて磯へ下りると、此邊にこれ程の都會人種が住んでゐるかと思ふ程、避暑に來た男や女で砂の上が動いてゐた。ある時は海の中が錢湯の樣に黒い頭でごちや/\してゐる事もあつた。其中に知つた人を一人も有たない私も、斯ういふ賑やかな景色の中に裹まれて砂の上に寐そべつて見たり、膝頭を波に打たして其所いらを跳ね廻るのは愉快であつた。

 私は實に先生を此雜沓の間に見付出したのである。其時海岸には掛茶屋が二軒あつた。私は不圖した機會から其一軒の方に行き慣れてゐた。長谷邊に大きな別莊を構へてゐる人と違つて、各自に專有の着換場を拵えてゐない此所いらの避暑客には、是非共斯うした共同着換所といつた風なものが必要なのであつた。彼等は此所で茶を飮み、此所で休息する外に、此所で海水着を洗濯させたり、此所で鹹はゆい身體を清めたり、此所へ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあつたので、私は海へ這入る度に其茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしてゐた。

 私が其掛茶屋で先生を見た時は、先生は丁度着物を脱いで是から海へ入らうとする所であつた。私は其時反對に濡れた身體を風に吹かして水から上つて來た。二人の間には目を遮ぎる幾多の黒い頭が動いてゐた。特別の事情のない限り、私は遂に先生を見逃したかも知れなかつた。それ程濱邊が混雜し、それ程私の頭が放漫であつたにも拘はらず、私がすぐ先生を見付出したのは、先生が一人西洋人を伴れてゐたからである。

 其西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。純粹の日本の浴衣を着てゐた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出した儘、腕組をして海の方を向いて立つてゐた。彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けてゐなかつた。私には夫が第一不思議だつた。私は其二日前に由井が濱迄行つて、砂の上にしやがみながら、長い間西洋人の海へ入る樣子を眺めてゐた。私の尻を卸した所は少し小高い丘の上で、其すぐ傍がホテルの裏口になつてゐたので、私の凝としてゐる間に、大分多くの男が鹽を浴びに出て來たが、いづれも胴と腕と股は出してゐなかつた。女は特更肉を隱し勝であつた。大抵は頭に護謨製の頭巾を被つて、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしてゐた。さういふ有樣を目撃した許の私の眼には、猿股一つで濟まして皆なの前に立つてゐる此西洋人が如何にも珍らしく見えた。

 彼はやがて自分の傍を顧りみて、其所にこゞんでゐる日本人に、一言二言何か云つた。其日本人は砂の上に落ちた手拭を拾ひ上げてゐる所であつたが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。其人が即ち先生であつた。

 私は單に好奇心の爲に、竝んで濱邊を下りて行く二人の後姿を見守つてゐた。すると彼等は眞直に波の中に足を踏み込んだ。さうして遠淺の磯近くにわい/\騒いでゐる多人數の間を通り拔けて、比較的廣々とした所へ來ると、二人とも泳ぎ出した。彼等の頭が小さく見える迄沖の方へ向いて行つた。夫から引き返して又一直線に濱邊迄戻つて來た。掛茶屋へ歸ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身體を拭いて着物を着て、さつさと何處へか行つて仕舞つた。

 彼等の出て行つた後、私は矢張元の床几に腰を卸して烟草を吹かしてゐた。其時私はぽかんとしながら先生の事を考へた。どうも何處かで見た事のある顏の樣に思はれてならなかつた。然し何うしても何時何處で會つた人か想ひ出せずに仕舞つた。

 其時の私は屈托がないといふより寧ろ無聊に苦しんでゐた。それで翌日も亦先生に會つた時刻を見計らつて、わざ/\掛茶屋迄出かけて見た。すると西洋人は來ないで先生一人麥藁帽を被つて遣つて來た。先生は眼鏡をとつて臺の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すた/\濱を下りて行つた。先生が昨日の樣に騒がしい浴客の中を通り拔けて、一人で泳ぎ出した時、私は急に其後が追ひ掛けたくなつた。私は淺い水を頭の上迄跳かして相當の深さの所迄來て其所から先生を目標に拔手を切つた。すると先生は昨日と違つて、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ歸り始めた。それで私の目的は遂に達せられなかつた。私が陸へ上つて雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入と、先生はもうちやんと着物を着て入違に外へ出て行つた。

私は次の日も同じ時刻に濱へ行つて先生の顏を見た。其次の日にも亦同じ事を繰り返した。けれども物を云ひ掛ける機會も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかつた。其上先生の態度は寧ろ非社交的であつた。一定の時刻に超然として來て、また超然と歸つて行つた。周圍がいくら賑やかでも、それには殆んど注意を拂ふ樣子が見えなかつた。最初一所に來た西洋人は其後丸で姿を見せなかつた。先生はいつでも一人であつた。

或時先生が例の通りさつさと海から上つて來て、いつもの場所に脱ぎ棄てた浴衣を着やうとすると、何うした譯か、其浴衣に砂が一杯着いてゐた。先生はそれを落すために、後向になつて、浴衣を二三度振つた。すると着物の下に置いてあつた眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。先生は白絣の上へ兵兒帶を締めてから、眼鏡の失くなつたのに氣が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛の下へ首と手を突ツ込んで眼鏡を拾ひ出した。先生は有難うと云つて、それを私の手から受取つた。

次の日私は先生の後につゞいて海へ飛び込んだ。さうして先生と一所の方角に泳いで行つた。二丁程沖へ出ると、先生は後を振り返つて私に話し掛けた。廣い蒼い海の表面に浮いてゐるものは、其近所に私等二人より外になかつた。さうして強い太陽の光が、眼の屆く限り水と山とを照らしてゐた。私は自由と歡喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂つた。先生は又ぱたりと手足の運動を已めて仰向になつた儘浪の上に寐た。私も其眞似をした。青空の色がぎら/\と眼を射るやうに痛烈な色を私の顏に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな聲を出した。

しばらくして海の中で起き上がる樣に姿勢を改めた先生は、「もう歸りませんか」と云つて私を促がした。比較的強い體質を有つた私は、もつと海の中で遊んでゐたかつた。然し先生から誘はれた時、私はすぐ「えゝ歸りませう」と快よく答へた。さうして二人で又元の路を濱邊へ引き返した。

私は是から先生と懇意になつた。然し先生が何處にゐるかは未だ知らなかつた。

夫から中二日置いて丁度三日目の午後だつたと思ふ。先生と掛茶屋で出會つた時、先生は突然私に向つて、「君はまだ大分長く此所に居る積ですか」と聞いた。考へのない私は斯ういふ問に答へる丈の用意を頭の中に蓄えてゐなかつた。それで「何うだか分りません」と答へた。然しにやにや笑つてゐる先生の顏を見た時、私は急に極りが惡くなつた。「先生は?」と聞き返さずにはゐられなかつた。是が私の口を出た先生といふ言葉の始りである。

私は其晩先生の宿を尋ねた。宿と云つても普通の旅館と違つて、廣い寺の境内にある別莊のやうな建物であつた。其所に住んでゐる人の先生の家族でない事も解つた。私が先生々々と呼び掛けるので、先生は苦笑ひをした。私はそれが年長者に對する私の口癖だと云つて辯解した。私は此間の西洋人の事を聞いて見た。先生は彼の風變りの所や、もう鎌倉にゐない事や、色々の話をした末、日本人にさへあまり交際を有たないのに、さういふ外國人と近付になつたのは不思議だと云つたりした。私は最後に先生に向つて、何處かで先生を見たやうに思ふけれども、何うしても思ひ出せないと云つた。若い私は其時暗に相手も私と同じ樣な感じを有つてゐはしまいかと疑つた。さうして腹の中で先生の返事を豫期してかゝつた。所が先生はしばらく沈吟したあとで、「何うも君の顏には見覺がありませんね。人違ぢやないですか」と云つたので私は變に一種の失望を感じた。

私は月の末に東京へ歸つた。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずつと前であつた。私は先生と別れる時に、「是から折々御宅へ伺つても宜ござんすか」と聞いた。先生は單簡にたゞ「ええ入らつしやい」と云つた丈であつた。其時分の私は先生と餘程懇意になつた積でゐたので、先生からもう少し濃かな言葉を豫期して掛つたのである。それで此物足りない返事が少し私の自信を傷めた。

私は斯ういふ事でよく先生から失望させられた。先生はそれに氣が付いてゐる樣でもあり、又全く氣が付かない樣でもあつた。私は又輕微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く氣にはなれなかつた。寧ろそれとは反對で、不安に搖かされる度に、もつと前へ進みたくなつた。もつと前へ進めば、私の豫期するあるものが、何時か眼の前に滿足に現はれて來るだらうと思つた。私は若かつた。けれども凡ての人間に對して、若い血が斯う素直に働かうとは思はなかつた。私は何故先生に對して丈斯んな心持が起るのか解らなかつた。それが先生の亡くなつた今日になつて、始めて解つて來た。先生は始めから私を嫌つてゐたのではなかつたのである。先生が私に示した時々の素氣ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠けやうとする不快の表現ではなかつたのである。傷ましい先生は、自分に近づかうとする人間に、近づく程の價値のないものだから止せといふ警告を與へたのである。他の懷かしみに應じない先生は、他を輕蔑する前に、まづ自分を輕蔑してゐたものと見える。

私は無論先生を訪ねる積で東京へ歸つて來た。歸つてから授業の始まる迄にはまだ二週間の日數があるので、其うちに一度行つて置かうと思つた。然し歸つて二日三日と經つうちに、鎌倉に居た時の氣分が段々薄くなつて來た。さうして其上に彩られる大都會の空氣が、記憶の復活に伴ふ強い刺激と共に、濃く私の心を染め付けた。私は往來で學生の顏を見るたびに新らしい學年に對する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。

授業が始まつて、一ヶ月ばかりすると私の心に、又一種の弛みが出來てきた。私は何だか不足な顏をして往來を歩き始めた。物欲しさうに自分の室の中を見廻した。私の頭には再び先生の顏が浮いて出た。私は又先生に會ひたくなつた。

始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であつた。二度目に行つたのは次の日曜だと覺えてゐる。晴れた空が身に沁み込むやうに感ぜられる好い日和であつた。其日も先生は留守であつた。鎌倉にゐた時、私は先生自身の口から、何時でも大抵宅にゐるといふ事を聞いた。寧ろ外出嫌ひだといふ事も聞いた。二度來て二度とも會へなかつた私は、其言葉を思ひ出して、理由もない不滿を何處かに感じた。私はすぐ玄關先を去らなかつた。下女の顏を見て少し躊躇して其所に立つてゐた。此前名刺を取次いだ記憶のある下女は、私を待たして置いて又内へ這入つた。すると奧さんらしい人が代つて出て來た。美くしい奧さんであつた。

私は其人から鄭寧に先生の出先を教へられた。先生は例月其日になると雜司ヶ谷の墓地にある或佛へ花を手向けに行く習慣なのださうである。「たつた今出た許りで、十分になるか、ならないかで御座います」と奧さんは氣の毒さうに云つて呉れた。私は會釋して外へ出た。賑かな町の方へ一丁程歩くと、私も散歩がてら雜司ヶ谷へ行つて見る氣になつた。先生に會へるか會へないかといふ好奇心も動いた。夫ですぐ踵を囘らした。

私は墓地の手前にある苗畠の左側から這入つて、兩方に楓を植ゑ付けた廣い道を奧の方へ進んで行つた。すると其端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て來た。私は其人の眼鏡の縁が日に光る迄近く寄つて行つた。さうして出拔けに「先生」と大きな聲を掛けた。先生は突然立ち留まつて私の顏を見た。

「何うして‥‥、何うして‥‥」

先生は同じ言葉を二遍繰り返した。其言葉は森閑とした晝の中に異樣な調子をもつて繰り返された。私は急に何とも應へられなくなつた。

「私の後を跟けて來たのですか。何うして‥‥」

先生の態度は寧ろ落付いてゐた。聲は寧ろ沈んでゐた。けれども其表情の中には判然云へない樣な一種の曇があつた。

私は私が何うして此所へ來たかを先生に話した。

 「誰の墓へ參りに行つたか、妻が其人の名を云ひましたか」

 「いゝえ、其んな事は何も仰しやいません」

 「さうですか。――さう、夫は云ふ筈がありませんね、始めて會つた貴方に。いふ必要がないんだから」

 先生は漸く得心したらしい樣子であつた。然し私には其意味が丸で解らなかつた。

 先生と私は通へ出やうとして墓の前を拔けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのといふ傍に、一切衆生悉有佛生と書いた塔婆などが建てゝあつた。全權公使何々といふのもあつた。私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「是は何と讀むんでせう」と先生に聞いた。「アンドレとでも讀ませる積でせうね」と云つて先生は苦笑した。

先生は是等の墓標が現はす人種々の樣式に對して、私程に滑稽もアイロニーも認めてないらしかつた。私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりに彼是云ひたがるのを、始めのうちは默つて聞いてゐたが、仕舞に「貴方は死といふ事實をまだ眞面目に考へた事がありませんね」と云つた。私は默つた。先生もそれぎり何とも云はなくなつた。

墓地の區切り目に、大きな銀杏が一本空を隱すやうに立つてゐた。其下へ來た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。此木がすつかり黄葉して、こゝいらの地面は金色の落葉で埋まるやうになります」と云つた。先生は月に一度づゝは必ず此木の下を通るのであつた。

向ふの方で凸凹の地面をならして新墓地を作つてゐる男が、鍬の手を休めて私達を見てゐた。私達は其所から左へ切れてすぐ街道へ出た。

是から何處へ行くといふ目的のない私は、たゞ先生の歩く方へ歩いて行つた。先生は何時もより口數を利かなかつた。それでも私は左程の窮窟を感じなかつたので、ぶら/\一所に歩いて行つた。

「すぐ御宅へ御歸りですか」

「えゝ別に寄る所もありませんから」

二人は又默つて南の方へ坂を下りた。

「先生の御宅の墓地はあすこにあるんですか」と私が又口を利き出した。

「いゝえ」

「何方の御墓があるんですか。――御親類の御墓ですか」

「いゝえ」

先生は是以外に何も答へなかつた。私も其話はそれぎりにして切り上げた。すると一町程歩いた後で、先生が不意に其所へ戻つて來た。

「あすこには私の友達の墓があるんです」

「御友達の御墓へ毎月御參りをなさるんですか」

「さうです」

先生は其日是以外を語らなかつた。

私はそれから時々先生を訪問するやうになつた。行くたびに先生は在宅であつた。先生に會ふ度數が重なるに伴れて、私は益繁く先生の玄關へ足を運んだ。

けれども先生の私に對する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になつた其後も、あまり變りはなかつた。先生は何時も靜であつた。ある時は靜過ぎて淋しい位であつた。私は最初から先生には近づき難い不思議があるやうに思つてゐた。それでゐて、何うしても近づかなければ居られないといふ感じが、何處かに強く働らいた。斯ういふ感じを先生に對して有つてゐたものは、多くの人のうちで或は私だけかも知れない。然し其私丈には此直感が後になつて事實の上に證據立てられたのだから、私は若々しいと云はれても、馬鹿氣てゐると笑はれても、それを見越した自分の直覺を、とにかく頼もしく又嬉しく思つてゐる。人間を愛し得る人、愛せずにはゐられない人、それでゐて自分の懷に入らうとするものを、手をひろげて抱き締める事の出來ない人、――是が先生であつた。

今云つた通り先生は始終靜かであつた。落付いてゐた。けれども時として變な曇りが其顏を横切る事があつた。窓に黒い鳥影が射すやうに。射すかと思ふと、すぐ消えるには消えたが。私が始めて其曇りを先生の眉間に認めたのは、雜司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であつた。私は其異樣の瞬間に、今迄快よく流れてゐた心臟の潮流を一寸鈍らせた。然しそれは單に一時の結滯に過ぎなかつた。私の心は五分と經たないうちに平素の彈力を囘復した。私はそれぎり暗さうなこの雲の影を忘れてしまつた。ゆくりなくまた夫を思ひ出させられたのは、小春の盡きるに間のない或る晩の事であつた。

先生と話してゐた私は、不圖先生がわざ/\注意して呉れた銀杏の大樹を眼の前に想ひ浮べた。勘定して見ると、先生が毎月例として墓參に行く日が、それから丁度三日目に當つてゐた。其三日目は私の課業が午で終る樂な日であつた。私は先生に向つて斯う云つた。

「先生雜司ヶ谷の銀杏はもう散つて仕舞つたでせうか」

「まだ空坊主にはならないでせう」

先生はさう答へながら私の顏を見守つた。さうして其所からしばし眼を離さなかつた。私はすぐ云つた。

「今度御墓參りに入らつしやる時に御伴をしても宜ござんすか。私は先生と一所に彼所いらが散歩して見たい」

「私は墓參りに行くんで、散歩に行くんぢやないですよ」

「然し序でに散歩をなすつたら丁度好いぢやありませんか」

先生は何とも答へなかつた。しばらくしてから、「私のは本當の墓參り丈なんだから」と云つて、何處迄も墓參と散歩を切り離さうとする風に見えた。私と行きたくない口實だか何だか、私には其時の先生が、如何にも子供らしくて變に思はれた。私はなほと先へ出る氣になつた。

「ぢや御墓參りでも好いから一所に伴れて行つて下さい。私も御墓參りをしますから」

實際私には墓參と散歩との區別が殆んど無意味のやうに思はれたのである。すると先生の眉がちよつと曇つた。眼のうちにも異樣の光が出た。それは迷惑とも嫌惡とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであつた。私は忽ち雜司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思ひ起した。二つの表情は全く同じだつたのである。

「私は」と先生が云つた。「私はあなたに話す事の出來ないある理由があつて、他と一所にあすこへ墓參りには行きたくないのです。自分の妻さへまだ伴れて行つた事がないのです」

私は不思議に思つた。然し私は先生を研究する氣で其宅へ出入りをするのではなかつた。私はたゞ其儘にして打過ぎた。今考へると其時の私の態度は、私の生活のうちで寧ろ尊むべきものゝ一つであつた。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際が出來たのだと思ふ。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向つて、研究的に働らき掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなく其時ふつりと切れて仕舞つたらう。若い私は全く自分の態度を自覺してゐなかつた。それだから尊いのかも知れないが、もし間違へて裏へ出たとしたら、何んな結果が二人の仲に落ちて來たらう。私は想像してもぞつとする。先生はそれでなくても、冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れてゐたのである。

私は月に二度若くは三度づゝ必ず先生の宅へ行くやうになつた。私の足が段々繁くなつた時のある日、先生は突然私に向つて聞いた。

「あなたは何でさう度々私のやうなものの宅へ遣つて來るのですか」

「何でと云つて、そんな特別な意味はありません。――然し御邪魔なんですか」

「邪魔だとは云ひません」

成程迷惑といふ樣子は、先生の何處にも見えなかつた。私は先生の交際の範圍の極めて狹い事を知つてゐた。先生の元の同級生などで、其頃東京に居るものは殆んど二人か三人しかないといふ事も知つてゐた。先生と同郷の學生などには時たま座敷で同座する場合もあつたが、彼等のいづれもは皆な私程先生に親しみを有つてゐないやうに見受けられた。

「私は淋しい人間です」と先生が云つた。「だから貴方の來て下さる事を喜こんでゐます。だから何故さう度々來るのかと云つて聞いたのです」

「そりや又何故です」

私が斯う聞き返した時、先生は何とも答へなかつた。たゞ私の顏を見て「あなたは幾歳ですか」と云つた。

此問答は私に取つて頗る不得要領のものであつたが、私は其時底迄押さずに歸つて仕舞つた。しかも夫から四日と經たないうちに又先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否や笑ひ出した。

「又來ましたね」と云つた。

「えゝ來ました」と云つて自分も笑つた。

私は外の人から斯う云はれたら屹度癪に觸つたらうと思ふ。然し先生に斯う云はれた時は、丸で反對であつた。癪に觸らない許でなく却つて愉快だつた。

「私は淋しい人間です」と先生は其晩又此間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間ぢやないですか、私は淋しくつても年を取つてゐるから、動かずにゐられるが、若いあなたは左右は行かないのでせう。動ける丈動きたいのでせう。動いて何かに打つかりたいのでせう。‥‥」

「私はちつとも淋しくはありません」

「若いうち程淋しいものはありません。そんなら何故貴方はさう度々私の宅へ來るのですか」

此所でも此間の言葉が又先生の口から繰り返された。

「あなたは私に會つても恐らくまだ淋しい氣が何處かでしてゐるでせう。私にはあなたの爲に其淋しさを根本から引き拔いて上げる丈の力がないんだから。貴方は外の方を向いて今に手を廣げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」

先生は斯う云つて淋しい笑ひ方をした。

幸にして先生の豫言は實現されずに濟んだ。經驗のない當時の私は、此豫言の中に含まれてゐる明白な意義さへ了解し得なかつた。私は依然として先生に會ひに行つた。其内いつの間にか先生の食卓で飯を食ふやうになつた。自然の結果奧さんとも口を利かなければならないやうになつた。

普通の人間として私は女に對して冷淡ではなかつた。けれども年の若い私の今迄經過して來た境遇からいつて、私は殆んど交際らしい交際を女に結んだ事がなかつた。それが源因か何うかは疑問だが、私の興味は往來で出合ふ知りもしない女に向つて多く働く丈であつた。先生の奧さんには其前玄關で會つた時、美くしいといふ印象を受けた。それから會ふたんびに同じ印象を受けない事はなかつた。然しそれ以外に私は是と云つてとくに奧さんに就いて語るべき何物も有たないやうな氣がした。

是は奧さんに特色がないと云ふよりも、特色を示す機會が來なかつたのだと解釋する方が正當かも知れない。然し私はいつでも先生に付屬した一部分の樣な心持で奧さんに對してゐた。奧さんも自分の夫の所へ來る書生だからといふ好意で、私を遇してゐたらしい。だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばら/\になつてゐた。それで始めて知り合になつた時の奧さんに就いては、たゞ美くしいといふ外に何の感じも殘つてゐない。

ある時私は先生の宅で酒を飮まされた。其時奧さんが出て來て傍で酌をして呉れた。先生はいつもより愉快さうに見えた。奧さんに「御前も一つ御上り」と云つて、自分の呑み干した盃を差した。奧さんは「私は‥‥」と辭退しかけた後、迷惑さうにそれを受取つた。奧さんは綺麗な眉を寄せて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持つて行つた。奧さんと先生の間に下のやうな會話が始まつた。

「珍らしい事。私に呑めと仰しやつた事は滅多にないのにね」

「御前は嫌だからさ。然し稀には飮むといゝよ。好い心持になるよ」

「些ともならないわ。苦しいぎりで。でも貴夫は大變御愉快さうね、少し御酒を召上ると」

「時によると大變愉快になる。然し何時でもといふ譯には行かない」

「今夜は如何です」

「今夜は好い心持だね」

「是から毎晩少しづゝ召上ると宜ござんすよ」

「左右は行かない」

「召上がつて下さいよ。其方が淋しくなくつて好いから」

先生の宅は夫婦と下女だけであつた。行くたびに大抵はひそりとしてゐた。高い笑ひ聲などの聞こえた試は丸でなかつた。或時は宅の中にゐるものは先生と私だけのやうな氣がした。

「子供でもあると好いんですがね」と奧さんは私の方を向いて云つた。私は「左右ですな」と答へた。然し私の心には何の同情も起らなかつた。子供を持つた事のない其時の私は、子供をただ蒼蠅いものゝ樣に考へてゐた。

「一人貰つて遣らうか」と先生が云つた。

「貰ッ子ぢや、ねえあなた」と奧さんは又私の方を向いた。

「子供は何時迄經つたつて出來つこないよ」と先生が云つた。

奧さんは默つてゐた [1]「何故です」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」と云つて高く笑つた。

[1] Gendai Nihon Bungaku Taikei (Tokyo: Chikuma Shobo, 1970, vol.18; hereafter as GNBT) has 。at this point.

 私の知る限り先生と奧さんとは、仲の好い夫婦の一對であつた。家庭の一員として暮らした事のない私のことだから、深い消息は無論解らなかつたけれども、座敷で私と對坐してゐる時、先生は何かの序に、下女を呼ばないで、奧さんを呼ぶ事があつた。(奧さんの名は [2]靜いつた)先生は「おい靜」と何時でも襖の方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て來る奧さんの樣子も甚だ素直であつた。ときたま御馳走になつて、奧さんが席へ現はれる場合抔には、此關係が一層明らかに二人の間に描き出される樣であつた。

先生は時々奧さんを伴れて、音樂會だの芝居だのに行つた。夫から夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二三度以上あつた。私は箱根から貰つた繪端書をまだ持つてゐる。日光へ行つた時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰つた。

當時の私の眼に映つた先生と奧さんの間柄はまづ斯んなものであつた。そのうちにたつた一つの例外があつた。ある日私が何時もの通り、先生の玄關から案内を頼まうとすると、座敷の方で誰かの話し聲がした。能く聞くと、それが尋常の談話ではなくつて、どうも言逆ひらしかつた。先生の宅は玄關の次がすぐ座敷になつてゐるので、格子の前に立つてゐた私の耳に其言逆ひの調子丈は略分つた。さうして其うちの一人が先生だといふ事も、時々高まつて來る男の方の聲で解つた。相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかつたが、何うも奧さんらしく感ぜられた [3]泣いてゐる樣でもあつた。私はどうしたものだらうと思つて玄關先で迷つたが、すぐ決心をして其儘下宿へ歸つた。

妙に不安な心持が私を襲つて來た。私は書物を讀んでも呑み込む能力を失つて仕舞つた。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ來て私の名を呼んだ。私は驚ろいて窓を開けた。先生は散歩しやうと云つて、下から私を誘つた。先刻帶の間へ包んだ儘の時計を出して見ると、もう八時過であつた。私は歸つたなりまだ袴を着けてゐた。私は夫なりすぐ表へ出た。

其晩私は先生と一所に麥酒を飮んだ。先生は元來酒量に乏しい人であつた。ある程度迄飮んで、それで醉へなければ、醉ふ迄飮んで見るといふ冒險の出來ない人であつた。

「今日は駄目です」と云つて先生は苦笑した。

「愉快になれませんか」と私は氣の毒さうに聞いた。

私の腹の中には始終先刻の事が引つ懸つてゐた。肴の骨が咽喉に刺さつた時の樣に、私は苦しんだ。打ち明けて見やうかと考へたり、止した方が好からうかと思ひ直したりする動搖が、妙に私の樣子をそは/\させた。

「君、今夜は何うかしてゐますね」と先生の方から云ひ出した。「實は私も少し變なのですよ。君に分りますか」

私は何の答もし得なかつた。

「實は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神經を昂奮させて仕舞つたんです」と先生が又云つた。

「何うして‥‥」

私には喧嘩といふ言葉が口へ出て來なかつた。

「妻が私を誤解するのです。それを誤解だと云つて聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」

「何んなに先生を誤解なさるんですか」

先生は私の此問に答へやうとはしなかつた。

「妻が考へてゐるやうな人間なら、私だつて斯んなに苦しんでゐやしない」

先生が何んなに苦しんでゐるか、是も私には想像の及ばない問題であつた。

[2] GNBT reads 靜といつた.

[3] GNBT has 。at this point.

二人が歸るとき歩きながらの沈默が一丁も二丁もつゞいた。其後で突然先生が口を利き出した。

「惡い事をした。怒つて出たから妻は嘸心配をしてゐるだらう。考へると女は可哀さうなものですね。私の妻などは私より外に丸で頼りにするものがないんだから」

先生の言葉は一寸其所で途切れたが、別に私の返事を期待する樣子もなく、すぐ其續きへ移つて行つた。

「さう云ふと、夫の方は如何にも心丈夫の樣で少し滑稽だが。君、私は君の眼に何う映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」

「中位に見えます」と私は答へた。此答は先生に取つて少し案外らしかつた。先生は又口を閉ぢて、無言で歩き出した。

先生の宅へ歸るには私の下宿のつい傍を通るのが順路であつた。私は其所迄來て、曲り角で分れるのが先生に濟まない樣な氣がした。「序に御宅の前まで御伴しませうか」と云つた。先生は忽ち手で私を遮ぎつた。

「もう遲いから早く歸り玉へ。私も歸つて遣るんだから、妻君の爲に」

先生が最後に付け加へた「妻君の爲に」といふ言葉は妙に其時の私の心を暖かにした。私は其言葉のために、歸つてから安心して寐る事が出來た。私は其後も長い間此「妻君の爲に」といふ言葉を忘れなかつた。

先生と奧さんの間に起つた波瀾が、大したものでない事は是でも解つた。それが又滅多に起る現象でなかつた事も、其後絶えず出入をして來た私には略推察が出來た。それ所か先生はある時斯んな感想すら私に洩らした。

「私は世の中で女といふものをたつた一人しか知らない。妻以外の女は殆んど女として私に訴へないのです。妻の方でも、私を天下にたゞ一人しかない男と思つて呉れてゐます。さういふ意味から云つて、 [4]私々は最も幸福に生れた人間の一對であるべき筈です」

私は今前後の行き掛りを忘れて仕舞たから、先生が何の爲に斯んな自白を私に爲て聞かせたのか、判然云ふ事が出來ない。けれども先生の態度の眞面目であつたのと、調子の沈んでゐたのとは、今だに記憶に殘つてゐる。其時たゞ私の耳に異樣に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一對であるべき筈です」といふ最後の一句であつた。先生は何故幸福な人間と云ひ切らないで、あるべき筈であると斷わつたのか。私にはそれ丈が不審であつた。ことに其所へ一種の力を入れた先生の語氣が不審であつた。先生は事實果して幸福なのだらうか、又幸福であるべき筈でありながら、それ程幸福でないのだらうか。私は心の中で疑ぐらざるを得なかつた。けれども其疑ひは一時限り何處かへ葬むられて仕舞つた。

私は其うち先生の留守に行つて、奧さんと二人差向ひで話をする機會に出合つた。先生は其日横濱を出帆する汽船に乘つて外國へ行くべき友人を新橋へ送りに行つて留守であつた。横濱から船に乘る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのは其頃の習慣であつた。私はある書物に就いて先生に話して貰ふ必要があつたので、豫じめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行は前日わざ/\告別に來た友人に對する禮義として其日突然起つた出來事であつた。先生はすぐ歸るから留守でも私に待つてゐるやうにと云ひ殘して行つた。それで私は座敷へ上つて、先生を待つ間、奧さんと話をした。

[4] GNBT reads 私達は.

十一

其時の私は既に大學生であつた。始めて先生の宅へ來た頃から見るとずつと成人した氣でゐた。奧さんとも大分懇意になつた後であつた。私は奧さんに對して何の窮屈も感じなかつた。差向ひで色々の話をした。然しそれは特色のない唯の談話だから、今では丸で忘れて仕舞つた。そのうちでたつた一つ私の耳に留まつたものがある。然しそれを話す前に、一寸斷つて置きたい事がある。

先生は大學出身であつた。是は始めから私に知れてゐた。然し先生の何もしないで遊んでゐるといふ事は、東京へ歸つて少し經つてから始めて分つた。私は其時何うして遊んでゐられるのかと思つた。

先生は丸で世間に名前を知られてゐない人であつた。だから先生の學問や思想に就ては、先生と密接の關係を有つてゐる私より外に敬意を拂ふもののあるべき筈がなかつた。それを私は常に惜い事だと云つた。先生は又「私のやうなものが世の中へ出て、口を利いては濟まない」と答へるぎりで、取り合はなかつた。私には其答が謙遜過ぎて却つて世間を冷評する樣にも聞こえた。實際先生は時々昔しの同級生で今著名になつてゐる誰彼を捉へて、ひどく無遠慮な批評を加へる事があつた。それで私は露骨に其矛盾を擧げて云々して見た。私の精神は反抗の意味といふよりも、世間が先生を知らないで平氣でゐるのが殘念だつたからである。其時先生は沈んだ調子で、「何うしても私は世間に向つて働らき掛ける資格のない男だから仕方がありません」と云つた。先生の顏には深い一種の表情があり/\と刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解らなかつたけれども、何しろ二の句の繼げない程に強いものだつたので、私はそれぎり何もいふ勇氣が出なかつた。

私が奧さんと話してゐる間に、問題が自然先生の事から其所へ落ちて來た。

「先生は何故あゝやつて、宅で考へたり勉強したりなさる丈で、世の中へ出て仕事をなさらないんでせう」

「あの人は駄目ですよ。さういふ事が嫌なんですから」

「つまり下らない事だと悟つてゐらつしやるんでせうか」

「悟るの悟らないのつて、――そりや女だからわたくしには解りませんけれど、恐らくそんな意味ぢやないでせう。矢つ張り何か遣りたいのでせう。それでゐて出來ないんです。だから氣の毒ですわ」

「然し先生は健康からいつて、別に何處も惡い所はない樣ぢやありませんか」

「丈夫ですとも。何にも持病はありません」

「それで何故活動が出來ないんでせう」

「それが解らないのよ、あなた。それが解る位なら私だつて、こんなに心配しやしません。わからないから氣の毒でたまらないんです」

奧さんの語氣には非常に同情があつた。それでも口元丈には微笑が見えた。外側から云へば、私の方が寧ろ眞面目だつた。私は六づかしい顏をして默つてゐた。すると奧さんが急に思ひ出した樣に又口を開いた。

「若い時はあんな人ぢやなかつたんですよ。若い時は丸で違つてゐました。それが全く變つて仕舞つたんです」

「若い時つて何時頃ですか」と私が聞いた。

「書生時代よ」

「書生時代から先生を知つてゐらつしやつたんですか」

奧さんは急に薄赤い顏をした。

十二

奧さんは東京の人であつた。それは甞て先生からも奧さん自身からも聞いて知つてゐた。奧さんは「本當いふと合の子なんですよ」と云つた。奧さんの父親はたしか鳥取か何處かの出であるのに、御母さんの方はまだ江戸といつた時分の市ヶ谷で生れた女なので、奧さんは冗談半分さう云つたのである。所が先生は全く方角違の新潟縣人であつた。だから奧さんがもし先生の書生時代を知つてゐるとすれば、郷里の關係からでない事は明らかであつた。然し薄赤い顏をした奧さんはそれより以上の話をしたくない樣だつたので、私の方でも深くは聞かずに置いた。

先生と知合になつてから先生の亡くなる迄に、私は隨分色々の問題で先生の思想や情操に觸れて見たが、結婚當時の状況に就いては、殆んど何ものも聞き得なかつた。私は時によると、それを善意に解釋しても見た。年輩の先生の事だから、艶めかしい囘想などを若いものに聞かせるのはわざと愼んでゐるのだらうと思つた。時によると、又それを惡くも取つた。先生に限らず、奧さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、さういふ艶つぽい問題になると、正直に自分を開放する丈の勇氣がないのだらうと考へた。尤も何方も推測に過ぎなかつた。さうして何方の推測の裏にも、二人の結婚の奧に横たはる花やかなロマンスの存在を假定してゐた。

私の假定は果して誤らなかつた。けれども私はたゞ戀の半面丈を想像に描き得たに過ぎなかつた。先生は美くしい戀愛の裏に、恐ろしい悲劇を持つてゐた。さうして其悲劇の何んなに先生に取つて見慘なものであるかは相手の奧さんに丸で知れてゐなかつた。奧さんは今でもそれを知らずにゐる。先生はそれを奧さんに隱して死んだ。先生は奧さんの幸福を破壞する前に、先づ自分の生命を破壞して仕舞つた。

私は今此悲劇に就いて何事も語らない。其悲劇のために寧ろ生れ出たともいへる二人の戀愛に就いては、先刻云つた通りであつた。二人とも私には殆んど何も話して呉れなかつた。奧さんは愼みのために、先生は又それ以上の深い理由のために。

たゞ一つ私の記憶に殘つてゐる事がある。或時花時分に私は先生と一所に上野へ行つた。さうして其所で美くしい一對の男女を見た。彼等は睦まじさうに寄添つて花の下を歩いてゐた。場所が場所なので、花よりも其方を向いて眼を峙てゝゐる人が澤山あつた。

「新婚の夫婦のやうだね」と先生が云つた。

「仲が好ささうですね」と私が答へた。

 先生は苦笑さへしなかつた。二人の男女を視線の外に置くやうな方角へ足を向けた。それから私に斯う聞いた。

「君は戀をした事がありますか」

私はないと答へた。

「戀をしたくはありませんか」

私は答へなかつた。

「したくない事はないでせう」

「えゝ」

「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が戀を求めながら相手を得られないといふ不快の聲が交つてゐませう」

「そんな風に聞こえましたか」

「聞こえました。戀の滿足を味はつてゐる人はもつと暖かい聲を出すものです。然し…然し君、戀は罪惡ですよ。解つてゐますか」

私は急に驚ろかされた。何とも返事をしなかつた。

十三 我々は群集の中にゐた。群集はいづれも嬉しさうな顏をしてゐた。其所を通り拔けて、花も人も見えない森の中へ來る迄は、同じ問題を口にする機會がなかつた。

「戀は罪惡ですか」と私が其時突然聞いた。

「罪惡です。たしかに」と答へた時の先生の語氣は前と同じやうに強かつた。

「何故ですか」

「何故だか今に解ります。今にぢやない、もう解つてゐる筈です。あなたの心はとつくの昔から既に戀で動いてゐるぢやありませんか」

私は一應自分の胸の中を調べて見た。けれども其所は案外に空虚であつた。思ひ中るやうなものは何にもなかつた。

「私の胸の中に是といふ目的物は一つもありません。私は先生に何も隱してはゐない積です」

「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだらうと思つて動きたくなるのです」

「今それ程動いちやゐません」

「あなたは物足りない結果私の所に動いて來たぢやありませんか」

「それは左右かも知れません。然しそれは戀とは違ひます」

「戀に上る楷段なんです。異性と抱き合ふ順序として、まづ同性の私の所へ動いて來たのです」

「私には二つのものが全く性質を異にしてゐるやうに思はれます」

「いや同じです。私は男として何うしてもあなたに滿足を與へられない人間なのです。それから、ある特別の事情があつて、猶更あなたに滿足を與へられないでゐるのです。私は實際御氣の毒に思つてゐます。あなたが私から餘所へ動いて行くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望してゐるのです。然し‥‥」

私は變に悲しくなつた。

「私は先生から離れて行くやうに御思ひになれば仕方がありませんが、私にそんな氣の起つた事はまだありません」

先生は私の言葉に耳を貸さなかつた。

「然し氣を付けないと不可ない。戀は罪惡なんだから。私の所では滿足が得られない代りに危險もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知つてゐますか」

私は想像で知つてゐた。然し事實としては知らなかつた。いづれにしても先生のいふ罪惡といふ意味は朦朧としてよく解らなかつた。其上私は少し不愉快になつた。

「先生、罪惡といふ意味をもつと判然云つて聞かして下さい。それでなければ此問題を此所で切り上げて下さい。私自身に罪惡といふ意味が判然解る迄」

「惡い事をした。私はあなたに眞實を話してゐる氣でゐた。所が實際は、あなたを焦慮してゐたのだ。私は惡い事をした」

 先生と私とは博物館の裏から鶯溪の方角に靜かな歩調で歩いて行つた。垣の隙間から廣い庭の一部に茂る熊笹が幽邃に見えた。

「君は私が何故毎月雜司ヶ谷の墓地に埋つてゐる友人の墓へ參るのか知つてゐますか」

 先生の此問は全く突然であつた。しかも先生は私が此問に對して答へられないといふ事も能く承知してゐた。私はしばらく返事をしなかつた。すると先生は始めて氣が付いたやうに斯う云つた。

 「又惡い事を云つた。焦慮せるのが惡いと思つて、説明しやうとすると、其説明が又あなたを焦慮せるやうな結果になる。何うも仕方がない。此問題はこれで止めませう。とにかく戀は罪惡ですよ、よござんすか。さうして神聖なものですよ」

 私には先生の話が益解らなくなつた。然し先生はそれぎり戀を口にしなかつた。

十四  年の若い私は稍ともすると一圖になり易かつた。少なくとも先生の眼にはさう映つてゐたらしい。私には學校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであつた。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであつた。とゞの詰りをいへば、教壇に立つて私を指導して呉れる偉い人々よりも只獨りを守つて多くを語らない先生の方が偉く見えたのであつた。

 「あんまり逆上ちや不可ません」と先生がいつた。

「覺めた結果として左右思ふんです」と答へた時の私には充分の自信があつた。其自信を先生は肯がつて呉れなかつた。

「あなたは熱に浮かされてゐるのです。熱がさめると厭になります。私は今のあなたから夫程に思はれるのを、苦しく感じてゐます。然し是から先の貴方に起るべき變化を豫想して見ると、猶苦しくなります」

「私はそれ程輕薄に思はれてゐるんですか。それ程不信用なんですか」

「私は御氣の毒に思ふのです」

「氣の毒だが信用されないと仰しやるんですか」

先生は迷惑さうに庭の方を向いた。其庭に、此間迄重さうな赤い強い色をぽた/\點じてゐた椿の花はもう一つも見えなかつた。先生は座敷から此椿の花をよく眺める癖があつた。

「信用しないつて、特にあなたを信用しないんぢやない。人間全體を信用しないんです」

其時生垣の向ふで金魚賣らしい聲がした。其外には何の聞こえるものもなかつた。大通りから二丁も深く折れ込んだ小路は存外靜かであつた。家の中は何時もの通りひつそりしてゐた。私は次の間に奧さんのゐる事を知つてゐた。默つて針仕事か何かしてゐる奧さんの耳に私の話し聲が聞こえるといふ事も知つてゐた。然し私は全くそれを忘れて仕舞つた。

「ぢや奧さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。

先生は少し不安な顏をした。さうして直接の答を避けた。

「私は私自身さへ信用してゐないのです。つまり自分で自分が信用出來ないから、人も信用できないやうになつてゐるのです。自分を呪ふより外に仕方がないのです」

「さう六づかしく考へれば、誰だつて確かなものはないでせう」

「いや考へたんぢやない。遣つたんです。遣つた後で驚ろいたんです。さうして非常に怖くなつたんです」

私はもう少し先迄同じ道を辿つて行きたかつた。すると襖の陰で「あなた、あなた」といふ奧さんの聲が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といつた。奧さんは「一寸」と先生を次の間へ呼んだ。二人の間に何んな用事が起つたのか、私には解らなかつた。それを想像する餘裕を與へない程早く先生は又座敷へ歸つて來た。

「兎に角あまり私を信用しては不可ませんよ。今に後悔するから。さうして自分が欺むかれた返報に、殘酷な復讐をするやうになるものだから」

「そりや何ういふ意味ですか」

「かつては其人の膝の前に跪づいたといふ記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせやうとするのです。私は未來の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥ぞけたいと思ふのです。私は今より一層淋しい未來の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と獨立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、其犠牲としてみんな此淋しみを味はわなくてはならないでせう」

私はかういふ覺悟を有つてゐる先生に對して、云ふべき言葉を知らなかつた。

十五 其後私は奧さんの顏を見るたびに氣になつた。先生は奧さんに對しても始終斯ういふ態度に出るのだらうか。若しさうだとすれば、奧さんはそれで滿足なのだらうか。

奧さんの樣子は滿足とも不滿足とも極めやうがなかつた。私は夫程近く奧さんに接觸する機會がなかつたから。それから奧さんは私に會ふたびに尋常であつたから。最後に先生の居る席でなければ私と奧さんとは滅多に顏を合せなかつたから。

私の疑惑はまだ其上にもあつた。先生の人間に對する此覺悟は何處から來るのだらうか。たゞ冷たい眼で自分を内省したり現代を觀察したりした結果なのだらうか。先生は坐つて考へる質の人であつた。先生の頭さへあれば、斯ういふ態度は坐つて世の中を考へてゐても自然と出て來るものだらうか。私には左右ばかりとは思へなかつた。先生の覺悟は生きた覺悟らしかつた。火に燒けて冷却し切つた石造家屋の輪廓とは違つてゐた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であつた。けれども其思想家の纏め上げた主義の裏には、強い事實が織り込まれてゐるらしかつた。自分と切り離された他人の事實でなくつて、自分自身が痛切に味はつた事實、血が熱くなつたり脈が止まつたりする程の事實が、疊み込まれてゐるらしかつた。

是は私の胸で推測するがものはない。先生自身既にさうだと告白してゐた。たゞ其告白が雲の峯のやうであつた。私の頭の上に正體の知れない恐ろしいものを蔽ひ被せた。さうして何故それが恐ろしいか私にも解らなかつた。告白はぼうとしてゐた。それでゐて明らかに私の神經を震はせた。

私は先生の此人生觀の基點に、或強烈な戀愛事情を假定して見た。(無論先生と奧さんとの間に起つた)。先生がかつて戀は罪惡だといつた事から照らし合せて見ると、多少それが手掛りにもなつた。然し先生は現に奧さんを愛してゐると私に告げた。すると二人の戀から斯んな厭世に近い覺悟が出やう筈がなかつた。「かつては其人の前に跪づいたといふ記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせやうとする」と云つた先生の言葉は、現代一般の誰彼に就いて用ひられるべきで、先生と奧さんの間には當てはまらないものゝやうでもあつた。

雜司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓、――是も私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だといふ事を知つてゐた。先生の生活に近づきつゝありながら、近づく事の出來ない私は、先生の頭の中にある生命の斷片として、其墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取つて其墓は全く死んだものであつた。二人の間にある生命の扉を開ける鍵にはならなかつた。寧ろ二人の間に立つて、自由の往來を妨げる魔物のやうであつた。

さう斯うしてゐるうちに、私は又奧さんと差向ひで話しをしなければならない時機が來た。その頃は日の詰つて行くせわしない秋に、誰も注意を惹かれる肌寒の季節であつた。先生の附近で盗難に罹つたものが三四日續いて出た。盗難はいづれも宵の口であつた。大したものを持つて行かれた家は殆んどなかつたけれども、這入られた所では必ず何か取られた。奧さんは氣味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空けなければならない事情が出來てきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職してゐるものが上京したため、先生は外の二三名と共に、ある所で其友人に飯を食はせなければならなくなつた。先生は譯を話して、私に歸つてくる間迄の留守番を頼んだ。私はすぐ引受けた。

十六 私の行つたのはまだ灯の點くか點かない暮方であつたが、几帳面な先生はもう宅にゐなかつた。「時間に後れると惡いつて、つい今しがた出掛けました」と云つた奧さんは、私を先生の書齋へ案内した。

書齋には洋机と椅子の外に、澤山の書物が美くしい脊皮を竝べて、硝子越に電燈の光で照らされてゐた。奧さんは火鉢の前に敷いた座蒲團の上へ私を坐らせて、「ちつと其所いらにある本でも讀んでゐて下さい」と斷つて出て行つた。私は丁度主人の歸りを待ち受ける客のやうな氣がして濟まなかつた。私は畏こまつた儘烟草を飮んでゐた。奧さんが茶の間で何か下女に話してゐる聲が聞こえた。書齋は茶の間の縁側を突き當つて折れ曲つた角にあるので、棟の位置からいふと、座敷よりも却つて掛け離れた靜さを領してゐた。一しきりで奧さんの話聲が已むと、後はしんとした。私は泥棒を待ち受ける樣な心持で、凝としながら氣を何處かに配つた。

三十分程すると、奧さんが又書齋の入口へ顏を出した。「おや」と云つて、輕く驚ろいた時の眼を私に向けた。さうして客に來た人のやうに鹿爪らしく控えてゐる私を可笑しさうに見た。

「それぢや窮屈でせう」

「いえ、窮屈ぢやありません」

「でも退屈でせう」

「いゝえ。泥棒が來るかと思つて緊張してゐるから退屈でもありません」

奧さんは手に紅茶々碗を持つた儘、笑ひながら其所に立つてゐた。

「此所は隅つこだから番をするには好くありませんね」と私が云つた。

「ぢや失禮ですがもつと眞中へ出て來て頂戴。御退屈だらうと思つて、御茶を入れて持つて來たんですが、茶の間で宜しければ彼方で上げますから」

私は奧さんの後に尾いて書齋を出た。茶の間には綺麗な長火鉢に鐵瓶が鳴つてゐた。私は其處で茶と菓子の御馳走になつた。奧さんは寐られないと不可いといつて、茶碗に手を觸れなかつた。

「先生は矢張り時々斯んな會へ御出掛になるんですか」

「いゝえ滅多に出た事はありません。近頃は段々人の顏を見るのが嫌になるやうです」斯ういつた奧さんの樣子に、別段困つたものだといふ風も見えなかつたので、私はつい大膽になつた。

「それぢや奧さん丈が例外なんですか」

「いゝえ私も嫌はれてゐる一人なんです」

「そりや嘘です」と私が云つた。「奧さん自身嘘と知りながら左右仰やるんでせう」

「何故」

「私に云はせると、奧さんが好きになつたから世間が嫌ひになるんですもの」

「あなたは學問をする方丈あつて、中々御上手ね。空つぽな理窟を使ひこなす事が。世の中が嫌になつたから、私迄も嫌になつたんだとも云はれるぢやありませんか。それと同なじ理窟で」

「兩方とも云はれる事は云はれますが、此場合は私の方が正しいのです」

「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白さうに。空の盃でよくあゝ飽きずに獻酬が出來ると思ひますわ」

奧さんの言葉は少し手痛かつた。然し其言葉の耳障からいふと、決して猛烈なものではなかつた。自分に頭惱のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出す程に奧さんは現代的でなかつた。奧さんはそれよりもつと底の方に沈んだ心を大事にしてゐるらしく見えた。

十七 私はまだ其後にいふべき事を有つてゐた。けれども奧さんから徒らに議論を仕掛ける男のやうに取られては困ると思つて遠慮した。奧さんは飮み干した紅茶々碗の底を覗いて默つてゐる私を外らさないやうに、「もう一杯上げませうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奧さんの手に渡した。

「いくつ?一つ?二ッつ?」

妙なもので角砂糖を撮み上げた奧さんは、私の顏を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の數を聞いた。奧さんの態度は私に媚びるといふ程ではなかつたけれども、先刻の強い言葉を力めて打ち消さうとする愛嬌に充ちてゐた。

私は默つて茶を飮んだ。飮んでしまつても默つてゐた。

「あなた大變默り込んぢまつたのね」と奧さんが云つた。

「何かいふと又議論を仕掛けるなんて、叱り付けられさうですから」と私は答へた。

「まさか」と奧さんが再び云つた。

二人はそれを緒口に又話を始めた。さうして又二人に共通な興味のある先生を問題にした。

「奧さん、先刻の續きをもう少し云はせて下さいませんか。奧さんには空な理窟と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上の空で云つてる事ぢやないんだから」

「ぢや仰やい」

「今奧さんが急に居なくなつたとしたら、先生は現在の通りで生きてゐられるでせうか」

「そりや分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外に仕方がないぢやありませんか。私の所へ持つて來る問題ぢやないわ」

「奧さん、私は眞面目ですよ。だから逃げちや不可ません。正直に答へなくつちや」

「正直よ。正直に云つて私には分らないのよ」

「ぢや奧さんは先生を何の位愛してゐらつしやるんですか。これは先生に聞くより寧ろ奧さんに伺つていゝ質問ですから、あなたに伺ひます」

「何もそんな事を開き直つて聞かなくつても好いぢやありませんか」

「眞面目腐つて聞くがものはない。分り切つてると仰やるんですか」

「まあ左右よ」

「その位先生に忠實なあなたが急に居なくなつたら、先生は何うなるんでせう。世の中の何方を向いても面白さうでない先生は、あなたが急にゐなくなつたら後で何うなるでせう。先生から見てぢやない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるんでせうか、不幸になるでせうか」

「そりや私から見れば分つてゐます。(先生はさう思つてゐないかも知れませんが)。先生は私を離れゝば不幸になる丈です。或は生きてゐられないかも知れませんよ。さういふと、己惚になるやうですが、私は今先生を人間として出來る丈幸福にしてゐるんだと信じてゐますわ。どんな人があつても私程先生を幸福にできるものはないと迄思ひ込んでゐますわ。それだから斯うして落ち付いてゐられるんです」

「その信念が先生の心に好く映る筈だと私は思ひますが」

「それは別問題ですわ」

「矢張り先生から嫌はれてゐると仰やるんですか」

「私は嫌はれてるとは思ひません。嫌はれる譯がないんですもの。然し先生は世間が嫌なんでせう。世間といふより近頃では人間が嫌になつてゐるんでせう。だから其人間の一人として、私も好かれる筈がないぢやありませんか」

奧さんの嫌はれてゐるといふ意味がやつと私に呑み込めた。

十八 私は奧さんの理解力に感心した。奧さんの態度が舊式の日本の女らしくない所も私の注意に一種の刺戟を與へた。それで奧さんは其頃流行り始めた所謂新らしい言葉などは殆んど使はなかつた。

私は女といふものに深い交際をした經驗のない迂濶な青年であつた。男としての私は、異性に對する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みてゐた。けれどもそれは懷かしい春の雲を眺めるやうな心持で、たゞ漠然と夢みてゐたに過ぎなかつた。だから實際の女の前へ出ると、私の感情が突然變る事が時々あつた。私は自分の前に現はれた女のために引き付けられる代りに、其場に臨んで却つて變な反撥力を感じた。奧さんに對した私にはそんな氣が丸で出なかつた。普通男女の間に横はる思想の不平均といふ考も殆んど起らなかつた。私は奧さんの女であるといふ事を忘れた。私はたゞ誠實なる先生の批評家及び同情家として奧さんを眺めた。

「奧さん、私が此前何故先生が世間的にもつと活動なさらないのだらうと云つて、あなたに聞いた時に、あなたは仰やつた事がありますね。元はあゝぢやなかつたんだつて」

「えゝ云ひました。實際彼んなぢやなかつたんですもの」

「何んなだつたんですか」

「あなたの希望なさるやうな、又私の希望するやうな頼もしい人だつたんです」

「それが何うして急に變化なすつたんですか」

「急にぢやありません、段々あゝなつて來たのよ」

「奧さんは其間始終先生と一所にゐらしつたんでせう」

「無論ゐましたわ。夫婦ですもの」

「ぢや先生が左右變つて行かれる源因がちやんと解るべき筈ですがね」

「それだから困るのよ。あなたから左右云はれると實に辛いんですが、私には何う考へても、考へやうがないんですもの。私は今迄何遍あの人に、何うぞ打ち明けて下さいつて頼んで見たか分りやしません」

「先生は何と仰しやるんですか」

「何にも云ふ事はない、何にも心配する事はない、おれは斯ういふ性質になつたんだからと云ふ丈で、取り合つて呉れないんです」

私は默つてゐた。奧さんも言葉を途切らした。下女部屋にゐる下女はことりとも音をさせなかつた。私は丸で泥棒の事を忘れて仕舞つた。

「あなたは私に責任があるんだと思つてやしませんか」と突然奧さんが聞いた。

「いゝえ」と私が答へた。

「何うぞ隱さずに云つて下さい。さう思はれるのは身を切られるより辛いんだから」と奧さんが又云つた。「是でも私は先生のために出來る丈の事はしてゐる積なんです」

「そりや先生も左右認めてゐられるんだから、大丈夫です。御安心なさい、私が保證します」

奧さんは火鉢の灰を掻き馴らした。それから水注の水を鐵瓶に注した。鐵瓶は忽ち鳴りを沈めた。

「私はとう/\辛防し切れなくなつて、先生に聞きました。私に惡い所があるなら遠慮なく云つて下さい、改められる欠點なら改めるからつて、すると先生は、御前に欠點なんかありやしない、欠點はおれの方にある丈だと云ふんです。さう云はれると、私悲しくなつて仕樣がないんです、涙が出て猶の事自分の惡い所が聞きたくなるんです」

奧さんは眼の中に涙を一杯溜めた。

十九 始め私は理解のある女性として奧さんに對してゐた。私が其氣で話してゐるうちに、奧さんの樣子が次第に變つて來た。奧さんは私の頭惱に訴へる代りに、私の心臟を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠まりもない、又ない筈であるのに、矢張り何かある。それだのに眼を開けて見極めやうとすると、矢張り何にもない。奧さんの苦にする要點は此所にあつた。

奧さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的だから、其結果として自分も嫌はれてゐるのだと斷言した。さう斷言して置きながら、ちつとも其所に落ち付いてゐられなかつた。底を割ると、却つて其逆を考へてゐた。先生は自分を嫌ふ結果、とう/\世の中迄厭になつたのだらうと推測してゐた。けれども何う骨を折つても、其推測を突き留めて事實とする事が出來なかつた。先生の態度は何處迄も良人らしかつた。親切で優しかつた。疑ひの塊りを其日/\の情合で包んで、そつと胸の奧に仕舞つて置いた奧さんは、其晩その包みの中を私の前で開けて見せた。

「あなた何う思つて?」と聞いた。「私からあゝなつたのか、それともあなたのいふ人生觀とか何とかいふものから、あゝなつたのか。隱さず云つて頂戴」

私は何も隱す氣はなかつた。けれども私の知らないあるものが其所に存在してゐるとすれば、私の答が何であらうと、それが奧さんを滿足させる筈がなかつた。さうして私は其所に私の知らないあるものがあると信じてゐた。

「私には解りません」

奧さんは豫期の外れた時に見る憐れな表情を其咄嗟に現はした。私はすぐ私の言葉を繼ぎ足した。

「然し先生が奧さんを嫌つてゐらつしやらない事丈は保證します。私は先生自身の口から聞いた通りを奧さんに傳へる丈です。先生は嘘を吐かない方でせう」

奧さんは何とも答へなかつた。しばらくしてから斯う云つた。

「實は私すこし思ひ中る事があるんですけれども‥‥」

「先生があゝ云ふ風になつた源因に就いてですか」

「えゝ。もしそれが源因だとすれば、私の責任丈はなくなるんだから、夫丈でも私大變樂になれるんですが、‥‥」

「何んな事ですか」

奧さんは云ひ澁つて膝の上に置いた自分の手を眺めてゐた。

「あなた判斷して下すつて。云ふから」

「私に出來る判斷なら遣ります」

「みんなは云へないのよ。みんな云ふと叱られるから。叱られない所丈よ」

私は緊張して唾液を呑み込んだ。

「先生がまだ大學にゐる時分、大變仲の好い御友達が一人あつたのよ。其方が丁度卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」

奧さんは私の耳に私語くやうな小さな聲で、「實は變死したんです」と云つた。それは「何うして」と聞き返さずにはゐられない樣な云ひ方であつた。

「それつ切りしか云へないのよ。けれども其事があつてから後なんです。先生の性質が段々變つて來たのは。何故其方が死んだのか、私には解らないの。先生にも恐らく解つてゐないでせう。けれども夫から先生が變つて來たと思へば、さう思はれない事もないのよ」

「其人の墓ですか、雜司ヶ谷にあるのは」

「それも云はない事になつてるから云ひません。然し人間は親友を一人亡くした丈で、そんなに變化できるものでせうか。私はそれが知りたくつて堪らないんです。だから其所を一つ貴方に判斷して頂きたいと思ふの」

私の判斷は寧ろ否定の方に傾いてゐた。

二十 私は私のつらまへた事實の許す限り、奧さんを慰めやうとした。奧さんも亦出來る丈私によつて慰さめられたさうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合つた。けれども私はもともと事の大根を攫んでゐなかつた。奧さんの不安も實は其所に漂よふ薄い雲に似た疑惑から出て來てゐた。事件の眞相になると、奧さん自身にも多くは知れてゐなかつた。知れてゐる所でも悉皆は私に話す事が出來なかつた。從つて慰さめる私も、慰さめられる奧さんも、共に波に浮いて、ゆら/\してゐた。ゆら/\しながら、奧さんは何處迄も手を出して、覺束ない私の判斷に縋り付かうとした。

十時頃になつて先生の靴の音が玄關に聞こえた時、奧さんは急に今迄の凡てを忘れたやうに、前に坐つてゐる私を其方退けにして立ち上つた。さうして格子を開ける先生を殆んど出合頭に迎へた。私は取り殘されながら、後から奧さんに尾いて行つた。下女丈は假寐でもしてゐたと見えて、ついに出て來なかつた。

先生は寧ろ機嫌がよかつた。然し奧さんの調子は更によかつた。今しがた奧さんの美くしい眼のうちに溜つた涙の光と、それから黒い眉毛の根に寄せられた八の字を記憶してゐた私は、其變化を異常なものとして注意深く眺めた。もしそれが詐りでなかつたならば、(實際それは詐りとは思へなかつたが)、今迄の奧さんの訴へは感傷を玩ぶためにとくに私を相手に拵へた、徒らな女性の遊戲と取れない事もなかつた。尤も其時の私には奧さんをそれ程批評的に見る氣は起らなかつた。私は奧さんの態度の急に輝やいて來たのを見て、寧ろ安心した。是ならばさう心配する必要もなかつたんだと考へ直した。

先生は笑ひながら「どうも御苦勞さま、泥棒は來ませんでしたか」と私に聞いた。それから「來ないんで張合が拔けやしませんか」と云つた。

歸る時、奧さんは「どうも御氣の毒さま」と會釋した。其調子は忙がしい處を暇を潰させて氣の毒だといふよりも、折角來たのに泥棒が這入らなくつて氣の毒だといふ冗談のやうに聞こえた。奧さんはさう云ひながら、先刻出した西洋菓子の殘りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを袂へ入れて、人通りの少ない夜寒の小路を曲折して賑やかな町の方へ急いだ。

私は其晩の事を記憶のうちから抽き拔いて此所へ詳しく書いた。是は書く丈の必要があるから書いたのだが、實をいふと、奧さんに菓子を貰つて歸るときの氣分では、それ程當夜の會話を重く見てゐなかつた。私は其翌日午飯を食ひに學校から歸つてきて、昨夜机の上に載せて置いた菓子の包を見ると、すぐ其中からチヨコレー〔ト〕を塗つた鳶色のカステラを出して頬張つた。さうしてそれを食ふ時に、必竟此菓子を私に呉れた二人の男女は、幸福な一對として世の中に存在してゐるのだと自覺しつゝ味はつた。

秋が暮れて冬が來る迄格別の事もなかつた。私は先生の宅へ出這りをする序に、衣服の洗ひ張や仕立方などを奧さんに頼んだ。それ迄繻絆といふものを着た事のない私が、シヤツの上に黒い襟のかゝつたものを重ねるやうになつたのは此時からであつた。子供のない奧さんは、さういふ世話を燒くのが却つて退屈凌ぎになつて、結句身體の藥だ位の事を云つてゐた。

「こりや手織ね。こんな地の好い着物は今迄縫つた事がないわ。其代り縫ひ惡いのよそりあ。丸で針が立たないんですもの。御蔭で針を二本折りましたわ」

斯んな苦情をいふ時ですら、奧さんは別に面倒臭いといふ顏をしなかつた。

二十一 冬が來た時、私は偶然國へ歸へらなければならない事になつた。私の母から受取つた手紙の中に、父の病氣の經過が面白くない樣子を書いて、今が今といふ心配もあるまいが、年が年だから、出來るなら都合して歸つて來てくれと頼むやうに付け足してあつた。

父はかねてから腎臟を病んでゐた。中年以後の人に屡見る通り、父の此病は慢性であつた。其代り要心さへしてゐれば急變のないものと當人も家族のものも信じて疑はなかつた。現に父は養生の御蔭一つで、今日迄何うか斯うか凌いで來たやうに客が來ると吹聽してゐた。其父が、母の書信によると、庭へ出て何かしてゐる機に突然眩暈がして引ッ繰返つた。家内のものは輕症の腦溢血と思ひ違へて、すぐその手當をした。後で醫者から何うも左右ではないらしい、矢張り持病の結果だらうといふ判斷を得て、始めて卒倒と腎臟病とを結び付けて考へるやうになつたのである。

冬休みが來るにはまだ少し間があつた。私は學期の終り迄待つてゐても差支あるまいと思つて一日二日其儘にして置いた。すると其一日二日の間に、父の寐てゐる樣子だの、母の心配してゐる顏だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを甞めた私は、とう/\歸る決心をした。國から旅費を送らせる手數と時間を省くため、私は暇乞かた%\先生の所へ行つて、要る丈の金を一時立て替へてもらふ事にした。

先生は少し風邪の氣味で、座敷へ出るのが臆劫だといつて、私をその書齋に通した。書齋の硝子戸から冬に入て稀に見るやうな懷かしい和らかな日光が机掛の上に射してゐた。先生は此日あたりの好い室の中へ大きな火鉢を置いて、五徳の上に懸けた金盥から立ち上る湯氣で、呼吸の苦しくなるのを防いでゐた。

「大病は好いが、ちよつとした風邪などは却つて厭なものですね」と云つた先生は、苦笑しながら私の顏を見た。

先生は病氣といふ病氣をした事のない人であつた。先生の言葉を聞いた私は笑ひたくなつた。

「私は風邪位なら我慢しますが、それ以上の病氣は眞平です。先生だつて同じ事でせう。試ろみに遣つて御覽になるとよく解ります」

「左右かね。私は病氣になる位なら、死病に罹りたいと思つてる」

私は先生のいふ事に格別注意を拂はなかつた。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。

「そりや困るでせう。其位なら今手元にある筈だから持つて行き玉へ」

先生は奧さんを呼んで、必要の金額を私の前に竝べさせて呉れた。それを奧の茶箪笥か何かの抽出から出して來た奧さんは、白い半紙の上へ鄭寧に重ねて、「そりや御心配ですね」と云つた。

「何遍も卒倒したんですか」と先生が聞いた。

「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」

「えゝ」

先生の奧さんの母親といふ人も私の父と同じ病氣で亡くなつたのだと云ふ事が始めて私に解つた。

「何うせ六づかしいんでせう」と私が云つた。

「左右さね。私が代られゝば代つて上げても好いが。――嘔氣はあるんですか」

「何うですか、何とも書いてないから、大方ないんでせう」

「嘔氣さへ來なければまだ大丈夫ですよ」と奧さんが云つた。

私は其晩の汽車で東京を立つた。

二十二  父の病氣は思つた程惡くはなかつた。それでも着いた時は、床の上に胡坐をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢して斯う凝としてゐる。なにもう起きても好いのさ」と云つた。然し其翌日からは母が止めるのも聞かずに、とう/\床を上げさせて仕舞つた。母は不承不性に太織の蒲團を疊みながら、「御父さんは御前が歸つて來たので、急に氣が強くおなりなんだよ」 [5]と云つた私には父の擧動がさして虚勢を張つてゐるやうにも思へなかつた。

 私の兄はある職を帶びて遠い九州にゐた。是は萬一の事がある場合でなければ、容易に父母の顏を見る自由の利かない男であつた。妹は他國へ嫁いだ。是も急場の間に合ふ樣に、おいそれと呼び寄せられる女ではなかつた。兄妹三人のうちで、一番便利なのは矢張り書生をしてゐる私丈であつた。其私が母の云ひ付け通り學校の課業を放り出して、休み前に歸つて來たといふ事が、父には大きな滿足であつた。

 「是しきの病氣に學校を休ませては氣の毒だ。御母さんがあまり仰山な手紙を書くものだから不可い」

 父は口では斯う云つた。斯ういつた許でなく、今迄敷いてゐた床を上げさせて、何時ものやうな元氣を示した。

 「あんまり輕はずみをして又逆囘すと不可ませんよ」

 私の此注意を父は愉快さうに然し極めて輕く受けた。

「なに大丈夫、是で何時もの樣に要心さへしてゐれば」

 實際父は大丈夫らしかつた。家の中を自由に往來して、息も切れなければ、眩暈も感じなかつた。たゞ顏色丈は普通の人よりも大變惡かつたが、是は又今始まつた症状でもないので、私達は格別それを氣に留めなかつた。

 私は先生に手紙を書いて恩借の禮を述べた。正月上京する時に持參するからそれ迄待つてくれるやうにと斷つた。さうして父の病状の思つた程險惡でない事、此分なら當分安心な事、眩暈も嘔氣も皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪に就いても一言の見舞を附け加へた。私は先生の風邪を實際輕く見てゐたので。

 私は其手紙を出す時に決して先生の返事を豫期してゐなかつた。出した後で父や母と先生の噂などをしながら、遙かに先生の書齋を想像した。

 「こんど東京へ行くときには椎茸でも持つて行つて御上げ」

 「えゝ、然し先生が干した椎茸なぞを食ふかしら」

 「旨くはないが、別に嫌な人もないだらう」

 私には椎茸と先生を結び付けて考へるのが變であつた。

 先生の返事が來た時、私は一寸驚ろかされた。ことにその内容が特別の用件を含んでゐなかつた時、驚ろかされた。先生はたゞ親切づくで、返事を書いてくれたんだと私は思つた。さう思ふと、その簡單な一本の手紙が私には大層な喜びになつた。尤も是は私が先生から受取つた第一の手紙に相違なかつたが。

 第一といふと私と先生の間には書信の往復がたび/\あつたやうに思はれるが、事實は決してさうでない事を一寸斷つて置きたい。私は先生の生前にたつた二通の手紙しか貰つてゐない。其一通は今いふ此簡單な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛で書いた大變長いものである。

 父は病氣の性質として、運動を愼しまなければならないので、床を上げてからも、殆んど戸外へは出なかつた。一度天氣のごく穩やかな日の午後庭へ下りた事があるが、其時は萬一を氣遣つて、私が引き添ふやうに傍に付いてゐた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせやうとしても、父は笑つて應じなかつた。

[5] GNBT reads と云つた。私には父の.

二十三  私は退屈な父の相手としてよく將碁盤に向つた。二人とも無精な性質なので、炬燵にあたつた儘、盤を櫓の上へ載せて、駒を動かすたびに、わざ/\手を掛蒲團の下から出すやうな事をした。時々持駒を失くして、次の勝負の來る迄双方とも知らずにゐたりした。それを母が灰の中から見付出して、火箸で挾み上げるといふ滑稽もあつた。

 「碁だと盤が高過ぎる上に、足が着いてゐるから、炬燵の上では打てないが、其所へ來ると將碁盤は好いね、斯うして樂に差せるから。無精者には持つて來いだ。もう一番遣らう」

 父は勝つた時は必ずもう一番遣らうと云つた。其癖負けた時にも、もう一番遣らうと云つた。要するに、勝つても負けても、炬燵にあたつて、將碁を差したがる男であつた。始めのうちは珍らしいので、此隱居じみた娯樂が私にも相當の興味を與へたが、少し時日が經つに伴れて、若い私の氣力は其位な刺戟で滿足出來なくなつた。私は金や香車を握つた拳を頭の上へ伸して、時々思ひ切つたあくびをした。

 私は東京の事を考へた。さうして漲る心臟の血潮の奧に、活動々々と打ちつゞける鼓動を聞いた。不思議にも其鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められてゐるやうに感じた。

 私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。兩方とも世間から見れば、生きてゐるか死んでゐるか分らない程大人しい男であつた。他に認められるといふ點からいへば何方も零であつた。それでゐて、此將碁を差したがる父は、單なる娯樂の相手としても私には物足りなかつた。かつて遊興のために往來をした覺のない先生は、歡樂の交際から出る親しみ以上に、何時か私の頭に影響を與へてゐた。たゞ頭といふのはあまりに冷か過ぎるから、私は胸と云ひ直したい。肉のなかに先生の力が喰ひ込んでゐると云つても、血のなかに先生の命が流れてゐると云つても、其時の私には少しも誇張でないやうに思はれた。私は父が私の本當の父であり、先生は又いふ迄もなく、あかの他人であるといふ明白な事實を、ことさらに眼の前に竝べて見て、始めて大きな眞理でも發見しかたの如くに驚ろいた。

 私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今迄珍らしかつた私が段々陳腐になつて來た。是は夏休みなどに國へ歸る誰でもが一樣に經驗する心持だらうと思ふが、當座の一週間位は下にも置かないやうに、ちやほや歡待されるのに、其峠を定規通り通り越すと、あとはそろ/\家族の熱が冷めて來て、仕舞には有つても無くつても構はないものゝやうに粗末に取り扱かはれ勝になるものである。私も滯在中に其峠を通り越した。其上私は國へ歸るたびに、父にも母にも解らない變な所を東京から持つて歸つた。昔でいふと、儒者の家へ切支丹の臭を持ち込むやうに、私の持つて歸るものは父とも母とも調和しなかつた。無論私はそれを隱してゐた。けれども元々身に着いてゐるものだから、出すまいと思つても、何時かそれが父や母の眼に留つた。私はつい面白くなくなつた。早く東京へ歸りたくなつた。

 父の病氣は幸ひ現状維持の儘で、少しも惡い方へ進む模樣は見えなかつた。念のためにわざわざ遠くから相當の醫者を招いたりして、愼重に診察して貰つても矢張私の知つてゐる以外に異状は認められなかつた。私は冬休みの盡きる少し前に國を立つ事にした。立つと云ひ出すと、人情は妙なもので、父も母も反對した。

 「もう歸るのかい、まだ早いぢやないか」と母が云つた。

 「まだ四五日居ても間に合ふんだらう」と父が云つた。

 私は自分の極めた出立の日を動かさなかつた。

二十四  東京へ歸つて見ると、松飾はいつか取拂はれてゐた。町は寒い風の吹くに任せて、何處を見ても是といふ程の正月めいた景氣はなかつた。

 私は早速先生のうちへ金を返しに行つた。例の椎茸も序に持つて行つた。たゞ出すのは少し變だから、母が是を差上げて呉れといひましたとわざ/\斷つて奧さんの前へ置いた。椎茸は新らしい菓子折に入れてあつた。鄭寧に禮を述べた奧さんは、次の間へ立つ時、其折を持つて見て、輕いのに驚ろかされたのか、「こりや何の御菓子」と聞いた。奧さんは懇意になると、斯んな所に極めて淡泊な小供らしい心を見せた。

 二人とも父の病氣について、色々掛念の問を繰り返してくれた中に、先生は斯んな事をいつた。

 「成程容體を聞くと、今が今何うといふ事もないやうですが、病氣が病氣だから餘程氣をつけないと不可ません」

 先生は腎臟の病に就いて私の知らない事を多く知つてゐた。

 「自分で病氣に罹つてゐながら、氣が付かないで平氣でゐるのがあの病の特色です。私の知つたある士官は、とう/\それで遣られたが、全く嘘のやうな死に方をしたんですよ。何しろ傍に寐てゐた細君が看病をする暇もなんにもない位なんですからね。夜中に一寸苦しいと云つて、細君を起したぎり、翌る朝はもう死んでゐたんです。しかも細君は夫が寐てゐるとばかり思つてたんだつて云ふんだから」

 今迄樂天的に傾むいてゐた私は急に不安になつた。

 「私の父もそんなになるんでせうか。ならんとも云へないですね」

 「醫者は何と云ふのです」

 「醫者は到底治らないといふんです。けれども當分の所心配はあるまいともいふんです」

 「夫ぢや好いでせう。醫者が左右いふなら。私の今話したのは氣が付かずにゐた人の事で、しかもそれが隨分亂暴な軍人なんだから」

 私は稍安心した。私の變化を凝と見てゐた先生は、それから斯う付け足した。

「然し人間は健康にしろ病氣にしろ、どつちにしても脆いものですね。いつ何んな事で何んな死にやうをしないとも限らないから」

 「先生もそんな事を考へて御出ですか」

 「いくら丈夫の私でも、滿更考へない事もありません」

 先生の口元には微笑の影が見えた。

 「よくころりと死ぬ人があるぢやありませんか。自然に。それからあつと思ふ間に死ぬ人もあるでせう。不自然な暴力で」

 「不自然な暴力つて何ですか」

 「何だかそれは私にも解らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使ふんでせう」

 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力の御蔭ですね」

 「殺される方はちつとも考へてゐなかつた。成程左右いへば左右だ」

 其日はそれで歸つた。歸つてからも父の病氣の事はそれ程苦にならなかつた。先生のいつた自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいふ言葉も、其場限りの淺い印象を與へた丈で、後は何等のこだわりを私の頭に殘さなかつた。私は今迄幾度か手を着けやうとしては手を引つ込めた卒業論文を、愈本式に書き始めなければならないと思ひ出した。

二十五  其年の六月に卒業する筈の私は、是非共此論文を成規通り四月一杯に書き上げて仕舞はなければならなかつた。二、三、四と指を折つて餘る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑ぐつた。他のものは餘程前から材料を蒐めたり、ノートを溜めたりして、餘所目にも忙がしさうに見えるのに、私丈はまだ何にも手を着けずにゐた。私にはたゞ年が改たまつたら大いに遣らうといふ決心丈があつた。私は其決心で遣り出した。さうして忽ち動けなくなつた。今迄大きな問題を空に描いて、骨組丈は略出來上つてゐる位に考へてゐた私は、頭を抑えて惱み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。さうして練り上げた思想を系統的に纏める手數を省くために、たゞ書物の中にある材料を竝べて、それに相當な結論を一寸付け加へる事にした。

 私の選擇した問題は先生の專問と縁故の近いものであつた。私がかつてその選擇に就いて先生の意見を尋ねた時、先生は好いでせうと云つた。狼狽した氣味の私は、早速先生の所へ出掛けて、私の讀まなければならない參考書を聞いた。先生は自分の知つてゐる限りの知識を、快よく私に與へて呉れた上に、必要の書物を二三冊貸さうと云つた。然し先生は此點について毫も私を指導する任に當らうとしなかつた。

 「近頃はあんまり書物を讀まないから、新らしい事は知りませんよ。學校の先生に聞いた方が好いでせう」

 先生は一時非常の讀書家であつたが、其後何ういふ譯か、前程此方面に興味が働らかなくなつたやうだと、かつて奧さんから聞いた事があるのを、私は其時不圖思ひ出した。私は論文を餘所にして、そゞろに口を開いた。

 「先生は何故元のやうに書物に興味を有ち得ないんですか」

 「何故といふ譯もありませんが。‥‥つまり幾何本を讀んでもそれ程えらくならないと思ふ所爲でせう。それから‥‥」

 「それから、未だあるんですか」

 「まだあるといふ程の理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のやうに極が惡かつたものだが、近頃は知らないといふ事が、それ程の恥でないやうに見え出したものだから、つい無理にも本を讀んで見やうといふ元氣が出なくなつたのでせう。まあ早く云へば老い込んだのです」

 先生の言葉は寧ろ平靜であつた。世間に脊中を向けた人の苦味を帶びてゐなかつた丈に、私にはそれ程の手應もなかつた。私は先生を老い込んだとも思はない代りに、偉いとも感心せずに歸つた。

 それからの私は殆んど論文に祟られた精神病者の樣に眼を赤くして苦しんだ。私は一年前に卒業した友達に就いて、色々樣子を聞いて見たりした。そのうちの一人は締切の日に車で事務所へ馳けつけて漸く間に合はせたと云つた。他の一人は五時を十五分程後らして持つて行つたため、危うく跳ね付けられやうとした所を、主任教授の好意でやつと受理して貰つたと云つた。私は不安を感ずると共に度胸を据ゑた。毎日机の前で精根のつゞく限り働らいた。でなければ、薄暗い書庫に這入つて、高い本棚のあちらこちらを見廻した。私の眼は好事家が骨董でも掘り出す時のやうに脊表紙の金文字をあさつた。

 梅が咲くにつけて寒い風は段々向を南へ更へて行つた。それが一仕切經つと、櫻の噂がちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のやうに正面許見て、論文に鞭たれた。私はついに四月の下旬が來て、やつと豫定通りのものを書き上げる迄、先生の敷居を跨がなかつた。

二十六  私の自由になつたのは、八重櫻の散つた枝にいつしか青い葉が霞むやうに伸び始める初夏の季節であつた。私は籠を拔け出した小鳥の心をもつて、廣い天地を一目に見渡しながら、自由に羽搏きをした。私はすぐ先生の家へ行つた。枳殻の垣が黒ずんだ枝の上に、萌るやうな芽を吹いてゐたり、柘榴の枯れた幹から、つや/\しい茶褐色の葉が、柔らかさうに日光を映してゐたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて始めてそんなものを見るやうな珍らしさを覺えた。

 先生は嬉しさうな私の顏を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といつた。私は「御蔭で漸やく濟みました。もう何にもする事はありません」と云つた。

 實際其時の私は、自分のなすべき凡ての仕事が既に結了して、是から先は威張つて遊んで居ても構はないやうな晴やかな心持でゐた。私は書き上げた自分の論文に對して充分の自信と滿足を有つてゐた。私は先生の前で、しきりに其内容を喋々した。先生は何時もの調子で、「成程」とか、「左右ですか」とか云つてくれたが、それ以上の批評は少しも加へなかつた。私は物足りないといふよりも、聊か拍子拔けの氣味であつた。それでも其日私の氣力は、因循らしく見える先生の態度に逆襲を試みる程に生々してゐた。私は青く蘇生らうとする大きな自然の中に、先生を誘ひ出さうとした。

 「先生何處かへ散歩しませう。外へ出ると大變好い心持です」

 「何處へ」

 「私は何處でも構はなかつた。たゞ先生を伴れて郊外へ出たかつた。

 一時間の後、先生と私は目的通り市を離れて、村とも町とも區別の付かない靜かな所を宛もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を もぎ取つて芝笛を鳴らした。ある鹿兒島人を友達にもつて、その人の眞似をしつゝ自然に習ひ覺えた私は、此芝笛といふものを鳴らす事が上手であつた。私が得意にそれを吹きつゞけると、先生は知らん顏をして餘所を向いて歩いた。

 やがて若葉に鎖ざされたやうに蓊鬱した小高い一構の下に細い路が開けた。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだら/\上りになつてゐる入口を眺めて、「這入つて見やうか」と云つた。私はすぐ「植木屋ですね」と答へた。

 植込の中を一うねりして奧へ上ると左側に家があつた。明け放つた障子の内はがらんとして人の影も見えなかつた。たゞ軒先に据ゑた大きな鉢の中に飼つてある金魚が動いてゐた。

 「靜かだね。斷わらずに這入つても構はないだらうか」

 「構はないでせう」

 二人は又奧の方へ進んだ。然しそこにも人影は見えなかつた。躑躅が燃えるやうに咲き亂れてゐた。先生はそのうちで樺色の丈の高いのを指して、「是は霧島でせう」と云つた。

 芍藥も十坪あまり一面に植付けられてゐたが、まだ季節が來ないので花を着けてゐるのは一本もなかつた。此芍藥畠の傍にある古びた縁臺のやうなものゝ上に先生は大の字なりに寐た。私は其餘つた端の方に腰を卸して烟草を吹かした。先生は蒼い透き徹るやうな空を見てゐた。私は私を包む若葉の色に心を奪はれてゐた。其若葉の色をよく/\眺めると、一々違つてゐた。同じ楓の樹でも同じ色を枝に着けてゐるものは一つもなかつた。細い杉苗の頂に投げ被せてあつた先生の帽子が風に吹かれて落ちた。

二十七  私はすぐ其帽子を取り上げた。所々に着いてゐる赤土を爪で彈きながら先生を呼んだ。

 「先生帽子が落ちました」

 「ありがたう」

 身體を半分起してそれを受取つた先生は、起きるとも寐るとも片付かない其姿勢の儘で、變な事を私に聞いた。

 「突然だが、君の家には財産が餘程あるんですか」

 「あるといふ程ありやしません」

 「まあ何の位あるのかね。失禮の樣だが」

 「何の位つて、山と田地が少しある限で、金なんか丸で無いんでせう」

 先生が私の家の經濟に就いて、問らしい問を掛けたのはこれが始めてゞあつた。私の方はまだ先生の暮し向に關して、何も聞いた事がなかつた。先生と知合になつた始め、私は先生が何うして遊んでゐられるかを疑ぐつた。其後も此疑ひは絶えず私の胸を去らなかつた。然し私はそんな露骨な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけと許思つて何時でも控えてゐた。若葉の色で疲れた眼を休ませてゐた私の心は、偶然また其疑ひに觸れた。

 「先生は何うなんです。何の位の財産を有つてゐらつしやるんですか」

 「私は財産家と見えますか」

 先生は平生から寧ろ質素な服裝をしてゐた。それに家内は少人數であつた。從つて住宅も決して廣くはなかつた。けれども其生活の物質的に豐な事は、内輪に這入り込まない私の眼にさへ明らかであつた。要するに先生の暮しは贅澤といへない迄も、あたぢけなく切り詰めた無彈力性のものではなかつた。

 「左右でせう」と私が云つた。

 「そりや其位の金はあるさ。けれども決して財産家ぢやありません。財産家ならもつと大きな家でも造るさ」

 此時先生は起き上つて、縁臺の上に胡坐をかいてゐたが、斯う云ひ終ると、竹の杖の先で地面の上へ圓のやうなものを描き始めた。それが濟むと、今度はステツキを突き刺すやうに眞直に立てた。

 「是でも元は財産家なんだがなあ」

 先生の言葉は半分獨言のやうであつた。それですぐ後に尾いて行き損なつた私は、つい默つてゐた。

 「是でも元は財産家なんですよ、君」と云ひ直した先生は、次に私の顏を見て微笑した。私はそれでも何とも答へなかつた。寧ろ不調法で答へられなかつたのである。すると先生が又問題を他へ移した。

 「あなたの御父さんの病氣は其後何うなりました」

 私は父の病氣について正月以後何にも知らなかつた。月々國から送つてくれる爲替と共に來る簡單な手紙は、例の通り父の手蹟であつたが、病氣の訴へはそのうちに殆んど見當らなかつた。其上書體も確であつた。此種の病人に見る顫が少しも筆の運を亂してゐなかつた。

 「何とも云つて來ませんが、もう好いんでせう」

 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」

 「矢張り駄目ですかね。でも當分は持ち合つてるんでせう。何とも云つて來ませんよ」

 「さうですか」

 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病氣を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだ儘を其通り口にする、普通の談話と思つて聞いてゐた。所が先生の言葉の底には兩方を結び付ける大きな意味があつた。先生自身の經驗を持たない私は無論其處に氣が付く筈がなかつた。

二十八  「君のうちに財産があるなら、今のうちに能く始末をつけて貰つて置かないと不可いと思ふがね、餘計な御世話だけれども。君の御父さんが達者なうちに、貰うものはちやんと貰つて置くやうにしたら何うですか。萬一の事があつたあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」

 「えゝ」

 私は先生の言葉に大した注意を拂はなかつた。私の家庭でそんな心配をしてゐるものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じてゐた。其上先生のいふ事の、先生として、あまりに實際的なのに私は少し驚ろかされた。然し其所は年長者に對する平生の敬意が私を無口にした。

 「あなたの御父さんが亡くなられるのを、今から豫想して掛るやうな言葉遣をするのが氣に觸つたら許して呉れ玉へ。然し人間は死ぬものだからね。何んなに達者なものでも、何時死ぬか分らないものだからね」

 先生の口氣は珍らしく苦々しかつた。

 「そんな事をちつとも氣に掛けちやゐません」と私は辯解した。

 「君の兄妹は何人でしたかね」と先生が聞いた。

 先生は其上に私の家族の人數を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の樣子を問ひなどした。さうして最後に斯ういつた。

 「みんな善い人ですか」

 「別に惡い人間といふ程のものもゐないやうです。大抵田舍者ですから」

 「田舍者は何故惡くないんですか」

 私は此追窮に苦しんだ。然し先生は私に返事を考へさせる餘裕さへ與へなかつた。

 「田舍者は都會のものより却つて惡い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、是といつて、惡い人間はゐないやうだと云ひましたね。然し惡い人間といふ一種の人間が世の中にあると君は思つてゐるんですか。そんな鑄型に入れたやうな惡人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざといふ間際に、急に惡人に變るんだから恐ろしいのです。だから油斷が出來ないんです」

 先生のいふ事は、此所で切れる樣子もなかつた。私は又此所で何か云はうとした。すると後の方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後を振り返つた。

 縁臺の横から後部へ掛けて植ゑ付けてある杉苗の傍に、熊笹が三坪程地を隱すやうに茂つて生えてゐた。犬はその顏と脊を熊笹の上に現はして、盛んに吠え立てた。そこへ十位の小供が馳けて來て犬を叱り付けた。小供は徽章の着いた黒い帽子を被つたまゝ先生の前へ廻つて禮をした。

 「叔父さん、這入つて來る時、家に誰もゐなかつたかい」と聞いた。

 「誰もゐなかつたよ」

 「姉さんやおつかさんが勝手の方に居たのに」

 「さうか、居たのかい」

 「あゝ。叔父さん、今日はつて、斷つて這入つて來ると好かつたのに」

 先生は苦笑した。懷中から蟇口を出して、五錢の白銅を小供の手に握らせた。

 「おつかさんに左右云つとくれ。少し此所で休まして下さいつて」

 小供は怜悧さうな眼に笑を漲らして、首肯いて見せた。

 「今斥候長になつてる所なんだよ」

 小供は斯う斷つて、躑躅の間を下の方へ駈け下りて行つた。尤も尻尾を高く卷いて小供の後を追ひ掛けた。しばらくすると同じ位の年格好の小供が二三人、是も斥候長の下りて行つた方へ駈けていつた。

二十九  先生の談話は、此犬と小供のために、結末迄進行する事が出來なくなつたので、私はついに其要領を得ないでしまつた。先生の氣にする財産云々の掛念は其時の私には全くなかつた。私の性質として、又私の境遇からいつて、其時の私には、そんな利害の念に頭を惱ます餘地がなかつたのである。考へると是は私がまだ世間に出ない爲でもあり、又實際其場に臨まない爲でもあつたらうが、兎に角若い私には何故か金の問題が遠くの方に見えた。

 先生の話のうちでたゞ一つ底迄聞きたかつたのは、人間がいざといふ間際に、誰でも惡人になるといふ言葉の意味であつた。單なる言葉としては、是丈でも私に解らない事はなかつた。然し私は此句に就いてもつと知りたかつた。

 犬と小供が去つたあと、廣い若葉の園は再び故の靜かさに歸つた。さうして我々は沈默に鎖ざされた人の樣にしばらく動かずにゐた。うるはしい空の色が其時次第に光を失なつて來た。眼の前にある樹は大概楓であつたが、其枝に滴るやうに吹いた輕い緑の若葉が、段々暗くなつて行く樣に思はれた。遠い往來を荷車を引いて行く響がごろ/\と聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出掛けるものと想像した。先生は其音を聞くと、急に瞑想から呼息を吹き返した人のやうに立ち上つた。

 「もう、徐々歸りませう。大分日が永くなつたやうだが、矢張斯う安閑としてゐるうちには、何時の間にか暮れて行くんだね」

 先生の脊中には、さつき縁臺の上に仰向に寐た痕が一杯着いてゐた。私は兩手でそれを拂ひ落した。

 「ありがたう。脂がこびり着いてやしませんか」

 「綺麗に落ちました」

 「此羽織はつい此間拵らえた許なんだよ。だから無暗に汚して歸ると、妻に叱られるからね。有難う」

 二人は又だら/\坂の中途にある家の前へ來た。這入る時には誰も氣色の見えなかつた縁に、御上さんが、十五六の娘を相手に、糸卷へ糸を卷きつけてゐた。二人は大きな金魚鉢の横から、「どうも御邪魔をしました」と挨拶した。御上さんは「いゝえ御構ひ申しも致しませんで」と禮を返した後、先刻小供に遣つた白銅の禮を述べた。

 門口を出て二三町來た時、私はついに先生に向つて口を切つた。

 「さき程先生の云はれた、人間は誰でもいざといふ間際に惡人になるんだといふ意味ですね。あれは何ういふ意味ですか」

 「意味といつて、深い意味もありません。――つまり事實なんですよ。理窟ぢやないんだ」

 「事實で差支ありませんが、私の伺ひたいのは、いざといふ間際といふ意味なんです。一體何んな場合を指すのですか」

 先生は笑ひ出した。恰も時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合がないと云つた風に。

 「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ惡人になるのさ」

 私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかつた。先生が調子に乘らない如く、私も拍子拔けの氣味であつた。私は澄ましてさつさと歩き出した。いきほひ先生は少し後れ勝になつた。先生はあとから「おい/\」と聲を掛けた。

 「そら見給へ」

 「何をですか」

 「君の氣分だつて、私の返事一つですく變るぢやないか」

 待ち合はせるために振り向いて立ち留まつた私の顏を見て、先生は斯う云つた。

三十  其時の私は腹の中で先生を憎らしく思つた。肩を竝べて歩き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにゐた。しかし先生の方では、それに氣が付いてゐたのか、ゐないのか、丸で私の態度に拘泥る樣子を見せなかつた。いつもの通り沈默がちに落付き拂つた歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹になつた。何とかいつて一つ先生を遣つ付けて見たくなつて來た。

 「先生」

 「何ですか」

 「先生はさつき少し昂奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでゐる時に。私は先生の昂奮したのを滅多に見た事がないんですが、今日は珍らしい所を拜見した樣な氣がします」

 先生はすぐ返事をしなかつた。私はそれを手應のあつたやうにも思つた。また的が外れたやうにも感じた。仕方がないから後は云はない事にした。すると先生がいきなり道の端へ寄つて行つた。さうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくつて小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやり其所に立つてゐた。

 「やあ失敬」

 先生は斯ういつて又歩き出した。私はとう/\先生を遣り込める事を斷念した。私達の通る道は段々賑やかになつた。今迄ちらほらと見えた廣い畠の斜面や平地が、全く眼に入らないやうに左右の家並みが揃つてきた。それでも所々宅地の隅などに、豌豆の蔓を竹にからませたり、金網で鶏を圍ひ飼ひにしたりするのが閑靜に眺められた。市中から歸る駄馬が仕切りなく擦れ違つて行つた。こんなものに始終氣を奪られがちな私は、さつき迄胸の中にあつた問題を何處かへ振り落して仕舞つた。先生が突然其所へ後戻りをした時、私は實際それを忘れてゐた。

 「私は先刻そんなに昂奮したやうに見えたんですか」

 「そんなにと云ふ程でもありませんが、少し‥‥」

 「いや見えても構はない。實際昂奮するんだから。私は財産の事をいふと屹度昂奮するんです。君には何う見えるか知らないが、私は是で大變執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年立つても二十年立つても忘れやしないんだから」

 先生の言葉は元よりも猶昂奮してゐた。然し私の驚ろいたのは、決して其調子ではなかつた。寧ろ先生の言葉が私の耳に訴へる意味そのものであつた。先生の口から斯んな自白を聞くのは、いかな私にも全く意外に相違なかつた。私は先生の性質の特色として、斯んな執着力を未だ甞て想像した事さへなかつた。私は先生をもつと弱い人と信じてゐた。さうして其弱くて高い處に、私の懷かしみの根を置いてゐた。一時の氣分で先生にちよつと盾を突いて見やうとした私は、此言葉の前に小さくなつた。先生は斯う云つた。

 「私は他に欺むかれたのです。しかも血のつゞいた親戚のものから欺むかれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であつたらしい彼等は、父の死ぬや否や許しがたい不徳義漢に變つたのです。私は彼等から受けた屈辱と損害を小供の時から今日迄脊負はされてゐる。恐らく死ぬ迄脊負はされ通しでせう。私は死ぬ迄それを忘れる事が出來ないんだから。然し私はまだ復讐をしずにゐる。考へると私は個人に對する復讐以上の事を現に遣つてゐるんだ。私は彼等を憎む許ぢやない、彼等が代表してゐる人間といふものを、一般に憎む事を覺えたのだ。私はそれで澤山だと思ふ」

 私は慰藉の言葉さへ口へ出せなかつた。

三十一  其日の談話も遂にこれぎりで發展せずにしまつた。私は寧ろ先生の態度に畏縮して、先へ進む氣が起らなかつたのである。

 二人は市の外れから電車に乘つたが、車内では殆んど口を聞かなかつた。電車を降りると間もなく別れなければならなかつた。別れる時の先生は、又變つてゐた。常よりは晴やかな調子で、「是から六月迄は一番氣樂な時ですね。ことによると生涯で一番氣樂かも知れない。精出して遊び玉へ」と云つた。私は笑つて帽子を脱つた。其時私は先生の顏を見て、先生は果して心の何處で、一般の人間を憎んでゐるのだらうかと疑つた。その眼、その口、何處にも厭世的の影は射してゐなかつた。

 私は思想上の問題に就いて、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。然し同じ問題に就いて、利益を受けやうとしても、受けられない事が間々あつたと云はなければならない。先生の談話は時として不得要領に終つた。其日二人の間に起つた郊外の談話も、此不得要領の一例として私の胸の裏に殘つた。

 無遠慮な私は、ある時遂にそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑つてゐた。私は斯う云つた。

 「頭が鈍くて要領を得ないのは構ひまんせんが、ちやんと解つてる癖に、はつきり云つて呉れないのは困ります」

 「私は何にも隱してやしません」

 「隱してゐらつしやいます」

 「あなたは私の思想とか意見とかいふものと、私の過去とを、ごちや/\に考へてゐるんぢやありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げた考を無暗に人に隱しやしません。隱す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それは又別問題になります」

 「別問題とは思はれません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私には殆んど價値のないものになります。私は魂の吹き込まれてゐない人形を與へられた丈で、滿足は出來ないのです」

 先生はあきれたと云つた風に、私の顏を見た。卷烟草を持つてゐた其手が少し顫へた。

 「あなたは大膽だ」

 「たゞ眞面目なんです。眞面目に人生から教訓を受けたいのです」

 「私の過去を訐いてもですか」

 訐くといふ言葉が、突然恐ろしい響を以て、私の耳を打つた。私は今私の前に坐つてゐるのが、一人の罪人であつて、不斷から尊敬してゐる先生でないやうな氣がした。先生の顏は蒼かつた。

 「あなたは本當に眞面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけてゐる。だから實はあなたも疑つてゐる。然し何うもあなた丈は疑りたくない。あなたは疑るには餘りに單純すぎる樣だ。私は死ぬ前にたつた一人で好いから、他を信用して死にたいと思つてゐる。あなたは其たつた一人になれますか。なつて呉れますか。あなたは腹の底から眞面目ですか」

 「もし私の命が眞面目なものなら、私の今いつた事も眞面目です」

 私の聲は顫へた。

 「よろしい」と先生が云つた。「話しませう。私の過去を殘らず、あなたに話して上げませう。其代り‥‥。いやそれは構はない。然し私の過去はあなたに取つて夫程有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、其積でゐて下さい。適當の時機が來なくつちや話さないんだから」

 私は下宿へ歸つてからも一種の壓迫を感じた。

三十二  私の論文は自分が評價してゐた程に、教授の眼にはよく見えなかつたらしい。それでも私は豫定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭くなつた古い冬服を行李の中から出して着た。式場にならぶと、何れもこれもみな暑さうな顏ばかりであつた。私は風の通らない厚羅紗の下に密封された自分の身體を持て餘した。しばらく立つてゐるうちに手に持つたハンケチがぐしよ/\になつた。

 私は式が濟むとすく歸つて裸體になつた。下宿の二階の窓をあけて、遠目鏡のやうにぐる/\卷いた卒業證書の穴から、見える丈の世の中を見渡した。それから其卒業證書を机の上に放り出した。さうして大の字になつて、室の眞中に寐そべつた。私は寐ながら自分の過去を顧みた。又自分の未來を想像した。すると其間に立つて一區切を付けてゐる此卒業證書なるものが、意味のあるやうな、又意味のないやうな變な紙に思はれた。

 私は其晩先生の家へ御馳走に招かれて行つた。是はもし卒業したら其日の晩餐は餘所で食はずに、先生の食卓で濟ますといふ前からの約束であつた。

 食卓は約束通り座敷の縁近くに据ゑられてあつた。模樣の織り出された厚い糊の硬い卓布が美くしく且清らかに電燈の光を射返してゐた。先生のうちで飯を食ふと、屹度此西洋料理店に見るやうな白いリンネルの上に、箸や茶碗が置かれた。さうしてそれが必ず洗濯したての眞白なものに限られてゐた。

 「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用ひる位なら、一層始から色の着いたものを使ふが好い。白ければ純白でなくつちや」

 斯う云はれて見ると、成程先生は潔癖であつた。書齋なども實に整然と片付いてゐた。無頓着な私には、先生のさういふ特色が折々著るしく眼に留まつた。

 「先生は癇性ですね」とかつて奧さんに告げた時、奧さんは「でも着物などは、それ程氣にしないやうですよ」と答へた事があつた。それを傍に聞いてゐた先生は、「本當をいふと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考へると實に馬鹿々々しい性分だ」と云つて笑つた。精神的に癇性といふ意味は、俗に神經質といふ意味か、又は倫理的に潔癖だといふ意味か、私には解らなかつた。奧さんにも能く通じないらしかつた。

 其晩私は先生と向ひ合せに、例の白い卓布の前に坐つた。奧さんは二人を左右に置いて、獨り庭の方を正面にして席を占めた。

 「御目出たう」と云つて、先生が私のために杯を上げて呉れた。私は此盃に對して夫程嬉しい氣を起さなかつた。無論私自身の心が此言葉に反響するやうに、飛び立つ嬉しさを有つてゐなかつたのが、一つの源因であつた。けれども先生の云ひ方も決して私の嬉しさを唆る浮々した調子を帶びてゐなかつた。先生は笑つて杯を上げた。私は其笑のうちに、些とも意地の惡いアイロニーを認めなかつた。同時に目出たいといふ眞情も汲み取る事が出來なかつた。先生の笑は、「世間はこんな場合によく御目出たうと云ひたがるものですね」と私に物語つてゐた。

 奧さんは私に「結構ね。嘸御父さんや御母さんは御喜びでせう」と云つて呉れた。私は突然病氣の父の事を考へた。早くあの卒業證書を持つて行つて見せて遣らうと思つた。

 「先生の卒業證書は何うしました」と私が聞いた。

 「何うしたかね。――まだ何處かに仕舞つてあつたかね」と先生が奧さんに聞いた。

 「えゝ、たしか仕舞つてある筈ですが」

 卒業證書の在處は二人とも能く知らなかつた。

三十三  飯になつた時、奧さんは傍に坐つてゐる下女を立たせて、自分で給仕の役をつとめた。これが表立たない客に對する先生の家の仕來りらしかつた。始めの一二囘は私も窮屈を感じたが、度數の重なるにつけ、茶碗を奧さんの前へ出すのが、何でもなくなつた。「御茶?御飯?隨分よく食べるのね」

 奧さんの方でも思ひ切つて遠慮のない事を云ふことがあつた。然し其日は、時候が時候なので、そんなに調戲はれる程食慾が進まなかつた。

 「もう御仕舞。あなた近頃大變小食になつたのね」

 「小食になつたんぢやありません。暑いんで食はれないんです」

 奧さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。

 「是は宅で拵えたのよ」

 用のない奧さんには、手製のアイスクリームを客に振舞ふだけの餘裕があると見えた。私はそれを二杯更へて貰つた。

 「君も愈卒業したが、是から何をする氣ですか」と先生が聞いた。先生は半分縁側の方へ席をずらして、敷居際で脊中を障子に靠たせてゐた。

 私にはたゞ卒業したといふ自覺がある丈で、是から何をしやうといふ目的もなかつた。返事にためらつてゐる私を見た時、奧さんは「教師?」と聞いた。それにも答へずにゐると、今度は、「ぢや御役人?」と又聞かれた。私も先生も笑ひ出した。

 「本當いふと、まだ何をする考へもないんです。實は職業といふものに就いて、全く考へた事がない位なんですから。だいち何れが善いか、何れが惡いか、自分が遣つて見た上でないと解らないんだから、選擇に困る譯だと思ひます」

 「それも左右ね。けれどもあなたは必竟財産があるからそんな呑氣な事を云つてゐられるのよ。是が困る人で御覽なさい。中々あなたの樣に落付いちや居られないから」

 私の友達には卒業しない前から、中學教師の口を探してゐる人があつた。私は腹の中で奧さんのいふ事實を認めた。然し斯う云つた。

 「少し先生にかぶれたんでせう」

 「碌なかぶれ方をして下さらないのね」

 先生は苦笑した。

 「かぶれても構はないから、其代り此間云つた通り、御父さんの生きてるうちに、相當の財産を分けて貰つて御置きなさい。それでないと決して油斷はならない」

 私は先生と一所に、郊外の植木屋の廣い庭の奧で話した、あの躑躅の咲いてゐる五月の初めを思ひ出した。あの時歸り途に、先生が昂奮した語氣で、私に物語つた強い言葉を、再び耳の底で繰り返した。それは強いばかりでなく、寧ろ凄い言葉であつた。けれども事實を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあつた。

 「奧さん、御宅の財産は餘ッ程あるんですか」

 「何だつてそんな事を御聞になるの」

 「先生に聞いても教へて下さらないから」

 奧さんは笑ひながら先生の顏を見た。

 「教へて上げる程ないからでせう」

 「でも何の位あつたら先生のやうにしてゐられるか、宅へ歸つて一つ父に談判する時の參考にしますから聞かして下さい」

 先生は庭の方を向いて、澄まして烟草を吹かしてゐた。相手は自然奧さんでなければならなかつた。

 「何の位つて程ありやしませんわ。まあ斯うして何うか斯うか暮して行かれる丈よ、あなた。――そりや何うでも宜いとして、あなたは是から何か爲さらなくつちや本當に不可せんよ。先生のやうにごろ/\許してゐちや‥‥」

 「ごろ/\許してゐやしないさ」

 先生はちよつと顏丈向け直して、奧さんの言葉を否定した。

三十四  私は其夜十時過に先生の家を辭した。二三日うちに歸國する筈になつてゐたので、座を立つ前に私は一寸暇乞の言葉を述べた。

 「又當分御目にかゝれませんから」

 「九月には出て入らつしやるんでせうね」

 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て來る必要もなかつた。然し暑い盛りの八月を東京迄來て送らうとも考へてゐなかつた。私には位置を求めるための貴重な時間といふものがなかつた。

 「まあ九月頃になるでせう」

 「ぢや隨分御機嫌よう。私達も此夏はことによると何處かへ行くかも知れないのよ。隨分暑さうだから。行つたら又繪端書でも送つて上げませう」

 「何ちらの見當です。若し入らつしやるとすれば」

 先生は此問答をにや/\笑つて聞いてゐた。

 「何まだ行くとも行かないとも極めてゐやしないんです」

 席を立たうとした時に、先生は急に私をつらまへて、「時に御父さんの病氣は何うなんです」と聞いた。私は父の健康に就いて殆んど知る所がなかつた。何とも云つて來ない以上、惡くはないのだらう位に考へてゐた。

 「そんなに容易く考へられる病氣ぢやありませんよ。尿毒症が出ると、もう駄目なんだから」

 尿毒症といふ言葉も意味も私には解らなかつた。此前の冬休みに國で醫者と會見した時に、私はそんな術語を丸で聞かなかつた。

 「本當に大事にして御上げなさいよ」と奧さんもいつた。「毒が惱へ廻るやうになると、もう夫つきりよ、あなた。笑ひ事ぢやないわ」

 無經驗な私は氣味を惡がりながらも、にや/\してゐた。

 「何うせ助からない病氣ださうですから、いくら心配したつて仕方がありません」

 「さう思ひ切りよく考へれば、夫迄ですけれども」

 奧さんは昔同じ病氣で死んだといふ自分の御母さんの事でも憶ひ出したのか、沈んだ調子で斯ういつたなり下を向いた。私も父の運命が本當に氣の毒になつた。

 すると先生が突然奧さんの方を向いた。

 「靜、御前はおれより先へ死ぬだらうかね」

 「何故」

 「何故でもない、たゞ聞いた見るのさ。それとも己の方が御前より前に片付くかな。大抵世間ぢや旦那が先で、細君が後へ殘るのが當り前のやうになつてるね」

 「さう極つた譯でもないわ。けれども男の方は何うしても、そら年が上でせう」

 「だから先へ死ぬといふ理窟なのかね。すると己も御前より先にあの世へ行かなくつちやならない事になるね」

 「あなたは特別よ」

 「さうかね」

 「だつて丈夫なんですもの。殆んど煩つた例がないぢやありませんか。そりや何うしたつて私の方が先だわ」

 「先かな」

 「え、屹度先よ」

 先生は私の顏を見た。私は笑つた。

 「然しもしおれの方が先へ行くとするね。さうしたら御前何うする」

 「何うするつて‥‥」

 奧さんは其所で口籠つた。先生の死に對する想像的な悲哀が、ちよつと奧さんの胸を襲つたらしかつた。けれども再び顏をあげた時は、もう氣分を更へてゐた。

 「何うするつて、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定つていふ位だから」

 奧さんはことさらに私の方を見て笑談らしく斯う云つた。

三十五  私は立て掛けた腰を又卸して、話の區切の付く迄二人の相手になつてゐた。

 「君は何う思ひます」と先生が聞いた。

 先生が先へ死ぬか、奧さんが早く亡くなるか、固より私に判斷のつくべき問題ではなかつた。私はたゞ笑つてゐた。

 「壽命は分りませんね。私にも」

 「是ばかりは本當に壽命ですからね。生れた時にちやんと極つた年數をもらつて來るんだから仕方がないわ。先生の御父さんや御母さんなんか、殆んど同なじよ、あなた、亡くなつたのが」

 「亡くなられた日がですか」

 「まさか日迄同なじぢやないけれども。でもまあ同なじよ。だつて續いて亡くなつちまつたんですもの」

 此知識は私にとつて新らしいものであつた。私は不思議に思つた。

 「何うしてさう一度に死なれたんですか」

 奧さんは私の問に答へやうとした。先生はそれを遮つた。

 「そんな話は御止しよ。つまらないから」

 先生は手に持つた團扇をわざとばた/\云はせた。さうして又奧さんを顧みた。

 「靜、おれが死んだら此家を御前に遣らう」

 奧さんは笑ひ出した。

 「序に地面も下さいよ」

 「地面は他のものだから仕方がない。其代りおれの持つてるものは皆な御前に遣るよ」

 「何うも有難う。けれども横文字の本なんか貰つても仕樣がないわね」

 「古本屋に賣るさ」

 「賣ればいくら位になつて」

 先生はいくらとも云はなかつた。けれども先生の話は、容易に自分の死といふ遠い問題を離れなかつた。さうして其死は必ず奧さんの前に起るものと假定されてゐた。奧さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答へをしてゐるらしく見えた。それが何時の間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。

 「おれが死んだら、おれが死んだらつて、まあ何遍仰しやるの。後生だからもう好い加減にして、おれが死んだらは止して頂戴。縁喜でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思ひ通りにして上げるから、それで好いぢやありませんか」

 先生は庭の方を向いて笑つた。然しそれぎり奧さんの厭がる事を云はなくなつた。私もあまり長くなるので、すぐ席を立つた。先生と奧さんは玄關迄送つて出た。

 「御病人を御大事に」と奧さんがいつた。

 「また九月に」と先生がいつた。

 私は挨拶をして格子の外へ足を踏み出した。玄關と門の間にあるこんもりした木犀の一株が、私の行手を塞ぐやうに、夜陰のうちに枝を張つてゐた。私は二三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被はれてゐる其梢を見て、來るべき秋の花と香を想ひ浮べた。私は先生の宅と此木犀とを、以前から心のうちで、離す事の出來ないものゝやうに、一所に記憶してゐた。私が偶然其樹の前に立つて、再びこの宅の玄關を跨ぐべき次の秋に思を馳せた時、今迄格子の間から射してゐた玄關の電燈がふつと消えた。先生夫婦はそれぎり奧へ這入たらしかつた。私は一人暗い表へ出た。

 私はすぐ下宿へは戻らなかなつた。國へ歸る前に調のへる買物もあつたし、御馳走を詰めた胃袋にくつろぎを與へる必要もあつたので、たゞ賑やかな町の方へ歩いて行つた。町はまだ宵の口であつた。用事もなささうな男女がぞろ/\動く中に、私は今日私と一所に卒業したなにがしに會つた。彼は私を無理やりにある酒場へ連れ込んだ。私は其所で麥酒の泡のやうな彼の氣 えんを聞かされた。私の下宿へ歸つたのは十二時過であつた。

三十六  私は其翌日も暑さを冒して、頼まれものを買ひ集めて歩いた。手紙で注文を受けた時は何でもないやうに考へてゐたのが、いざとなると大變臆劫に感ぜられた。私は電車の中で汗を拭きながら、他の時間と手數に氣の毒といふ觀念を丸で有つてゐない田舍者を憎らしく思つた。

 私は此一夏を無爲に過ごす氣はなかつた。國へ歸つてからの日程といふやうなものを豫め作つて置いたので、それを履行するに必要な書物も手に入れなければならなかつた。私は半日を丸善の二階で潰す覺悟でゐた。私は自分に關係の深い部門の書籍棚の前に立つて、隅から隅迄一冊づつ點檢して行つた。

 買物のうちで一番私を困らせたのは女の半襟であつた。小僧にいふと、いくらでも出しては呉れるが、偖何れを選んでいゝのか、買ふ段になつては、只迷ふ丈であつた。其上價が極めて不定であつた。安からうと思つて聞くと、非常に高かつたり、高からうと考へて、聞かずにゐると、却つて大變安かつたりした。或はいくら比べて見ても、何處から價格の差違が出るのか見當の付かないのもあつた。私は全く弱らせられた。さうして心のうちで、何故先生の奧さんを煩はさなかつたかを悔いた。

 私は鞄を買つた。無論和製の下等な品に過ぎなかつたが、それでも金具やなどがぴか/\してゐるので、田舍ものを威嚇かすには充分であつた。此鞄を買ふといふ事は、私の母の注文であつた。卒業したら新らしい鞄を買つて、そのなかに一切の土産ものを入れて歸るやうにと、わざわざ手紙の中に書いてあつた。私は其文句を讀んだ時に笑ひ出した。私には母の料簡が解らないといふよりも、其言葉が一種の滑稽として訴へたのである。

 私は暇乞をする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立つて國へ歸つた。此冬以來父の病氣に就いて先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、何ういふものか、それが大して苦にならなかつた。私は寧ろ父が居なくなつたあとの母を想像して氣の毒に思つた。其位だから私は心の何處かで、父は既に亡くなるべきものと覺悟してゐたに違なかつた。九州にゐる兄へ遣つた手紙のなかにも、私は父の到底故の樣な健康體になる見込のない事を述べた。一度などは職務の都合もあらうが、出來るなら繰り合せて此夏位一度顏丈でも見に歸つたら何うだと迄書いた。其上年寄が二人ぎりで田舍にゐるのは定めて心細いだらう、我々も子として遺憾の至であるといふやうな感傷的な文句さへ使つた。私は實際心に浮ぶ儘を書いた。けれども書いたあとの氣分は書いた時とは違つてゐた。

 私はさうした矛盾を汽車の中で考へた。考へてゐるうちに自分が自分に氣の變りやすい輕薄ものゝやうに思はれて來た。私は不愉快になつた。私は又先生夫婦の事を想ひ浮べた。ことに二三日前晩食に呼ばれた時の會話を憶ひ出した。

 「何つちが先へ死ぬだらう」

 私は其晩先生と奧さんの間に起つた疑問をひとり口の内で繰り返して見た。さうして此疑問には誰も自信をもつて答へる事が出來ないのだと思つた。然し何方が先へ死ぬと判然分つてゐたならば、先生は何うするだらう。奧さんは何うするだらう。先生も奧さんも、今のやうな態度でゐるより外に仕方がないだらうと思つた。(死に近づきつゝある父を國元に控えながら、此私が何うする事も出來ないやうに。)私は人間を果敢ないものに觀じた。人間の何うする事も出來ない持つて生れた輕薄を、果敢ないものに觀じた。

中 兩親と私 一  宅へ歸つて案外に思つたのは、父の元氣が此前見た時と大して變つてゐない事であつた。

 「あゝ歸つたかい。さうか、それでも卒業が出來てまあ結構だつた。一寸御待ち、今顏を洗つて來るから」

 父は庭へ出て何か爲てゐた所であつた。古い麥藁帽の後へ、日除のために括り付けた薄汚ないハンケチをひら/\させながら、井戸のある裏手の方へ廻つて行つた。

 學校を卒業するのを普通の人間として當然のやうに考へてゐた私は、それを豫期以上に喜こんで呉れる父の前に恐縮した。

 「卒業が出來てまあ結構だ」

 父は此言葉を何遍も繰り返した。私は心のうちで此父の喜びと、卒業式のあつた晩先生の家の食卓で、「御目出たう」と云はれた時の先生の顏付とを比較した。私には口で祝つてくれながら、腹の底でけなしてゐる先生の方が、それ程にもないものを珍らしさうに嬉しがる父よりも、却つて高尚に見えた。私は仕舞に父の無知から出る田舍臭い所に不快を感じ出した。

 「大學位卒業したつて、それ程結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だつてあります」

 私は遂に斯んな口の利きやうをした。すると父が變な顏をした。

 「何も卒業したから結構とばかり云ふんぢやない。そりや卒業は結構に違ないが、おれの云ふのはもう少し意味があるんだ。それが御前に解つてゐて呉れさへすれば、‥‥」

 私は父から其後を聞かうとした。父は話したくなささうであつたが、とう/\斯う云つた。

 「つまり、おれが結構といふ事になるのさ。おれは御前の知つてる通りの病氣だらう。去年の冬御前に會つた時、ことによるともう三月か四月位なものだらうと思つてゐたのさ。それが何ういふ仕合せか、今日迄斯うしてゐる。起居に不自由なく斯うしてゐる。そこへ御前が卒業して呉れた。だから嬉しいのさ。折角丹精した息子が、自分の居なくなつた後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに學校を出てくれる方が親の身になれば嬉しいだらうぢやないか。大きな考を有つてゐる御前から見たら、高が大學を卒業した位で、結構だ/\と云はれるのは餘り面白くもないだらう。然しおれの方から見て御覽、立場が少し違つてゐるよ。つまり卒業は御前に取つてより、此おれに取つて結構なんだ。解つたかい」

 私は一言もなかつた。詫まる以上に恐縮して俯向いてゐた。父は平氣なうちに自分の死を覺悟してゐたものと見える。しかも私の卒業する前に死ぬだらうと思ひ定めてゐたと見える。其卒業が父の心に何の位響くかも考へずにゐた私は全く愚ものであつた。私は鞄の中から卒業證書を取り出して、それを大事さうに父と母に見せた。證書は何かに壓し潰されて、元の形を失つてゐた。父はそれを鄭寧に伸した。

 「こんなものは卷いたなり手に持つて來るものだ」

 「中に心でも入れると好かつたのに」と母も傍から注意した。

 父はしばらくそれを眺めた後、起つて床の間の所へ行つて、誰の目にもすぐ這入るやうな正面へ證書を置いた。何時もの私ならすぐ何とかいふ筈であつたが、其時の私は丸で平生と違つてゐた。父や母に對して少しも逆らふ氣が起らなかつた。私はだまつて父の爲すが儘に任せて置いた。一旦癖のついた鳥の子紙の證書は、中々父の自由にならなかつた。適當な位置に置かれるや否や、すぐ己れに自然な勢を得て倒れやうとした。

二  私は母を蔭へ呼んで父の病状を尋ねた。

 「御父さんはあんなに元氣さうに庭へ出たり何かしてゐるが、あれで可いんですか」「もう何ともないやうだよ。大方好く御なりなんだらう」

 母は案外平氣であつた。都會から懸け隔たつた森や田の中に住んでゐる女の常として、母は斯ういふ事に掛けては丸で無知識であつた。それにしても此前父が卒倒した時には、あれ程驚ろいて、あんなに心配したものを、と私は心のうちで獨り異な感じを抱いた。

 「でも醫者はあの時到底六づかしいつて宣告したぢやありませんか」

 「だから人間の身體ほど不思議なものはないと思ふんだよ。あれ程御醫者が手重く云つたものが、今迄しやん/\してゐるんだからね。御母さんも始めのうちは心配して、成るべく動かさないやうにと思つてたんだがね。それ、あの氣性だらう。養生はしなさるけれども、強情でねえ。自分が好いと思ひ込んだら、中々私のいふ事なんか、聞きさうにもなさらないんだからね」

 私に此前歸つた時、無理に床を上げさして、髭を剃つた父の樣子と態度とを思ひ出した。「もう大丈夫、御母さんがあんまり仰山過ぎるから不可ないんだ」といつた其時の言葉を考へて見ると、滿更母ばかり責める氣にもなれなかつた。「然し傍でも少しは注意しなくつちや」と云はうとした私は、とう/\遠慮して何にも口へ出さなかつた。たゞ父の病の性質に就いて、私の知る限りを教へるやうに話して聞かせた。然し其大部分は先生と先生の奧さんから得た材料に過ぎなかつた。母は別に感動した樣子も見せなかつた。たゞ「へえ、矢つ張り同なじ病氣でね。御氣の毒だね。いくつで御亡くなりかえ、其方は」などゝ聞いた。

 私は仕方がないから、母を其儘にして置いて直接父に向つた。父は私の注意を母よりは眞面目に聞いてくれた。「尤もだ。御前のいふ通りだ。けれども、己の身體は必竟己の身體で、其己の身體に就いての養生法は、多年の經驗上、己が一番能く心得てゐる筈だからね」と云つた。それを聞いた母は苦笑した。「それ御覽な」と云つた。

 「でも、あれで御父さんは自分でちやんと覺悟丈はしてゐるんですよ。今度私が卒業して歸つたのを大變喜こんでゐるのも、全く其爲なんです。生きてるうちに卒業は出來まいと思つたのが、達者なうちに免状を持つて來たから、それで嬉しいんだつて、御父さんは自分でさう云つてゐましたぜ」

 「そりや、御前、口でこそさう御云ひだけれどもね。御腹のなかではまだ大丈夫だと思つて御出のだよ」

 「左右でせうか」

 「まだ/\十年も二十年も生きる氣で御出のだよ。尤も時々はわたしにも心細いやうな事を御云ひだがね。おれも此分ぢやもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、御前は何うする、一人で此家に居る氣かなんて」

 私は急に父が居なくなつて母一人が取り殘された時の、古い廣い田舍家を想像して見た。此家から父一人を引き去つた後は、其儘で立ち行くだらうか。兄は何うするだらうか。母は何といふだらうか。さう考へる私は又此所の土を離れて、東京で氣樂に暮らして行けるだらうか。私は母を眼の前に置いて、先生の注意――父の丈夫でゐるうちに、分けて貰ふものは、分けて貰つて置けといふ注意を、偶然思ひ出した。

 「なにね、自分で死ぬ/\つて云ふ人に死んだ試はないんだから安心だよ。御父さんなんぞも、死ぬ死ぬつて云ひながら、是から先まだ何年生きなさるか分るまいよ。夫よりか默つてる丈夫の人の方が劒呑さ」

 私は理窟から出たとも統計から來たとも知れない、此陳腐なやうな母の言葉を默然と聞いてゐた。

三  私のために赤い飯を炊いて客をするといふ相談が父と母の間に起つた。私は歸つた當日から、或は斯んな事になるだらうと思つて、心のうちで暗にそれを恐れてゐた。私はすぐ斷わつた。

 「あんまり仰山な事は止して下さい」

 私は田舍の客が嫌だつた。飮んだり食つたりするのを、最後の目的として遣つて來る彼等は、何か事があれば好いといつた風の人ばかり揃つてゐた。私は子供の時から彼等の席に侍するのを心苦しく感じてゐた。まして自分のために彼等が來るとなると、私の苦痛は一層甚しいやうに想像された。然し私は父や母の手前、あんな野鄙な人を集めて騒ぐのは止せとも云ひかねた。それで私はたゞあまり仰山だからとばかり主張した。

 「仰山々々と御云ひだが、些とも仰山ぢやないよ。生涯に二度とある事ぢやないんだからね、御客位するのは當り前だよ。さう遠慮を御爲でない」

 母は私が大學を卒業したのを、嫁でも貰つたと同じ程度に、重く見てゐるらしかつた。

 「呼ばなくつても好いが、呼ばないと又何とか云ふから」

 是は父の言葉であつた。父は彼等の陰口を氣にしてゐた。實際彼等はこんな場合に、自分達の豫期通りにならないと、すぐ何とか云ひたかる人々であつた。

 「東京と違つて田舍は蒼蠅いからね」

 父は斯うも云つた。

 「御父さんの顏もあるんだから」と母が又付け加へた。

 私は我を張る譯にも行かなかつた。何うでも二人の都合の好いやうにしたらと思ひ出した。

 「つまり私のためなら、止して下さいと云ふ丈なんです。陰で何か云はれるのが厭だからといふ御主意なら、そりや又別です。あなたがたに不利益な事を私が強ひて主張したつて仕方がありません」

 「さう理窟を云はれると困る」

 父は苦い顏をした。

 「何も御前の爲にするんぢやないと御父さんが仰しやるんぢやないけれども、御前だつて世間への義理位は知つてゐるだらう」

 母は斯うなると女だけにしどろもどろな事を云つた。其代り口數からいふと、父と私を二人寄せても中々敵ふどころではなかつた。

 「學問をさせると人間が兎角理窟つぽくなつて不可ない」

 父はたゞ是丈しか云はなかつた。然し私は此簡單な一句のうちに、父が平生から私に對して有つてゐる不平の全體を見た。私は其時自分の言葉使ひの角張つた所に氣が付かずに、父の不平の方ばかりを無理の樣に思つた。

 父は其夜また氣を更へて、客を呼ぶなら何日にするかと私の都合を聞いた。都合の好いも惡いもなしに只ぶら/\古い家の中に寐起してゐる私に、斯んな問を掛けるのは、父の方が折れて出たのと同じ事であつた。私は此穩やかな父の前に拘泥らない頭を下げた。私は父と相談の上招待の日取を極めた。

 其日取のまだ來ないうちに、ある大きな事が起つた。それは明治天皇の御病氣の報知であつた。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡つた此事件は、一軒の田舍家のうちに多少の曲折を經て漸く纏まらうとした私の卒業祝を、塵の如くに吹き拂つた。

 「まあ御遠慮申した方が可からう」

 眼鏡を掛けて新聞を見てゐた父は斯う云つた。父は默つて自分の病氣の事も考へてゐるらしかつた。私はつい此間の卒業式に例年の通り大學へ行幸になつた陛下を憶ひ出したりした。

四  小勢な人數には廣過ぎる古い家がひつそりしてゐる中に、私は行李を解いて書物を繙き始めた。何故か私は氣が落ち付かなかつた。あの目眩るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳にしながら、頁を一枚々々にまくつて行く方が、氣に張があつて心持よく勉強が出來た。

 私は稍ともすると机にもたれて假寐をした。時にはわざ/\枕さへ出して本式に晝寐を貪ぼる事もあつた。眼が覺めると、蝉の聲を聞いた。うつゝから續いてゐるやうな其聲は、急に八釜しく耳の底を掻き亂した。私は凝とそれを聞きながら、時に悲しい思を胸に抱いた。

 私は筆を執つて友達のだれかれに短かい端書又は長い手紙を書いた。其友達のあるものは東京に殘つてゐた。あるものは遠い故郷に歸つてゐた。返事の來るのも、音信の屆かないのもあつた。私は固より先生を忘れなかつた。原稿紙へ細字で三枚ばかり國へ歸つてから以後の自分といふやうなものを題目にして書き綴つたのを送る事にした。私はそれを封じる時、先生は果してまだ東京にゐるだらうかと疑ぐつた。先生が奧さんと一所に宅を空ける場合には、五十恰好の切下の女の人が何處からか來て、留守番をするのが例になつてゐた。私がかつて先生にあの人は何ですかと尋ねたら、先生は何と見えますかと聞き返した。私は其人を先生の親類と思ひ違へてゐた。先生は「私には親類はありませんよ」と答へた。先生の郷里にゐる續きあひの人々と、先生は一向音信の取り遣りをしてゐなかつた。私の疑問にした其留守番の女の人は、先生とは縁のない奧さんの方の親戚であつた。私は先生に郵便を出す時、不圖幅の細い帶を樂に後で結んでゐる其人の姿を思ひ出した。もし先生夫婦が何處かへ避暑にでも行つたあとへ此郵便が屆いたら、あの切下の御婆さんは、それをすぐ轉地先へ送つて呉れる丈の氣轉と親切があるだらうかなどと考へた。其癖その手紙のうちには是といふ程の必要の事も書いてないのを、私は能く承知してゐた。たゞ私は淋しかつた。さうして先生から返事の來るのを豫期してかゝつた。然しその返事は遂に來なかつた。

 父は此前の冬に歸つて來た時程將棋を差したがらなくなつた。將棋盤はほこりの溜つた儘、床の間の隅に片寄せられてあつた。ことに陛下の御病氣以後父は凝と考へ込んでゐるやうに見えた。毎日新聞の來るのを待ち受けて、自分が一番先へ讀んだ。それから其讀がらをわざ/\私の居る所へ持つて來て呉れた。

 「おい御覽、今日も天子樣の事が詳しく出てゐる」

 父は陛下のことを、つねに天子さまと云つてゐた。

 「勿體ない話だが、天子さまの御病氣も、お父さんのとまあ似たものだらうな」

 斯ういふ父の顏には深い掛念の曇がかかつてゐた。斯う云はれる私の胸には又父が何時斃れるか分らないといふ心配がひらめいた。

 「然し大丈夫だらう。おれの樣な下らないものでも、まだ斯うしてゐられる位だから」

 父は自分の達者な保證を自分で與へながら、今にも己れに落ちかゝつて來さうな危險を豫感してゐるらしかつた。

 「御父さんは本當に病氣を怖がつてるんですよ。御母さんの仰しやるやうに、十年も二十年も生きる氣ぢやなささうですぜ」

 母は私の言葉を聞いて當惑さうな顏をした。

 「ちつと又將棋でも差すやうに勸めて御覽な」

 私は床の間から將棋盤を取り卸して、ほこりを拭いた。

五  父の元氣は次第に衰ろへて行つた。私を驚ろかせたハンケチ付の古い麥藁帽子が自然と閑却されるやうになつた。私は黒い煤けた棚の上に載つてゐる其帽子を眺めるたびに、父に對して氣の毒な思をした。父が以前のやうに、輕々と動く間は、もう少し愼んで呉れたらと心配した。父が凝と坐り込むやうになると、矢張り元の方が達者だつたのだといふ氣が起つた。私は父の健康に就いてよく母と話し合つた。

 「全たく氣の所爲だよ」と母が云つた。母の頭は陛下の病と父の病とを結び付けて考へてゐた。私にはさう許とも思へなかつた。

 「氣ぢやない、本當に身體が惡かないんでせうか。何うも氣分より健康の方が惡くなつて行くらしい」

 私は斯う云つて、心のうちで又遠くから相當の醫者でも呼んで、一つ見せやうかしらと思案した。

 「今年の夏は御前も詰らなからう。折角卒業したのに、御祝もして上げる事が出來ず、御父さんの身體もあの通りだし。それに天子樣の御病氣で。――いつその事、歸るすぐに御客でも呼ぶ方が好かつたんだよ」

 私が歸つたのは七月の五六日で、父や母が私の卒業を祝ふために客を呼ばうと云ひだしたのは、それから一週間後であつた。さうして愈と極めた日はそれから又一週間の餘も先になつてゐた。時間に束縛を許さない悠長な田舍に歸つた私は、御蔭で好もしくない社交上の苦痛から救はれたも同じ事であつたが、私を理解しない母は少しも其所に氣が付いてゐないらしかつた。

 崩御の報知が傳へられた時、父は其新聞を手にして、「あゝ、あゝ」と云つた。

 「あゝ、あゝ、天子樣もとう/\御かくれになる。己も‥‥」

 父は其後を云はなかつた。

 私は黒いうすものを買ふために町へ出た。それで旗竿の球を包んで、それで旗竿の先へ三寸幅のひら/\を付けて、門の扉の横から斜めに往來へさし出した。旗も黒いひら/\も、風のない空氣のなかにだらりと下つた。私の宅の古い門の屋根は藁で葺いてあつた。雨や風に打たれたり又吹かれたりした其藁の色はとくに變色して、薄く灰色を帶びた上に、所々の凸凹さへ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黒いひら/\と、白いめりんすの地と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。私はかつて先生から「あなたの宅の構は何んな體裁ですか。私の郷里の方とは大分趣が違つてゐますかね」と聞かれた事を思ひ出した。私は自分の生れた此古い家を、先生に見せたくもあつた。又先生に見せるのが恥づかしくもあつた。

 私は又一人家のなかへ這入つた。自分の机の置いてある所へ來て、新聞を讀みながら、遠い東京の有樣を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、何んなに暗いなかで何んなに動いてゐるだらうかの畫面に集められた。私はその黒いなりに動かなければ仕末のつかなくなつた都會の、不安でざわ/\してゐるなかに、一點の燈火の如くに先生の家を見た。私は其時此燈火が音のしない渦の中に、自然と捲き込まれてゐる事に氣が付かなかつた。しばらくすれば、其灯も亦ふつと消えてしまふべき運命を、眼の前に控えてゐるのだとは固より氣が付かなかつた。

 私は今度の事件に就いて先生に手紙を書かうかと思つて、筆を執りかけた。私はそれを十行ばかり書いて已めた。書いた所は寸々に引き裂いて屑籠へ投げ込んだ。(先生に宛てゝさう云ふ事を書いても仕方がないとも思つたし、前例に徴して見ると、とても返事を呉れさうになかつたから)。私は淋しかつた。それで手紙を書のであつた。さうして返事が來れば好いと思ふのであつた。

六  八月の半ごろになつて、私はある朋友から手紙を受け取つた。その中に地方の中學教員の口があるが行かないかと書いてあつた。此朋友は經濟の必要上、自分でそんな位地を探し廻る男であつた。此口も始めは自分の所へかゝつて來たのだが、もつと好い地方へ相談が出來たので、餘つた方を私に讓る氣で、わざ/\知らせて來て呉れたのであつた。私はすぐ返事を出して斷つた。知り合ひの中には、隨分骨を折つて、教師の職にありつきたがつてゐるものがあるから、其方へ廻して遣つたら好からうと書いた。

 私は返事を出した後で、父と母に其話をした。二人とも私の斷つた事に異存はないやうであつた。

 「そんな所へ行かないでも、まだ好い口があるだらう」

 斯ういつて呉れる裏に、私は二人が私に對して有つてゐる過分な希望を讀んだ。迂濶な父や母は、不相當な地位と収入とを卒業したての私から期待してゐるらしかつたのである。

 「相當の口つて、近頃ぢやそんな旨い口は中々あるものぢやありません。ことに兄さんと私とは專問も違ふし、時代も違ふんだから、二人を同じやうに考へられちや少し困ります」

 「然し卒業した以上は、少くとも獨立して遣つて行つて呉れなくつちや此方も困る。人からあなたの所の御二男は、大學を卒業なすつて何をして御出ですかと聞かれた時に返事が出來ない樣ぢや、おれも肩身が狹いから」

 父は澁面をつくつた。父の考へは古く住み慣れた郷里から外へ出る事を知らなかつた。其郷里の誰彼から、大學を卒業すればいくら位月給が取れるものだらうと聞かれたり、まあ百圓位なものだらうかと云はれたりした父は、斯ういふ人々に對して、外聞の惡くないやうに、卒業したての私を片付けたかつたのである。廣い都を根據地として考へてゐる私は、父や母から見ると、丸で足を空に向けて歩く奇體な人間に異ならなかつた。私の方でも、實際さういふ人間のやうな氣持を折々起した。私はあからさまに自分の考へを打ち明けるには、あまりに距離の懸隔の甚しい父と母の前に默然としてゐた。

 「御前のよく先生々々といふ方にでも御願したら好いぢやないか。斯んな時こそ」

 母は斯うより外に先生を解釋する事が出來なかつた。其先生は私に國へ歸つたら父の生きてゐるうちに早く財産を分けて貰へと勸める人であつた。卒業したから、地位の周旋をして遣らうといふ人ではなかつた。

 「其先生は何をしてゐるのかい」と父が聞いた。

 「何もして居ないんです」と私が答へた。

 私はとくの昔から先生の何もしてゐないといふ事を父にも母にも告げた積でゐた。さうして父はたしかに夫を記憶してゐる筈であつた。

 「何もしてゐないと云ふのは、また何ういふ譯かね。御前がそれ程尊敬する位な人なら何か遣つてゐさうなものだがね」

 父は斯ういつて、私を諷した。父の考へでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相當の地位を得て働らいてゐる。必竟やくざだから遊んでゐるのだと結論してゐるらしかつた。

 「おれの樣な人間だつて、月給こそ貰つちやゐないが、是でも遊んでばかりゐるんぢやない」

 父はかうも云つた。私は夫でもまだ默つてゐた。

 「御前のいふ樣な偉い方なら、屹度何か口を探して下さるよ。頼んで御覽なのかい」と母が聞いた。

 「いゝえ」と私は答へた。

 「ぢや仕方がないぢやないか。何故頼まないんだい。手紙でも好いから御出しな」

 「えゝ」

 私は生返事をして席を立つた。

七  父は明らかに自分の病氣を恐れてゐた。然し醫者の來るたびに蒼蠅い質問を掛けて相手を困らす質でもなかつた。醫者の方でも亦遠慮して何とも云はなかつた。

 父は死後の事を考へてゐるらしかつた。少なくとも自分が居なくなつた後のわが家を想像して見るらしかつた。

 「小供に學問をさせるのも、好し惡しだね。折角修業をさせると、其小供は決して宅へ歸つて來ない。是ぢや手もなく親子を隔離するために學問させるやうなものだ」

 學問をした結果兄は今遠國にゐた。教育を受けた因果で、私は又東京に住む覺悟を固くした。斯ういふ子を育てた父の愚癡はもとより不合理ではなかつた。永年住み古した田舍家の中に、たつた一人取り殘されさうな母を描き出す父の想像はもとより淋しいに違ひなかつた。

 わが家は動かす事の出來ないものと父は信じ切つてゐた。其中に住む母も亦命のある間は、動かす事の出來ないものと信じてゐた。自分が死んだ後、この孤獨な母を、たつた一人伽藍堂のわが家に取り殘すのも亦甚しい不安であつた。それだのに、東京で好い地位を求めろと云つて、私を強ひたがる父の頭には矛盾があつた。私は其矛盾を可笑しく思つたと同時に、其御蔭で又東京へ出られるのを喜こんだ。

 私は父や母の手前、此地位を出來る丈の努力で求めつゝある如くに裝ほはなくてはならなかつた。私は先生に手紙を書いて、家の事情を精しく述べた。もし自分の力で出來る事があつたら何でもするから周旋して呉れと頼んだ。私は先生が私の依頼に取り合ふまいと思ひながら此手紙を書いた。又取り合ふ積でも、世間の狹い先生としては何うする事も出來まいと思ひながら此手紙を書いた。然し私は先生から此手紙に對する返事が屹度來るだらうと思つて書いた。

 私はそれを封じて出す前に母に向かつて云つた。

 「先生に手紙を書きましたよ。あなたの仰しやつた通り。一寸讀んで御覽なさい」

 母は私の想像したごとくそれを讀まなかつた。

 「さうかい、夫ぢや早く御出し。そんな事は他が氣を付けないでも、自分で早く遣るものだよ」

 母は私をまだ子供のやうに思つてゐた。私も實際子供のやうな感じがした。

 「然し手紙ぢや用は足りませんよ。何うせ、九月にでもなつて、私が東京へ出てからでなくつちや」

 「そりや左右かも知れないけれども、又ひよつとして、何んな好い口がないとも限らないんだから、早く頼んで置くに越した事はないよ」

 「えゝ。兎に角返事は來るに極つてますから、さうしたら又御話ししませう」

 私は斯んな事に掛けて几帳面な先生を信じてゐた。私は先生の返事の來るのを心待に待つた。けれども私の豫期はついに外れた。先生からは一週間經つても何の音信もなかつた。

 「大方どこかへ避暑にでも行つてゐるんでせう」

 私は母に向つて云譯らしい言葉を使はなければならなかつた。さうして其言葉は母に對する言譯ばかりでなく、自分の心に對する言譯でもあつた。私は強ひても何かの事情を假定して先生の態度を辯護しなければ不安になつた。

 私は時々父の病氣を忘れた。いつそ早く東京へ出てしまはうかと思つたりした。其父自身もおのれの病氣を忘れる事があつた。未來を心配しながら、未來に對する所置は一向取らなかつた。私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父に云ひ出す機會を得ずに過ぎた。

八  九月始めになつて、私は愈又東京へ出やうとした。私は父に向つて當分今迄通り學資を送つて呉れるやうにと頼んだ。

 「此所に斯うしてゐたつて、あなたの仰しやる通りの地位が得られるものぢやないですから」

 私は父の希望する地位を得るために東京へ行くやうな事を云つた。

 「無論口の見付かる迄で好いですから」とも云つた。

 私は心のうちで、其口は到底私の頭の上に落ちて來ないと思つてゐた。けれども事情にうとい父はまた飽く迄も其反對を信じてゐた。

 「そりや僅の間の事だらうから、何うにか都合してやらう。其代り永くは不可いよ。相當の地位を得次第獨立しなくつちや。元來學校を出た以上、出たあくる日から他の世話になんぞなるものぢやないんだから。今の若いものは、金を使ふ道だけ心得てゐて、金を取る方は全く考へてゐないやうだね」

 父は此外にもまだ色々の小言を云つた。その中には、「昔の親は子に食はせて貰つたのに、今の親は子に食はれる丈だ」などゝいふ言葉があつた。それ等を私はたゞ默つて聞いてゐた。

 小言が一通濟んだと思つた時、私は靜かに席を立たうとした。父は何時行くかと私に尋ねた。私には早い丈が好かつた。

 「御母さんに日を見て貰ひなさい」

 「さう爲ませう」

 其時の私は父の前に存外大人しかつた。私はなるべく父の機嫌に逆はずに、田舍を出やうとした。父は又私を引き留めた。

 「御前が東京へ行くと宅は又淋しくなる。何しろ己と御母さん丈なんだからね。そのおれも身體さへ達者なら好いが、この樣子ぢや何時急に何んな事がないとも云へないよ」

 私は出來るだけ父を慰さめて、自分の机を置いてある所へ歸つた。私は取り散らした書物の間に坐つて、心細さうな父の態度と言葉とを、幾度か繰り返し眺めた。私は其時又蝉の聲を聞いた。其聲は此間中聞いたのと違つて、つく/\法師の聲であつた。私は夏郷里に歸つて、 煮え付くやうな蝉の聲の中に凝と坐つてゐると、變に悲しい心持になる事がしば/\あつた。私の哀愁はいつも此虫の烈しい音と共に、心の底に沁み込むやうに感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めてゐた。

 私の哀愁は此夏歸省した以後次第に情調を變へて來た。油蝉の聲がつく/\法師の聲に變る如くに、私を取り卷く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろ/\動いてゐるやうに思はれた。私は淋しさうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶ひ浮べた。先生と父とは、丸で反對の印象を私に與へる點に於て、比較の上にも、連想の上にも、一所に私の頭に上り易かつた。

 私は殆んど父の凡てを知り盡してゐた。もし父を離れるとすれば、情合の上に親子の心殘りがある丈であつた。先生の多くはまだ私に解つてゐなかつた。話すと約束された其人の過去もまだ聞く機會を得ずにゐた。要するに先生は私にとつて薄暗かつた。私は是非とも其所を通り越して、明るい所迄行かなければ氣が濟まなかつた。先生と關係の絶えるのは私にとつて大いな苦痛であつた。私は母に日を見て貰つて、東京へ立つ日取を極めた。

九  私が愈立たうといふ間際になつて、(たしか二日前の夕方の事であつたと思ふが、)父は又突然引つ繰返つた。私は其時書物や衣類を詰めた行李をからげてゐた。父は風呂へ入つた所であつた。父の脊中を流しに行つた母が大きな聲を出して私を呼んだ。私は裸體の儘母に後から抱かれてゐる父を見た。それでも座敷へ伴れて戻つた時、父はもう大丈夫だと云つた。念の爲に枕元に坐つて、濡手拭で父の頭を冷してゐた私は、九時頃になつて漸く形ばかりの夜食を濟ました。

 翌日になると父は思つたより元氣が好かつた。留めるのも聞かずに歩いて便所へ行つたりした。

 「もう大丈夫」

 父は去年の暮倒れた時に私に向つて云つたと同じ言葉を又繰り返した。其時は果して口で云つた通りまあ大丈夫であつた。私は今度も或は左右なるかも知れないと思つた。然し醫者はたゞ用心が肝要だと注意する丈で、念を押しても判然した事を話して呉れなかつた。私は不安のために、出立の日が來てもついに東京へ立つ氣が起らなかつた。

 「もう少し樣子を見てからにしませうか」と私は母に相談した。

 「さうして御呉れ」と母が頼んだ。

 母は父が庭へ出たり脊戸ヘ下りたりする元氣を見てゐる間丈は平氣でゐる癖に、斯んな事が起るとまた必要以上に心配したり氣を揉んだりした。

 「御前は今日東京へ行く筈ぢやなかつたか」と父が聞いた。

 「えゝ、少し延ばしました」と私が答へた。

 「おれの爲にかい」と父が聞き返した。

 私は一寸躊躇した。さうだと云へば、父の病氣の重いのを裏書するやうなものであつた。私は父の神經を過敏にしたくなかつた。然し父は私の心をよく見拔いてゐるらしかつた。

 「氣の毒だね」と云つて、庭の方を向いた。

 私は自分の部屋に這入つて、其所に放り出された行李を眺めた。行李は何時持ち出しても差支ないやうに、堅く括られた儘であつた。私はぼんやり其前に立つて、又繩を解かうかと考へた。

 私は坐つた儘腰を浮かした時の落付かない氣分で、又三四日を過ごした。すると父が又卒倒した。醫者は絶對に安臥を命じた。

 「何うしたものだらうね」と母が父に聞こえないやうな小さな聲で私に云つた。母の顏は如何にも心細さうであつた。私は兄と妹に電報を打つ用意をした。けれども寐てゐる父には、殆んど何の苦悶もなかつた。話をする所などを見ると、風邪でも引いた時と全く同じ事であつた。其上食慾は不斷よりも進んだ。傍のものが、注意しても容易に云ふ事を聞かなかつた。

 「何うせ死ぬんだから、旨いものでも食つて死ななくつちや」

 私には旨いものといふ父の言葉が滑稽にも悲酸にも聞こえた。父は旨いものを口に入れられる都には住んでゐなかつたのである。夜に入つてかき餅などを燒いて貰つてぼり/\噛んだ。

 「何うして斯う渇くのかね。矢張心に丈夫の所があるのかも知れないよ」

 母は失望していゝ所に却つて頼みを置いた。其癖病氣の時にしか使はない渇くといふ昔風の言葉を、何でも食べたがる意味に用ひてゐた。

 伯父が見舞に來たとき、父は何時迄も引き留めて歸さなかつた。淋しいからもつと居て呉れといふのが重な理由であつたが、母や私が、食べたい丈物を食べさせないといふ不平を訴たへるのも、其目的の一つであつたらしい。

十  父の病氣は同じやうな状態で一週間以上つゞいた。私はその間に長い手紙を九州にゐる兄宛で出した。妹へは母から出させた。私は腹の中で、恐らく是が父の健康に關して二人へ遣る最後の音信だらうと思つた。それで兩方へ愈といふ場合には電報を打つから出て來いといふ意味を書き込めた。

 兄は忙がしい職にゐた。妹は妊娠中であつた。だから父の危險が眼の前に逼らないうちに呼び寄せる自由は利かなかつた。と云つて、折角都合して來たには來たが、間に合はなかつたと云はれるのも辛かつた。私は電報を掛ける時機について、人の知らない責任を感じた。

 「さう判然りした事になると私にも分りません。然し危險は何時來るか分らないといふ事丈は承知してゐて下さい」

 停車場のある町から迎へた醫者は私に斯う云つた。私は母と相談して、其醫者の周旋で、町の病院から看護婦を一人頼む事にした。父は枕元へ來て挨拶する白い服を着た女を見て變な顏をした。

 父は死病に罹つてゐる事をとうから自覺してゐた。それでゐて、眼前にせまりつつある死そのものには氣が付かなかつた。

 「今に癒つたらもう一返東京へ遊びに行つて見やう。人間は何時死ぬか分らないからな。何でも遣りたい事は、生きてるうちに遣つて置くに限る」

 母は仕方なしに「其時は私も一所に伴れて行つて頂きませう」などゝ調子を合せてゐた。

 時とすると又非常に淋しがつた。

 「おれが死んだら、どうか御母さんを大事にして遣つてくれ」

 私は此「おれが死んだら」といふ言葉に一種の記憶を有つてゐた。東京を立つ時、先生が奧さんに向つて何遍もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であつた。私は笑を帶びた先生の顏と、縁喜でもないと耳を塞いだ奧さんの樣子とを憶ひ出した。あの時の「おれが死んだら」は單純な假定であつた。今私が聞くのは何時起るか分らない事實であつた。私は先生に對する奧さんの態度を學ぶ事が出來なかつた。然し口の先では何とか父を紛らさなければならなかつた。

 「そんな弱い事を仰しやつちや不可せんよ。今に癒つたら東京へ遊びに入らつしやる筈ぢやありませんか。御母さんと一所に。今度入らつしやると屹度吃驚しますよ、變つてゐるんで。電車の新らしい線路丈でも大變増えてゐますからね。電車が通るやうになれば自然町並も變るし、その上に市區改正もあるし、東京が凝としてゐる時は、まあ二六時中一分もないと云つて可い位です」

 私は仕方がないから云はないで可い事迄喋舌つた。父はまた、滿足らしくそれを聞いてゐた。

 病人があるので自然家の出入も多くなつた。近所にゐる親類などは、二日に一人位の割で代る代る見舞に來た。中には比較的遠くに居て平生疎遠なものもあつた。「何うかと思つたら、この樣子ぢや大丈夫だ。話も自由だし、だいち顏がちつとも瘠せてゐないぢやないか」などゝ云つて歸るものがあつた。私の歸つた當時はひつそりし過ぎる程靜であつた家庭が、こんな事で段々ざわざわし始めた。

 その中に動かずにゐる父の病氣は、たゞ面白くない方へ移つて行くばかりであつた。私は母や伯父と相談して、とう/\兄と妹に電報を打つた。兄からはすぐ行くといふ返事が來た。妹の夫からも立つといふ報知があつた。妹は此前懷妊した時に流産したので、今度こそは癖にならないやうに大事を取らせる積だと、かねて云ひ越した其夫は、妹の代りに自分で出て來るかも知れなかつた。

十一  斯うした落付のない間にも、私はまだ靜かに坐る餘裕を有つてゐた。偶には書物を開けて十頁もつゞけざまに讀む時間さへ出て來た。一旦堅く括られた私の行李は、何時の間にか解かれて仕舞つた。私は要るに任せて、其中から色々なものを取り出した。私は東京を立つ時、心のうちで極めた、此夏中の日課を顧みた。私の遣つた事は此日課の三ヶ一にも足らなかつた。私は今迄も斯ういふ不愉快を何度となく重ねて來た。然し此夏程思つた通り仕事の運ばない例も少なかつた。是が人の世の常だらうと思ひながらも私は厭な氣持に抑え付けられた。

 私は此不快の裏に坐りながら、一方に父の病氣を考へた。父の死んだ後の事を想像した。さうして夫と同時に、先生の事を一方に思ひ浮べた。私は此不快な心持の兩端に地位、教育、性格の全然異なつた二人の面影を眺めた。

 私が父の枕元を離れて、獨り取り亂した書物の中に腕組をしてゐる所へ母が顏を出した。

 「少し午眠でもおしよ。御前も嘸草臥れるだらう」

 母は私の氣分を了解してゐなかつた。私も母からそれを豫期する程の子供でもなかつた。私は單簡に禮を述べた。母はまだ室の入口に立つてゐた。

 「お父さんは?」と私が聞いた。

 「今よく寐て御出だよ」と母が答へた。

 母は突然這入つて來て私の傍に坐つた。

 「先生からまだ何とも云つて來ないかい」と聞いた。

 母は其時の私の言葉を信じてゐた。其時の私は先生から屹度返事があると母に保證した。然し父や母の希望するやうな返事が來るとは、其時の私も丸で期待しなかつた。私は心得があつて母を欺むいたと同じ結果に陷つた。

 「もう一遍手紙を出して御覽な」と母が云つた。

 役に立たない手紙を何通書かうと、それが母の慰安になるなら、手數を厭ふやうな私ではなかつた。けれども斯ういふ用件で先生にせまるのは私の苦痛であつた。私は父に叱られたり、母の機嫌を損じたりするよりも、先生から見下げられるのを遙かに恐れてゐた。あの依頼に對して今迄返事の貰へないのも、或はさうした譯からぢやないかしらといふ邪推もあつた。

 「手紙を書くのは譯はないですが、斯ういふ事は郵便ぢやとても埒は明きませんよ。何うしても自分で東京へ出て、ぢかに頼んで廻らなくつちや」

 「だつて御父さんがあの樣子ぢや、御前、何時東京へ出られるか分らないぢやないか」

 「だから出やしません。癒るとも癒らないとも片付ないうちは、ちやんと斯うしてゐる積です」

 「そりや解り切つた話だね。今にも六づかしいといふ大病人を放ちらかして置いて、誰が勝手に東京へなんか行けるものかね」

 私は始め心のなかで、何も知らない母を憐れんだ。然し母が何故斯んな問題を此ざわ/\した際に持ち出したのか理解出來なかつた。私が父の病氣を餘所に、靜かに坐つたり書見したりする餘裕のある如くに、母も眼の前の病人を忘れて、外の事を考へる丈、胸に空地があるのか知らと疑つた。其時「實はね」と母が云ひ出した。

 「實は御父さんの生きて御出のうちに、御前の口が極つたら嘸安心なさるだらうと思ふんだがね。此樣子ぢや、とても間に合はないかも知れないけれども、夫にしても、まだあゝ遣つて口も慥なら氣も慥なんだから、あゝして御出のうちに喜こばして上げるやうに親孝行をおしな」

 憐れな私は親孝行の出來ない境遇にゐた。私は遂に一行の手紙も先生に出さなかつた。

十二  兄が歸つて來た時、父は寐ながら新聞を讀んでゐた。父は平生から何を措いても新聞丈には眼を通す習慣であつたが、床についてからは、退屈のため猶更それを讀みたがつた。母も私も強ひては反對せずに、成るべく病人の思ひ通りにさせて置いた。

 「さういふ元氣なら結構なものだ。餘程惡いかと思つて來たら、大變好いやうぢやありませんか」

 兄は斯んな事を云ひながら父と話をした。其賑やか過ぎる調子が私には却つて不調和に聞こえた。それでも父の前を外して私と差し向ひになつた時は、寧ろ沈んでゐた。

 「新聞なんか讀ましちや不可なかないか」

 「私もさう思ふんだけれども、讀まないと承知しないんだから、仕樣がない」

 兄は私の辯解を默つて聞いてゐた。やがて、「能く解るのかな」と云つた。兄は父の理解力が病氣のために、平生よりは餘程鈍つてゐるやうに觀察したらしい。

 「そりや慥です。私はさつき二十分許枕元に坐つて色々話して見たが、調子の狂つた所は少しもないです。あの樣子ぢやことによると未だ中々持つかも知れませんよ」

 兄と前後して着いた妹の夫の意見は、我々よりもよほど樂觀的であつた。父は彼に向つて妹の事をあれこれと尋ねてゐた。「身體が身體だから無暗に汽車になんぞ乘つて搖れない方が好い。無理をして見舞に來られたりすると、却つて此方が心配だから」と云つてゐた。「なに今に治つたら赤ん坊の顏でも見に、久し振に此方から出掛るから差支ない」とも云つてゐた。

 乃木大將の死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知つた。

 「大變だ大變だ」と云つた。

 何事も知らない私達は此突然な言葉に驚ろかされた。

 「あの時は愈頭が變になつたのかと思つて、ひやりとした」と後で兄が私に云つた。「私も實は驚ろきました」と妹の夫も同感らしい言葉つきであつた。

 其頃の新聞は實際田舍ものには日毎に待ち受けられるやうな記事ばかりあつた。私は父の枕元に坐つて鄭寧にそれを讀んだ。讀む時間のない時は、そつと自分の室へ持つて來て、殘らず眼を通した。私の眼は長い間、軍服を着た乃木大將と、それから官女見たやうな服裝をした其夫人の姿を忘れる事が出來なかつた。

 悲痛な風が田舍の隅迄吹いて來て、眠たさうな樹や草を震はせてゐる最中に、突然私は一通の電報を先生から受取つた。洋服を着た人を見ると犬が吠えるやうな所では、一通の電報すら大事件であつた。それを受取つた母は、果して驚ろいたやうな樣子をして、わざ/\私を人のゐない所へ呼び出した。

 「何だい」と云つて、私の封を開くのを傍に立つて待つてゐた。

 電報には一寸會ひたいが來られるかといふ意味が簡單に書いてあつた。私は首を傾けた。

 「屹度御頼もうして置いた口の事だよ」と母が推斷して呉れた。

 私も或は左右かも知れないと思つた。然しそれにしては少し變だとも考へた。兎に角兄や妹の夫迄呼び寄せた私が、父の病氣を打遣つて、東京へ行く譯には行かなかつた。私は母と相談して、行かれないといふ返電を打つ事にした。出來る丈簡略な言葉で父の病氣の危篤に陷いりつゝある旨も付け加へたが、夫でも氣が濟まなかつたから、委細手紙として、細かい事情を其日のうちに認ためて郵便で出した。頼んだ位地の事とばかり信じ切つた母は、「本當に間の惡い時は仕方のないものだね」と云つて殘念さうな顏をした。

十三  私の書いた手紙は可なり長いものであつた。母も私も今度こそ先生から何とか云つて來るだらうと考へてゐた。すると手紙を出して二日目にまた電報が私宛で屆いた。それには來ないでもよろしいといふ文句だけしかなかつた。私はそれを母に見せた。

 「大方手紙で何とか云つてきて下さる積だらうよ」

 母は何處迄も先生が私のために衣食の口を周旋して呉れるものと許解釋してゐるらしかつた。私も或は左右かとも考へたが、先生の平生から推して見ると、何うも變に思はれた。「先生が口を探してくれる」。これは有り得べからざる事のやうに私には見えた。

 「兎に角私の手紙はまだ向へ着いてゐない筈だから、此電報は其前に出したものに違ないですね」

 私は母に向つて斯んな分り切つた事を云つた。母は又尤もらしく思案しながら「左右だね」と答へた。私の手紙を讀まない前に、先生が此電報を打つたといふ事が、先生を解する上に於て、何の役にも立たないのは知れてゐるのに。

 其日は丁度主治醫が町から院長を連れて來る筈になつてゐたので、母と私はそれぎり此事件に就いて話をする機會がなかつた。二人の醫者は立ち合の上、病人に浣腸などをして歸つて行つた。

 父は醫者から安臥を命ぜられて以來、兩便とも寐たまゝ他の手で始末して貰つてゐた。潔癖な父は、最初の間こそ甚しくそれを忌み嫌つたが、身體が利かないので、己を得ずいや/\床の上で用を足した。それが病氣の加減で頭がだん/\鈍くなるのか何だか、日を經るに從つて、無精な排泄を意としないやうになつた。たまには蒲團や敷布を汚して、傍のものが眉を寄せるのに、當人は却つて平氣でゐたりした。尤も尿の量は病氣の性質として、極めて少なくなつた。醫者はそれを苦にした。食慾も次第に衰へた。たまに何か欲しがつても、舌が欲しがる丈で、咽喉から下へは極僅しか通らなかつた。好な新聞も手に取る氣力がなくなつた。枕の傍にある老眼鏡は、何時迄も黒い鞘に納められた儘であつた。子供の時分から仲の好かつた作さんといふ今では一里ばかり隔つた所に住んでゐる人が見舞に來た時、父は「あゝ作さんか」と云つて、どんよりした眼を作さんの方に向けた。

 「作さんよく來て呉れた。作さんは丈夫で羨ましいね。己はもう駄目だ」

 「そんな事はないよ。御前なんか子供は二人とも大學を卒業するし、少し位病氣になつたつて、申し分はないんだ。おれを御覽よ。かゝあには死なれるしさ、子供はなしさ。たゞ斯うして生きてゐる丈の事だよ。達者だつて何の樂しみもないぢやないか」

 浣腸をしたのは作さんが來てから二三日あとの事であつた。父は醫者の御蔭で大變樂になつたといつて喜こんだ。少し自分の壽命に對する度胸が出來たといふ風に機嫌が直つた。傍にゐる母は、それに釣り込まれたのか、病人に氣力を付けるためか、先生から電報のきた事を、恰も私の位置が父の希望する通り東京にあつたやうに話した。傍にゐる私はむづがゆい心持がしたが、母の言葉を遮る譯にも行かないので、默つて聞いてゐた。病人は嬉しさうな顏をした。

 「そりや結構です」と妹の夫も云つた。

 「何の口だかまだ分らないのか」と兄が聞いた。

 私は今更それを否定する勇氣を失つた。自分にも何とも譯の分らない曖昧な返事をして、わざと席を立つた。

十四  父の病氣は最後の一撃を待つ間際迄進んで來て、其所でしばらく躊躇するやうに見えた。家のものは運命の宣告が、今日下るか、今日下るかと思つて、毎夜床に這入つた。

 父は傍のものを辛くする程の苦痛を何處にも感じてゐなかつた。其點になると看病は寧ろ樂であつた。要心のために、誰か一人位づゞ代る%\起きてはゐたが、あとのものは相當の時間に [6]名自の寐床へ引き取つて差支なかつた。何かの拍子で眠れなかつた時、病人の唸るやうな聲を微かに聞いたと思ひ誤まつた私は、一遍半夜に床を拔け出して、念のため父の枕元迄行つて見た事があつた。其夜は母が起きてゐる番に當つてゐた。然し其母は父の横に肱を曲げて枕としたなり寐入つてゐた。父も深い眠りの裏にそつと置かれた人のやうに靜にしてゐた。私は忍び足で又自分の寐所へ歸つた。

 私は兄と一所の蚊帳の中に寐た。妹の夫だけは、客扱ひを受けてゐる所爲か、獨り離れた座敷に入つて休んだ。

 「關さんも氣の毒だね。あゝ幾日も引つ張られて歸れなくつちあ」

 關といふのは其人の苗字であつた。

「然しそんな忙がしい身體でもないんだから、あゝして泊つてゐて呉れるんでせう。關さんよりも兄さんの方が困るでせう、斯う長くなつちや」

 「困つても仕方がない。外の事と違ふからな」

 兄と床を竝べて寐る私は、斯んな寐物語りをした。兄の頭にも私の胸にも、父は何うせ助からないといふ考があつた。何うせ助からないものならばといふ考もあつた。我々は子として親の死ぬのを待つてゐるやうなものであつた。然し子としての我々はそれを言葉の上に表はすのを憚かつた。さうして御互に御互が何んな事を思つてゐるかをよく理解し合つてゐた。

 「御父さんは、まだ治る氣でゐるやうだな」と兄が私に云つた。

 實際兄の云ふ通りに見える所もないではなかつた。近所のものが見舞にくると、父は必ず會ふと云つて承知しなかつた。會へば屹度、私の卒業祝ひに呼ぶ事が出來なかつたのを殘念がつた。其代り自分の病氣が治つたらといふやうな事も時々付け加へた。

 「御前の卒業祝ひは已めになつて結構だ。おれの時には弱つたからね」と兄は私の記憶を突ッついた。私はアルコールに煽られた其時の亂雜な有樣を想ひ出して苦笑した。飮むものや食ふものを強ひて廻る父の態度も、にが/\しく私の眼に映つた。

 私達はそれ程仲の好い兄弟ではなかつた。小さいうちは好く喧嘩をして、年の少ない私の方がいつでも泣かされた。學校へ這入てからの專門の相違も、全く性格の相違から出てゐた。大學にゐる時分の私は、ことに先生に接觸した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思つてゐた。私は長く兄に會はなかつたので、又懸け隔つた遠くに居たので、時から云つても距離からいつても、兄はいつでも私には近くなかつたのである。それでも久し振に斯う落ち合つてみると、兄弟の優しい心持が何處からか自然に湧いて出た。場合が場合なのもその大きな源因になつてゐた。二人に共通な父、其父の死なうとしてゐる枕元で、兄と私は握手したのであつた。

 「御前是から何うする」と兄は聞いた。私は又全く見當の違つた質問を兄に掛けた。

 「一體家の財産は何うなつてるんだらう」

 「おれは知らない。御父さんはまだ何とも云はないから。然し財産つて云つた所で金としては高の知れたものだらう」

 母は又母で先生の返事の來るのを苦にしてゐた。

 「まだ手紙は來ないかい」と私を責めた。

[6] GNBT reads 各自.

十五  「先生先生といふのは一體誰の事だい」と兄が聞いた。

 「こないだ話したぢやないか」と私は答へた。私は自分で質問して置きながら、すぐ他の説明を忘れてしまふ兄に對して不快の念を起した。

 「聞いた事は聞いたけれども」

 兄は必竟聞いても解らないと云ふのであつた。私から見ればなにも無理に先生を兄に理解して貰ふ必要はなかつた。けれども腹は立つた。又例の兄らしい所が出て來たと思つた。

 先生々々と私が尊敬する以上、其人は必ず著名の士でなくてはならないやうに兄は考へてゐた。少なくとも大學の教授位だらうと推察してゐた。名もない人、何もしてゐない人、それが何處に價値を有つてゐるだらう。兄の腹は此點に於て、父と全く同じものであつた。けれども父が何も出來ないから遊んでゐるのだと速斷するのに引きかへて、兄は何か遣れる能力があるのに、ぶらぶらしてゐるのは詰らん人間に限ると云つた風の口吻を洩らした。

 「イゴイストは不可いね。何もしないで生きてゐやうといふのは横着な了簡だからね。人は自分の有つてゐる才能を出來る丈働らかせなくつちや嘘だ」

 私は兄に向つて、自分の使つてゐるイゴイストといふ言葉の意味が能く解るかと聞き返して遣りたかつた。

 「それでも其人の御蔭で地位が出來ればまあ結構だ。御父さんも喜こんでるやうぢやないか」

 兄は後から斯んな事を云つた。先生から明瞭な手紙の來ない以上、私はさう信ずる事も出來ず、またさう口に出す勇氣もなかつた。それを母の早呑込でみんなにさう吹聽してしまつた今となつて見ると、私は急にそれを打ち消す譯に行かなくなつた。私は母に催促される迄もなく、先生の手紙を待ち受けた。さうして其手紙に、何うかみんなの考へてゐるやうな衣食の口の事が書いてあれば可いがと念じた。私は死に瀕してゐる父の手前、其父に幾分でも安心させて遣りたいと祈りつゝある母の手前、働らかなければ人間でないやうにいふ兄の手前、其他妹の夫だの伯父だの叔母だのゝ手前、私のちつとも頓着してゐない事に、神經を [7]腦まさなければならなかつた。

 父が變な黄色いものを嘔いた時、私はかつて先生と奧さんから聞かされた危險を思ひ出した。「あゝして長く寐てゐるんだから胃も惡くなる筈だね」と云つた母の顏を見て、何も知らない其人の前に涙ぐんだ。

 兄と私が茶の間で落ち合つた時、兄は「聞いたか」と云つた。それは醫者が歸り際に兄に向つて云つた事を聞いたかといふ意味であつた。私には説明を待たないでも其意味が能く解つてゐた。

 「御前此所へ歸つて來て、宅の事を監理する氣はないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答へなかつた。

 「御母さん一人ぢや、何うする事も出來ないだらう」と兄が又云つた。兄は私を土の臭を嗅いで朽ちて行つても惜しくないやうに見てゐた。

 「本を讀む丈なら、田舍でも充分出來るし、それに働らく必要もなくなるし、丁度好いだらう」

 「兄さんが歸つて來るのが順ですね」と私が云つた。

 「おれにそんな事が出來るものか」と兄は一口に斥けた。兄の腹の中には、世の中で是から仕事をしやうといふ氣が充ち滿ちてゐた。

 「御前が厭なら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、夫にしても御母さんは何方かで引き取らなくつちやなるまい」

 「御母さんが此所を動くか動かないかゞ既に大きな疑問ですよ」

 兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後に就いて、斯んな風に語り合つた。

[7] GNBT reads 悩まさなければ.

十六  父は時々囈語を云ふ樣になつた。

 「乃木大將に濟まない。實に面目次第がない。いへ私もすぐ御後から」

 斯んな言葉をひよい/\出した。母は氣味を惡がつた。成るべくみんなを枕元へ集めて置きたがつた。氣のたしかな時は頻りに淋しがる病人にもそれが希望らしく見えた。ことに室の中を見廻して母の影が見えないと、父は必ず「お光は」と聞いた。聞かないでも、眼がそれを物語つてゐた。私はよく起つて母を呼びに行つた。「何か御用ですか」と、母が仕掛た用を其儘にして置いて病室へ來ると、父はたゞ母の顏を見詰める丈で何も云はない事があつた。さうかと思ふと、丸で懸け離れた話をした。突然「お光御前にも色々世話になつたね」などと優しい言葉を出す時もあつた。母はさう云ふ言葉の前に屹度涙ぐんだ。さうして後では又屹度丈夫であつた昔の父を其對照として想ひ出すらしかつた。

 「あんな憐れつぽい事を御言ひだがね。あれでもとは隨分酷かつたんだよ」

 母は父のために箒で脊中をどやされた時の事などを話した。今迄何遍もそれを聞かされた私と兄は、何時もとは丸で違つた氣分で、母の言葉を父の記念のやうに耳へ受け入れた。

 父は自分の眼の前に薄暗く映る死の影を眺めながら、まだ遺言らしいものを口に出さなかつた。

 「今のうち何か聞いて置く必要はないかな」と兄が私の顏をみた。

 「左右だなあ」と私は答へた。私はこちらから進んでそんな事を持ち出すのも病人のために好し惡しだと考へてゐた。二人は決しかねてついに伯父に相談をかけた。伯父も首を傾けた。

 「云ひたい事があるのに、云はないで死ぬのも殘念だらうし、と云つて、此方から催促するのも惡いかも知れず」

 話はとう/\愚圖々々になつて仕舞つた。そのうちに昏睡が來た。例の通り何も知らない母は、それをたゞの眠と思ひ違へて反つて喜こんだ。「まああゝして樂に寐られゝば、傍にゐるものも助かります」と云つた。

 父は時々眼を開けて、誰は何うしたなどと突然聞いた。其誰はつい先刻迄そこに坐つてゐた人の名に限られてゐた。父の意識には暗い所と明るい所と出來て、その明るい所丈が、闇を縫ふ白い糸のやうに、ある距離を置いて連續するやうに見えた。母が昏睡状態を普通の眠と取り違へたのも無理はなかつた。

 そのうち舌が段々縺れて來た。何か云ひ出しても尻が不明瞭に了るために、要領を得ないで仕舞ふ事が多くあつた。其癖話し始める時は、危篤の病人とは思はれない程、強い聲を出した。我我は固より不斷以上に調子を張り上げて、耳元へ口を寄せるやうにしなければならなかつた。

 「頭を冷やすと好い心持ですか」

 「うん」

 私は看護婦を相手に、父の水枕を取り更へて、それから新らしい氷を入れた氷嚢を頭の上へ載せた。がさ/\に割られて尖り切つた氷の破片が、嚢の中で落ちつく間、私は父の禿げ上つた額の外でそれを柔らかに抑えてゐた。其時兄が廊下傳に這入て來て、一通の郵便を無言の儘私の手に渡した。空いた方の左手を出して、其郵便を受け取つた私はすぐ不審を起した。

 それは普通の手紙に比べると餘程目方の重いものであつた。並の状袋にも入れてなかつた。また並の状袋に入れられべき分量でもなかつた。半紙で包んで、封じ目を鄭寧に糊で貼り付けてあつた。私はそれを兄の手から受け取つた時、すぐその書留である事に氣が付いた。裏を返して見ると其所に先生の名がつゝしんだ字で書いてあつた。手の放せない私は、すぐ封を切る譯に行かないので、一寸それを懷に差し込んだ。

十七  其日は病人の出來がことに惡いやうに見えた。私が厠へ行かうとして席を立つた時、廊下で行き合つた兄は「何所へ行く」と番兵のやうな口調で誰何した。

 「何うも樣子が少し變だから成るべく傍にゐるやうにしなくつちや不可ないよ」と注意した。

 私もさう思つてゐた。懷中した手紙は其儘にして又病室へ歸つた。父は眼を開けて、そこに竝んでゐる人の名前を母に尋ねた。母があれは誰、これは誰と一々説明して遣ると、父は其度に首肯いた。首肯かない時は、母が聲を張りあげて、何々さんです、分りましたかと念を押した。

 「何うも色々御世話になります」

 父は斯ういつた。さうして又昏睡状態に陷つた。枕邊を取り卷いてゐる人は無言の儘しばらく病人の樣子を見詰めてゐた。やがて其中の一人が立つて次の間へ出た。すると又一人立つた。私も三人目にとう/\席を外して、自分の室へ來た。私には先刻懷へ入れた郵便物の中を開けて見やうといふ目的があつた。それは病人の枕元でも容易に出來る所作には違なかつた。然し書かれたものゝ分量があまりに多過ぎるので、一息にそこで讀み通す譯には行かなかつた。私は特別の時間を偸んでそれに充てた。

 私は纖維の強い包み紙を引き掻くやうに裂き破つた。中から出たものは、縱横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿樣のものであつた。さうして封じる便宜のために、四つ折に疊まれてあつた。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して讀み易いやうに平たくした。

 私の心は此多量の紙と印氣が、私に何事を語るのだらうかと思つて驚ろいた。私は同時に病室の事が氣にかゝつた。私が此かきものを讀み始めて、讀み終らない前に、父は屹度何うかなる、少なくとも、私は兄からか母からか、それでなければ伯父からか、呼ばれるに極つてゐるといふ豫覺があつた。私は落ち付いて先生の書いたものを讀む氣になれなかつた。私はそわ/\しながらたゞ最初の一頁を讀んだ。其頁は下のやうに綴られてゐた。

 「あなたから過去を問ひたゞされた時、答へる事の出來なかつた勇氣のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。然し其自由はあなたの上京を待つてゐるうちには又失はれて仕舞ふ世間的の自由に過ぎないのであります。從つて、それを利用出來る時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の經驗として教へて上げる機會を永久に逸するやうになります。さうすると、あの時あれ程堅く約束した言葉が丸で嘘になります。私は已を得ず、口で云ふべき所を、筆で申し上げる事にしました」

 私は其所迄讀んで、始めて此長いものが何のために書かれたのか、其理由を明らかに知る事が出來た。私の衣食の口、そんなものに就いて先生が手紙を寄こす氣遣はないと、私は初手から信じてゐた。然し筆を執ることの嫌な先生が、何うしてあの事件を斯う長く書いて、私に見せる氣になつたのだらう。先生は何故私の上京する迄待つてゐられないだらう。

 「自由が來たから話す。然し其自由はまた永久に失はれなければならない」

 私は心のうちで斯う繰り返しながら、其意味を知るに苦しんだ。私は突然不安に襲はれた。私はつゞいて後を讀まうとした。其時病室の方から、私を呼ぶ大きな兄の聲が聞こえた。私は又驚ろいて立ち上つた。廊下を馳け拔けるやうにしてみんなの居る所へ行つた。私は愈父の上に最後の瞬間が來たのだと覺悟した。

十八  病室には何時の間にか醫者が來てゐた。なるべく病人を樂にするといふ主意から又浣腸を試みる所であつた。看護婦は昨夜の疲れを休める爲に別室で寐てゐた。慣れない兄は起つてまご/\してゐた。私の顏を見ると、「一寸手を御貸し」と云つた儘、自分は席に着いた。私は兄に代つて、油紙を父の尻の下に宛てがつたりした。

 父の樣子は少しくつろいで來た。三十分程枕元に坐つてゐた醫者は、浣腸の結果を認めた上、また來ると云つて、歸つて行つた。歸り際に、若しもの事があつたら何時でも呼んで呉れるやうにわざ/\斷つてゐた。

 私は今にも變がありさうな病室を退いて又先生の手紙を讀まうとした。然し私はすこしも寛くりした氣分になれなかつた。机の前に坐るや否や、又兄から大きな聲で呼ばれさうでならなかつた。左右して今度呼ばれゝば、それが最後だといふ畏怖が私の手を顫はした。私は先生の手紙をたゞ無意味に頁丈剥繰つて行つた。私の眼は几帳面に枠の中に篏められた字畫を見た。けれどもそれを讀む餘裕はなかつた。拾ひ讀みにする餘裕すら覺束なかつた。私は一番仕舞の頁迄順々に開けて見て、又それを元の通りに疊んで机の上に置かうとした。其時不圖結末に近い一句が私の眼に這入つた。

 「此手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもう此世には居ないでせう。とくに死んでゐるでせう」

 私ははつと思つた。今迄ざわ/\と動いてゐた私の胸が一度に凝結したやうに感じた。私は又逆に頁をはぐり返した。さうして一枚に一句位づゝの割で倒に讀んで行つた。私は咄嗟の間に、私の知らなければならない事を知らうとして、ちら/\する文字を、眼で刺し通さうと試みた。其時私の知らうとするのは、たゞ先生の安否だけであつた。先生の過去、かつて先生が私に話さうと約束した薄暗いその過去、そんなものは私に取つて、全く無用であつた。私は倒まに頁をはぐりながら、私に必要な知識を容易に與へて呉れない此長い手紙を自烈たさうに疊んだ。

 私は又父の樣子を見に病室の戸口迄行つた。病人の枕邊は存外靜かであつた。頼りなささうに疲れた顏をして其所に坐つてゐる母を手招ぎして、「何うですか樣子は」と聞いた。母は「今少し持ち合つてるやうだよ」と答へた。私は父の眼の前へ顏を出して、「何うです、浣腸して少しは心持が好くなりましたか」と尋ねた。父は首肯いた。父ははつきり「有難う」と云つた。父の精神は存外朦朧としてゐなかつた。

 私は又病室を退ぞいて自分の部屋に歸つた。其所で時計を見ながら、汽車の發着表を調べた。私は突然立つて帶を締め直して、袂の中へ先生の手紙を投げ込んだ。それから勝手口から表へ出た。私は夢中で醫者の家へ馳け込んだ。私は醫者から父がもう二三日保つだらうか、其所のところを判然聞かうとした。注射でも何でもして、保たして呉れと頼まうとした。醫者は生憎留守であつた。私には凝として彼の歸るのを待ち受ける時間がなかつた。心の落付もなかつた。私はすぐ俥を停車場へ急がせた。

 私は停車場の壁へ紙片を宛てがつて、其上から鉛筆で母と兄あてゞ手紙を書いた。手紙はごく簡單なものであつたが、斷らないで走るよりまだ増しだらうと思つて、それを急いで宅へ屆けるやうに車夫に頼んだ。さうして思ひ切つた勢で東京行の汽車に飛び乘つてしまつた。私はごうごう鳴る三等列車の中で、又袂から先生の手紙を出して、漸く始から仕舞迄眼を通した。

下 先生と遺書 一  「‥‥私は此夏あなたから二三度手紙を受け取りました。東京で相當の地位を得たいから宜しく頼むと書いてあつたのは、たしか二度目に手に入つたものと記憶してゐます。私はそれを讀んだ時何とかしたいと思つたのです。少なくとも返事を上げなければ濟まんとは考へたのです。然し自白すると、私はあなたの依頼に對して、丸で努力をしなかつたのです。御承知の通り、交際區域の狹いといふよりも、世の中にたつた一人で暮してゐるといつた方が適切な位の私には、さういふ努力を敢てする餘地が全くないのです。然しそれは問題ではありません。實をいふと、私はこの自分を何うすれば好いのかと思ひ煩らつてゐた所なのです。此儘人間の中に取り殘されたミイラの樣に存在して行かうか、それとも‥‥其時分の私は『それとも』といふ言葉を心のうちで繰り返すたびにぞつとしました。馳足で絶壁の端迄來て、急に底の見えない谷を覗き込んだ人のやうに。私は卑怯でした。さうして多くの卑怯な人と同じ程度に於て煩悶したのです。遺憾ながら、其時の私には、あなたといふものが殆んど存在してゐなかつたと云つても誇張ではありません。一歩進めていふと、あなたの地位、あなたの糊口の資、そんなものは私にとつて丸で無意味なのでした。何うでも構はなかつたのです。私はそれ所の騒ぎでなかつたのです。私は状差へ貴方の手紙を差したなり、依然として腕組をして考へ込んでゐました。宅に相應の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位々々といつて藻掻き廻るのか。私は寧ろ苦々しい氣分で、遠くにゐる貴方に斯んな一瞥を與へた丈でした。私は返事を上げなければ濟まない貴方に對して、言譯のために斯んな事を打ち明けるのです。あなたを怒らすためにわざと無躾な言葉を弄するのではありません。私の本意は後を御覧になれば能く解る事と信じます。兎に角私は何とか挨拶すべきところを默つてゐたのですから、私は此怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思ひます。

 其後私はあなたに電報を打ちました。有體に云へば、あの時私は一寸貴方に會ひたかつたのです。それから貴方の希望通り私の過去を貴方のために物語りたかつたのです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと斷つて來ましたが、私は失望して永らくあの電報を眺めてゐました。あなたも電報丈では氣が濟まなかつたと見えて、又後から長い手紙を寄こして呉れたので、あなたの出京出來ない事情が能く解りました。私はあなたを失禮な男だとも何とも思ふ譯がありません。貴方の大事な御父さんの病氣を其方退けにして、何であなたが宅を空けらるものですか。その御父さんの生死を忘れてゐるやうな私の態度こそ不都合です。――私は實際あの電報を打つ時に、あなたの御父さんの事を忘れてゐたのです。其癖あなたが東京にゐる頃には、難症だからよく注意しなくつては不可いと、あれ程忠告したのは私ですのに。私は斯ういふ矛盾な人間なのです。或は私の惱髓よりも、私の過去が私を壓迫する結果斯んな矛盾な人間に私を變化させるのかも知れません。私は此點に於ても充分私の我を認めてゐます。あなたに許して貰はなくてはなりません。

 あなたの手紙、――あなたから來た最後の手紙――を讀んだ時、私は惡い事をしたと思ひました。それで其意味の返事を出さうかと考へて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに已めました。何うせ書くなら、此手紙を書いて上げたかつたから、さうして此手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がたゞ來るに及ばないといふ簡單な電報を再び打つたのは、それが爲です。

二  「私はそれから此手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけない私には、自分の思ふやうに、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、貴方に對する私の此義務を放擲する所でした。然しいくら止さうと思つて筆を擱いても、何にもなりませんでした。私は一時間經たないうちに又書きたくなりました。貴方から見たら、是が義務の遂行を重んずる私の性格のやうに思はれるかも知れません。私もそれは否みません。私は貴方の知つてゐる通り、殆んど世間と交渉のない孤獨な人間ですから、義務といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張つて居りません。故意か自然か、私はそれを出來る丈切り詰めた生活をしてゐたのです。けれども私は義務に冷淡だから斯うなつたのではありません。寧ろ鋭敏過ぎて刺戟に堪へる丈の精力がないから、御覧のやうに消極的な月日を送る事になつたのです。だから一旦約束した以上、それを果さないのは、大變厭な心持です。私はあなたに對して此厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆を又取り上げなければならないのです。

 其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私丈の經驗だから、私丈の所有と云つても差支ないでせう。それを人に與へないで死ぬのは、惜いとも云はれるでせう。私にも多少そんな心持があります。たゞし受け入れる事の出來ない人に與へる位なら、私はむしろ私の經驗を私の生命と共に葬つた方が好いと思ひます。實際こゝに貴方といふ一人の男が存在してゐないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで濟んだでせう。私は何千萬とゐる日本人のうちで、たゞ貴方丈に、私の過去を物語りたいのです。あなたは眞面目だから。あなたは眞面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云つたから。

 私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上ます。然し恐れては不可せん。暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の參考になるものを御攫みなさい。私の暗いといふのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。又倫理的に育てられた男です。其倫理上の考は、今の若い人と大分違つた所があるかも知れません。然し何う間違つても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だから是から發達しやうといふ貴方には幾分か參考になるだらうと思ふのです。

 貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるでせう。私のそれに對する態度もよく解つてゐるでせう。私はあなたの意見を輕蔑迄しなかつたけれども、決して尊敬を拂ひ得る程度にはなれなかつた。あなたの考へには何等の背景もなかつたし、あなたは自分の過去を有つには餘りに若過ぎたからです。私は時%\笑つた。あなたは物足なさうな顏をちよいちよい私に見せた。其極あなたは私の過去を繪巻物のやうに、あなたの前に展開して呉れと逼つた。私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臟を立ち割つて、温かく流れる血潮を啜らうとしたからです。其時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であつた。それで他日を約して、あなたの要求を斥ぞけてしまつた。私は今自分で自分の心臟を破つて、其血をあなたの顏に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出來るなら滿足です。

三  「私が兩親を亡くしたのは、まだ私の廿歳にならない時分でした。何時か妻があなたに話してゐたやうにも記憶してゐますが、二人は同じ病氣で死んだのです。しかも妻が貴方に不審を起させた通り、殆んど同時といつて可い位に、前後して死んだのです。實をいふと、父の病氣は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にゐて看護をした母に傳染したのです。

 私は二人の間に出來たたつた一人の男の子でした。宅には相當の財産があつたので、寧ろ鷹揚に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時兩親が死なずにゐて呉れたなら、少なくとも父か母か何方か、片方で好いから生きてゐて呉れたなら、私はあの鷹揚な氣分を今迄持ち續ける事が出來たらうにと思ひます。

 私は二人の後に茫然として取り殘されました。私には知識もなく、經驗もなく、また分別もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍に居る事が出來ませんでした。母の死ぬ時、母には父の死んだ事さへまだ知らせてなかつたのです。母はそれを覺つてゐたか、又は傍のものゝ云ふ如く、實際父は囘復期に向ひつゝあるものと信じてゐたか、それは分りません。母はたゞ伯父に萬事を頼んでゐました。其所に居合せた私を指さすやうにして、『此子をどうぞ何分』と云ひました。私は其前から兩親の許可を得て、東京へ出る筈になつてゐましたので、母はそれも序に云ふ積らしかつたのです。それで『東京へ』とだけ付け加へましたら、伯父がすぐ後を引き取つて、『よろしい決して心配しないがいゝ』と答へました。母は強い熱に堪へ得る體質の女なんでしたらうか、伯父は『確かりしたものだ』と云つて、私に向つて母の事を褒めてゐました。然しこれが果して母の遺言であつたのか何うだか、今考へると分らないのです。母は無論父の罹つた病氣の恐るべき名前を知つてゐたのです。さうして、自分がそれに傳染してゐた事も承知してゐたのです。けれども自分は屹度此病氣で命を取られると迄信じてゐたかどうか、其所になると疑ふ餘地はまだ幾何でもあるだらうと思はれるのです。其上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通つた明かなものにせよ、一向記憶となつて母の頭に影さへ殘してゐない事がしば/\あつたのです。だから‥‥然しそんな事は問題ではありません。たゞ斯ういふ風に物を解きほどいて見たり、又ぐる/\廻して眺めたりする癖は、もう其時分から、私にはちやんと備はつてゐたのです。それは貴方にも始めから御斷りして置かなければならないと思ひますが、其實例としては當面の問題に大した關係のない斯んな記述が、却つて役に立ちはしないかと考へます。貴方の方でもまあその積で讀んで下さい。此性分が倫理的に個人の行爲や動作の上に及んで、私は後來益他の徳義心を疑ふやうになつたのだらうと思ふのです。それが私の煩悶や苦惱に向つて、積極的に大きな力を添へてゐるのは慥ですから覺えてゐて下さい。

 話が本筋をはづれると、分り惡くなりますからまたあとへ引き返しませう。是でも私は此長い手紙を書くのに、私を同じ地位に置かれた他の人と比べたら、或は多少落ち付いてゐやしないかと思つてゐるのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の響ももう途絶えました。雨戸の外にはいつの間にか憐れな虫の聲が、露の秋をまた忍びやかに思ひ出させるやうな調子で微かに鳴いてゐます。何も知らない妻は次の室で無邪氣にすや/\寐入つてゐます。私が筆を執ると、一字一劃が出來上りつゝペンの先で鳴つてゐます。私は寧ろ落付いた氣分で紙に向つてゐるのです。不馴のためにペンが横へ外れるかも知れませんが、頭が惱亂して筆がしどろに走るのではないやうに思ひます。

四  「兎に角たつた一人取り殘された私は、母の云ひ付け通り、此伯父を頼るより外に途はなかつたのです。伯父は又一切を引き受けて凡ての世話をして呉れました。さうして私を私の希望する東京へ出られるやうに取り計つて呉れました。

 私は東京へ來て高等學校へ這入りました。其時の高等學校の生徒は今よりも餘程殺伐で粗野でした。私の知つたものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で傷を負はせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合をしてゐる間に、學校の制帽をとう/\向ふのものに取られてしまつたのです。所が其帽子の裏には當人の名前がちやんと、菱形の白いきれの上に書いてあつたのです。それで事が面倒になつて、其男はもう少しで警察から學校へ照會される所でした。然し友達が色々と骨を折つて、ついに表沙汰にせずに濟むやうにして遣りました。斯んな亂暴な行爲を、上品な今の空氣のなかに育つたあなた方に聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿しい感じを起すでせう。私も實際馬鹿々々しく思ひます。然し彼等は今の學生にない一種質朴な點をその代りに有つてゐたのです。其頃私の月々伯父から貰つてゐた金は、あなたが今、御父さんから送つてもらふ學資に比べると遙かに少ないものでした。(無論物價も違ひませうが)。それでゐて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず數ある同級生のうちで、經濟の點にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にゐた譯ではないのです。今から囘顧すると、寧ろ人に羨やましがられる方だつたのでせう。と云ふのは、私は月々極つた送金の外に、書籍費、(私は其時分から書物を買ふ事が好でした)、及び臨時の費用を、よく伯父から請求して、ずん/\それを自分の思ふ樣に消費する事が出來たのですから。

 何も知らない私は、伯父を信じてゐた許でなく、常に感謝の心をもつて、伯父をありがたいものゝやうに尊敬してゐました。伯父は事業家でした。縣會議員にもなりました。其關係からでもありませう、政黨にも縁故があつたやうに記憶してゐます。父の實の弟ですけれども、さういふ點で、性格からいふと父とは丸で違つた方へ向いて發達した樣にも見えます。父は先祖から讓られた遺産を大事に守つて行く篤實一方の男でした。樂みには、茶だの花だのを遣りました。それから詩集などを讀む事も好きでした。書畫骨董といつた風のものにも、多くの趣味を有つてゐる樣子でした。家は田舍にありましたけれども、二里ばかり隔つた市、――其市には伯父が住んでゐたのです、――其市から時々道具屋が懸物だの、香爐だのを持つて、わざ/\父に見せに來ました。父は一口にいふと、まあマンオフミーンズとでも評したら好いのでせう、比較的上品な嗜好を有つた田舍紳士だつたのです。だから氣性からいふと、濶達な伯父とは餘程の懸隔がありました。それでゐて二人は又妙に仲が好かつたのです。父はよく伯父を評して、自分よりも遙かに働きのある頼もしい人のやうに云つてゐました。自分のやうに、親から財産を讓られたものは、何うしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と鬪ふ必要がないから不可いのだとも云つてゐました。此言葉は母も聞きました。私も聞きました。父は寧ろ私の心得になる積で、それを云つたらしく思はれます。『御前もよく覺えてゐるが好い』と父は其時わざ/\私の顏を見たのです。だから私はまだそれを忘れずにゐます。此位私の父から信用されたり、褒められたりしてゐた伯父を、私が何うして疑がふ事が出來るでせう。私にはたゞでさへ誇になるべき伯父でした。父や母が亡くなつて、萬事其人の世話にならなければならない私には、もう單なる誇ではなかつたのです。私の存在に必要な人間になつてゐたのです。

五  「私が夏休みを利用して始めて國へ歸つた時、兩親の死に斷えた私の住居には、新らしい主人として、伯父夫婦が入れ代つて住んでゐました。是は私が東京へ出る前からの約束でした。たつた一人取り殘された私が家にゐない以上、左右でもするより外に仕方がなかつたのです。

 伯父は其頃市にある色々な會社に關係してゐたやうです。業務の都合から云へば、今迄の居宅に寐起する方が、二里も隔つた私の家に移るより遙かに便利だと云つて笑ひました。是は私の父母が亡くなつた後、何う邸を始末して、私が東京へ出るかといふ相談の時、伯父の口を洩れた言葉であります。私の家は舊い歴史を有つてゐるので、少しは其界隈で人に知られてゐました。あなたの郷里でも同じ事だらうと思ひますが、田舍では由緒のある家を、相續人があるのに壞したり賣つたりするのは大事件です。今の私ならその位の事は何とも思ひませんが、其頃はまだ子供でしたから、東京へは出たし、家は其儘にして置かなければならず、甚だ所置に苦しんだのです。

 伯父は仕方なしに私の空家へ這入る事を承諾して呉れました。然し市の方にある住居も其儘にして置いて、兩方の間を往つたり來たりする便宜を與へて貰はなければ困るといひました。私に固より異議のありやう筈がありません。私は何んな條件でも東京へ出られゝば好い位に考へてゐたのです。

 子供らしい私は、故郷を離れても、まだ心の眼で、懷かしげに故郷の家を望んでゐました。固より其所にはまだ自分の歸るべき家があるといふ旅人の心で望んでゐたのです。休みが來れば歸らなくてはならないといふ氣分は、いくら東京を戀しがつて出て來た私にも、力強くあつたのです。私は熱心に勉強し、愉快に遊んだ後、休みには歸れると思ふその故郷の家をよく夢に見ました。

 私の留守の間、伯父は何んな風に兩方の間を往來してゐたか知りません。私の着いた時は、家族のものが、みんな一つ家の内に集まつてゐました。學校へ出る子供などは平生恐らく市の方にゐたのでせうが、是も休暇のために田舍へ遊び半分といつた格で引き取られてゐました。

 みんな私の顏を見て喜こびました。私は又父や母の居た時より、却つて賑やかで陽氣になつた家の樣子を見て嬉しがりました。伯父はもと私の部屋になつてゐた一間を占領してゐる一番目の男の子を追ひ出して、私を其所へ入れました。座敷の數も少なくないのだから、私はほかの部屋で構はないと辭退したのですけれども、伯父は御前の宅だからと云つて、聞きませんでした。

 私は折々亡くなつた父や母の事を思ひ出す外に、何の不愉快もなく、其一夏を伯父の家族と共に過ごして、又東京へ歸つたのです。たゞ一つ其夏の出來事として、私の心にむしろ薄暗い影を投げたのは、伯父夫婦が口を揃へて、まだ高等學校へ入つたばかりの私に結婚を勸める事でした。それは前後で丁度三四囘も繰り返されたでせう。私も始めはたゞ其突然なのに驚ろいた丈でした。二度目には判然斷りました。三度目には此方からとう/\其理由を反問しなければならなくなりました。彼等の主意は單簡でした。早く嫁を貰つて此所の家へ歸つて來て、亡くなつた父の後を相續しろと云ふ丈なのです。家は休暇になつて歸りさへすれば、それで可いものと私は考へてゐました。父の後を相續する、それには嫁が必要だから貰ふ、兩方とも理窟としては一通り聞こえます。ことに田舍の事情を知つてゐる私には、能く解ります。私も絶對にそれを嫌つてはゐなかつたのでせう。然し東京へ修業に出たばかりの私には、それが遠眼鏡で物を見るやうに、遙か先の距離に望まれる丈でした。私は伯父の希望に承諾を與へないで、ついに又私の家を去りました。

六  「私は縁談の事をそれなり忘れてしまひました。私の周圍を取り捲いてゐる青年の顏を見ると、世帶染みたものは一人もゐません。みんな自由です、さうして悉く單獨らしく思はれたのです。斯ういふ氣樂な人の中にも、裏面に這入り込んだら、或は家庭の事情に餘儀なくされて、既に妻を迎へてゐたものがあつたかも知れませんが、子供らしい私は其所に氣が付きませんでした。それから左右いふ特別の境遇に置かれた人の方でも、四邊に氣兼をして、なるべくは書生に縁の遠いそんな内輪の話は爲ないやうに愼しんでゐたのでせう。後から考へると、私自身が既に其組だつたのですが、私はそれさへ分らずに、たゞ子供らしく愉快に修學の道を歩いて行きました。

 學年の終りに、私は又行李を絡げて、親の墓のある田舍へ歸つて來ました。さうして去年と同じやうに、父母のゐたわが家の中で、又伯父夫婦と其子供の變らない顏を見ました。私は再び其所で故郷の匂を嗅ぎました。其匂は私に取つて依然として懷かしいものでありました。一學年の單調を破る變化としても有難いものに違なかつたのです。

 然し此自分を育て上たと同じ樣な匂の中で、私は又突然結婚問題を伯父から鼻の先へ突き付けられました。伯父の云ふ所は、去年の勸誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。たゞ此前勸められた時には、何等の目的物がなかつたのに、今度はちやんと肝心の當人を捕まへてゐたので、私は猶困らせられたのです。其當人といふのは伯父の娘即ち私の從妹に當る女でした。その女を貰つて呉れゝば、御互のために便宜である、父も存生中そんな事を話してゐた、と伯父が云ふのです。私もさうすれば便宜だとは思ひました。父が伯父にさういふ風な話をしたといふのも有り得べき事と考へました。然しそれは私が伯父に云はれて、始めて氣が付いたので、云はれない前から、覺つてゐた事柄ではないのです。だから私は驚ろきました。驚ろいたけれども、伯父の希望に無理のない所も、それがために能く解りました。私は迂闊なのでせうか。或はさうなのかも知れませんが、恐らく其從妹に無頓着であつたのが、重な源因になつてゐるのでせう。私は小供のうちから市にゐる伯父の家へ始終遊びに行きました。たゞ行く許でなく、能く其所に泊りました。さうして此從妹とは其時分から親しかつたのです。あなたも御承知でせう、兄妹の間に戀の成立した例のないのを。私は此公認された事實を勝手に布衍してゐるのかも知れないが、始終接觸して親しくなり過ぎた男女の間には、戀に必要な刺戟の起る清新な感じが失なはれてしまふやうに考へてゐます。香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限る如く、酒を味はうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、戀の衝動にも斯ういふ際どい一點が、時間の上に存在してゐるとしか思はれないのです。一度平氣で其所を通り拔けたら、馴れゝば馴れる程、親しみが増す丈で、戀の神經はだん/\麻痺して來る丈です。私は何う考へ直しても、此從妹を妻にする氣にはなれませんでした。

 伯父はもし私が主張するなら、私の卒業迄結婚を延ばしても可いと云ひました。けれども善は急げといふ諺もあるから、出來るなら今のうちに祝言の盃丈は濟ませて置きたいとも云ひました。當人に望のない私には何方にしたつて同じ事です。私は又斷りました。伯父は厭な顏をしました。從妹は泣きました。私に添はれないから悲しいのではありません、結婚の申し込を拒絶されたのが、女として辛かつたからです。私が從妹を愛してゐない如く、從妹も私を愛してゐない事は、私によく知れてゐました。私はまた東京へ出ました。

七  「私が三度目に歸國したのは、それから又一年經つた夏の取付でした。私は何時でも學年試驗の濟むのを待ちかねて東京を逃げました。私には故郷がそれ程懷かしかつたからです。貴方にも覺があるでせう、生れた所は空氣の色が違ひます、土地の匂も格別です、父や母の記憶も濃かに漂つてゐます。一年のうちで、七八の二月を其中に包まれて、穴に入つた蛇の樣に凝としてゐるのは、私に取つて何よりも温かい好い心持だつたのです。

 單純な私は從妹との結婚問題に就いて、左程頭を痛める必要がないと思つてゐました。厭なものは斷る、斷つてさへしまへば後には何も殘らない、私は斯う信じてゐたのです。だから伯父の希望通りに意志を曲げなかつたにも關らず、私は寧ろ平氣でした。過去一年の間いまだかつて其んな事に屈托した覺もなく、相變らずの元氣で國へ歸つたのです。

 所が歸つて見ると伯父の態度が違つてゐます。元のやうに好い顏をして私を自分の懷に抱かうとしません。それでも鷹揚に育つた私は、歸つて四五日の間は氣が付かずにゐました。たゞ何かの機會に不圖變に思ひ出したのです。すると妙なのは、伯父ばかりではないのです。伯母も妙なのです。從妹も妙なのです。中學校を出て、是から東京の高等商業へ這入る積だといつて、手紙で其樣子を聞き合せたりした伯父の男の子迄妙なのです。

 私の性分として考へずにはゐられなくなりました。何うして私の心持が斯う變つたのでらう。いや何うして向ふが斯ふ變つたのだらう。私は突然死んだ父や母が、鈍い私の眼を洗つて、急に世の中が判然見えるやうにして呉れたのではないかと疑ひました。私は父や母が此世に居なくなつた後でも、居た時と同じやうに私を愛して呉れるものと、何處か心の奥で信じてゐたのです。尤も其頃でも私は決して理に暗い質ではありませんでした。然し先祖から讓られた迷信の塊も、強い力で私の血の中に潛んでゐたのです。今でも潛んでゐるでせう。

 私はたつた一人山へ行つて、父母の墓の前に跪づきました。半は哀悼の意味、半は感謝の心持で跪いたのです。さうして私の未來の幸福が、此冷たい石の下に横はる彼等の手にまだ握られてでもゐるやうな氣分で、私の運命を守るべく彼等に祈りました。貴方は笑ふかも知れない。私も笑はれても仕方がないと思ひます。然し私はさうした人間だつたのです。

 私の世界は掌を翻へすやうに變りました。尤も是は私に取つて始めての經驗ではなかつたのです。私が十六七の時でしたらう、始めて世の中に美くしいものがあるといふ事實を發見した時には、一度にはつと驚ろきました。何遍も自分の眼を疑つて、何遍も自分の眼を擦りました。さうして心の中であゝ美しいと叫びました。十六七と云へば、男でも女でも、俗にいふ色氣の付く頃です。色氣の付いた私は世の中にある美しいものゝ代表者として、始めて女を見る事が出來たのです。今迄其存在に少しも氣の付かなかつた異性に對して、盲目の眼が忽ち開いたのです。それ以來私の天地は全く新らしいものとなりました。

 私が伯父の態度に心づいたのも、全く是と同じなんでせう。俄然として心づいたのです。何の豫感も準備もなく、不意に來たのです。不意に彼と彼の家族が、今迄とは丸で別物のやうに私の眼に映つたのです。私は驚ろきました。さうして此儘にして置いては、自分の行先が何うなるか分らないといふ氣になりました。

八  「私は今迄伯父任せにして置いた家の財産に就いて、詳しい知識を得なければ、死んだ父母に對して濟まないと云ふ氣を起したのです。伯父は忙がしい身體だと自稱する如く、毎晩同じ所に寐泊はしてゐませんでした。二日家へ歸ると三日は市の方で暮らすといつた風に、兩方の間を往來して、其日其日を落付のない顏で過ごしてゐました。さうして忙がしいといふ言葉を口癖のやうに使ひました。何の疑も起らない時は、私も實際に忙がしいのだらうと思つてゐたのです。それから、忙がしがらなくては當世流ではないのだらうと、皮肉にも解釋してゐたのです。けれども財産の事に就いて、時間の掛る話をしやうといふ目的が出來た眼で、この忙がしがる樣子を見ると、それが單に私を避ける口實としか受取れなくなつて來たのです。私は容易に伯父を捕まへる機會を得ませんでした。

 私は伯父が市の方に妾を有つてゐるといふ噂を聞きました。私は其噂を昔し中學の同級生であつたある友達から聞いたのです。妾を置く位の事は、此伯父として少しも怪しむに足らないのですが、父の生きてゐるうちに、そんな評判を耳に入れた覺のない私は驚ろきました。友達は其外にも色々伯父に就いての噂を語つて聞かせました。一時事業で失敗しかゝつてゐたやうに他から思はれてゐたのに、此二三年來又急に盛り返して來たといふのも、その一つでした。しかも私の疑惑を強く染め付けたものゝ一つでした。

 私はとう/\伯父と談判を開きました。談判といふのは少し不穩當かも知れませんが、話の成行からいふと、そんな言葉で形容するより外に途のない所へ、自然の調子が落ちて來たのです。伯父は何處迄も私を子供扱ひにしやうとします。私はまた始めから猜疑の眼で伯父に對してゐます。穩やかに解決のつく筈はなかつたのです。

 遺憾ながら私は今その談判の顛末を詳しく此所に書く事の出來ない程先を急いでゐます。實をいふと、私は是より以上に、もつと大事なものを控えてゐるのです。私のペンは早くから其所へ辿りつきたがつてゐるのを、漸との事で抑え付けてゐる位です。あなたに會つて靜かに話す機會を永久に失つた私は、筆を執る術に慣れないばかりでなく、貴い時間を惜むといふ意味からして、書きたい事も省かなければなりません。

 あなたは未だ覺えてゐるでせう、私がいつか貴方に、造り付けの惡人が世の中にゐるものではないと云つた事を。多くの善人がいざといふ場合に突然惡人になるのだから油斷しては不可ないと云つた事を。あの時あなたは私に昂奮してゐると注意して呉れました。さうして何んな場合に、善人が惡人に變化するのかと尋ねました。私がたゞ一口金と答へた時、あなたは不滿な顏をしました。私はあなたの不滿な顏をよく記憶してゐます。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時此伯父の事を考へてゐたのです。普通のものが金を見て急に惡人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在し得ない例として、憎惡と共に私は此伯父を考へてゐたのです。私の答は、思想界の奧へ突き進んで行かうとするあなたに取つて物足りなかつたかも知れません、陳腐だつたかも知れません。けれども私にはあれが生きた答でした。現に私は昂奮してゐたではありませんか。私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きてゐると信じてゐます。血の力で體が動くからです。言葉が空氣に波動を傳へる許でなく、もつと強い物にもつと強く働き掛ける事が出來るからです。

九  「一口でいふと、伯父は私の財産を胡魔化したのです。事は私が東京へ出てゐる三年の間に容易く行なはれたのです。凡てを伯父任せにして平氣でゐた私は、世間的に云へば本當の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊い男とでも云へませうか。私は其時の己れを顧みて、何故もつと人が惡く生れて來なかつたかと思ふと、正直過ぎた自分が口惜しくつて堪りません。然しまた何うかして、もう一度あゝいふ生れたままの姿に立ち歸つて生きて見たいといふ心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知つてゐる私は塵に汚れた後の私です。きたなくなつた年數の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でせう。

 若し私が伯父の希望通り伯父の娘と結婚したならば、其結果は物質的に私に取つて有利なものでしたらうか。是は考へる迄もない事と思ひます。伯父は策略で娘を私に押し付けやうとしたのです。好意的に兩家の便宜を計るといふよりも、ずつと下卑た利害心に驅られて、結婚問題を私に向けたのです。私は從妹を愛してゐない丈で、嫌つてはゐなかつたのですが、後から考へて見ると、それを斷つたのが私には多少の愉快になると思ひます。胡魔化されるのは何方にしても同じでせうけれども、載せられ方からいへば、從妹を貰はない方が、向ふの思ひ通りにならないといふ點から見て、少しは私の我が通つた事になるのですから。然しそれは殆んど問題とするに足りない些細な事柄です。ことに關係のない貴方に云はせたら、さぞ馬鹿氣た意地に見えるでせう。

 私と伯父の間に他の親戚のものが這入りました。その親戚のものも私は丸で信用してゐませんでした。信用しないばかりでなく、寧ろ敵視してゐました。私は伯父が私を欺むいたと覺ると共に、他のものも必ず自分を欺くに違ないと思ひ詰めました。父があれ丈賞め拔いてゐた伯父ですら斯うだから、他のものはといふのが私の論理でした。

 それでも彼等は私のために、私の所有にかゝる一切のものを纏めて呉れました。それは金額に見積ると、私の豫期より遙かに少ないものでした。私としては黙つてそれを受け取るか、でなければ伯父を相手取つて公け沙汰にするか、二つの方法しかなかつたのです。私は憤りました。又迷ひました。訴訟にすると落着迄に長い時間のかゝる事も恐れました。私は修業中のからだですから、學生として大切な時間を奪はれるのは非常の苦痛だとも考へました。私は思案の結果、市に居る中學の舊友に頼んで、私の受け取つたものを、凡て金の形に變へやうとしました。舊友は止した方が得だといつて忠告して呉れましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷を離れる決心を其時に起したのです。伯父の顏を見まいと心のうちで誓つたのです。

 私は國を立つ前に、又父と母の墓へ參りました。私はそれぎり其墓を見た事がありません。もう永久に見る機會も來ないでせう。

 私の舊友は私の言葉通りに取計らつて呉れました。尤もそれは私が東京へ着いてから餘程經つた後の事です。田舍で畠地などを賣らうとしたつて容易には賣れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取つた金額は、時價に比べると餘程少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懷にして家を出た若干の公債と、後から此友人に送つて貰つた金丈なのです。親の遺産としては固より非常に減つてゐたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、猶心持が惡かつたのです。けれども學生として生活するにはそれで充分以上でした。實をいふと私はそれから出る利子の半分も使へませんでした。此餘裕ある私の學生々活が私を思ひも寄らない境遇に陷し入れたのです。

十  「金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新らしく一戸を構へて見やうかといふ氣になつたのです。然しそれには世帶道具を買ふ面倒もありますし、世話をして呉れる婆さんの必要も起りますし、其婆さんが又正直でなければ困るし、宅を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、と云つた譯で、ちよくら一寸實行する事は覺束なく見えたのです。ある日私はまあ宅丈でも探して見やうかといふそゞろ心から、散歩がてらに本郷臺を西へ下りて小石川の坂を眞直に傳通院の方へ上がりました。電車の通路になつてから、あそこいらの樣子が丸で違つてしまひましたが、其頃は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面に生えてゐたものです。私は其草の中に立つて、何心なく向の崖を眺めました。今でも惡い景色ではありませんが、其頃は又ずつとあの西側の趣が違つてゐました。見渡す限り緑が一面に深く茂つてゐる丈でも、神經が休まります。私は不圖こゝいらに適當な宅はないだらうかと思ひました。それで直ぐ草原を横切つて、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好い町になり切れないで、がたぴししてゐる彼の邊の家並は、其時分の事ですから隨分汚ならしいものでした。私は露次を拔けたり、横丁を曲つたり、ぐる/\歩き廻りました。仕舞に駄菓子屋の上さんに、こゝいらに小じんまりした貸家はないかと尋ねて見ました。上さんは『左右ですね』と云つて、少時首をかしげてゐましたが、『かし家はちよいと‥‥』と全く思ひ當らない風でした。私は望のないものと諦らめて歸り掛けました。すると上さんが又、『素人下宿ぢや不可ませんか』と聞くのです。私は一寸氣が變りました。靜かな素人屋に一人で下宿してゐるのは、却つて家を持つ面倒がなくつて結構だらうと考へ出したのです。それから其駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教へてもらひました。

 それはある軍人の家族、といふよりも寧ろ遺族、の住んでゐる家でした。主人は何でも日清戰爭の時か何かに死んだのだと上さんが云ひました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官學校の傍とかに住んでゐたのだが、厩などがあつて、邸が廣過ぎるので、其所を賣り拂つて、此所へ引つ越して來たけれども、無人で淋しくつて困るから相當の人があつたら世話をして呉れと頼まれてゐたのださうです。私は上さんから、其家には未亡人と一人娘と下女より外にゐないのだといふ事を確かめました。私は閑靜で至極好からうと心の中に思ひました。けれどもそんな家族のうちに、私のやうなものが、突然行つた處で、素性の知れない書生さんといふ名稱のもとに、すぐ拒絶されはしまいかといふ掛念もありました。私は止さうかとも考へました。然し私は書生としてそんなに見苦しい服裝はしてゐませんでした。それから大學の制帽を被つてゐました。あなたは笑ふでせう、大學の制帽が何うしたんだと云つて。けれども其頃の大學生は今と違つて、大分世間に信用のあつたものです。私は其場合此四角な帽子に一種の自信を見出した位です。さうして駄菓子屋の上さんに教はつた通り、紹介も何もなしに其軍人の遺族の家を訪ねました。

 私は未亡人に會つて來意を告げました。未亡人は私の身元やら學校やら專問やらに就いて色々質問しました。さうして是なら大丈夫だといふ所を何所かに握つたのでせう、何時でも引つ越して來て差支ないといふ挨拶を即坐に與へて呉れました。未亡人は正しい人でした、又判然した人でした。私は軍人の妻君といふものはみんな斯んなものかと思つて感服しました。感服もしたが、驚ろきもしました。此氣性で何處が淋しいのだらうと疑ひもしました。

十一  私は早速其家へ引き移りました。私は最初來た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。其所は宅中で一番好い室でした。本郷邊に高等下宿といつた風の家がぽつ/\建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間の樣子を心得てゐました。私の新らしく主人となつた室は、それ等よりもずつと立派でした。移つた當座は、學生としての私には過ぎる位に思はれたのです。

 室の廣さは八疊でした。床の横に違ひ棚があつて、縁と反對の側には一間の押入が付いてゐました。窓は一つもなかつたのですが、其代り南向の縁に明るい日が能く差しました。

 私は移つた日に、其室の床に活けられた花と、其横に立て懸けられた琴を見ました。何方も私の氣に入りませんでした。私は詩や書や煎茶を嗜なむ父の傍で育つたので、唐めいた趣味を小供のうちから有つてゐました。その爲でもありませうか、斯ういふ艶めかしい裝飾を何時の間にか輕蔑する癖が付いてゐたのです。

 私の父が存生中にあつめた道具類は、例の伯父のために滅茶々々にされてしまつたのですが、夫でも多少は殘つてゐました。私は國を立つ時それを中學の舊友に預かつて貰ひました。それから其中で面白さうなものを四五幅裸にして行李の底へ入れて來ました。私は移るや否や、それを取り出して床へ懸けて樂しむ積でゐたのです。所が今いつた琴と活花を見たので、急に勇氣がなくなつて仕舞ひました。後から聞いて始めて此花が私に對する御馳走に活けられたのだといふ事を知つた時、私は心のうちで苦笑しました。尤も琴は前から其所にあつたのですから、是は置き所がないため、已を得ず其儘に立て懸けてあつたのでせう。

 斯んな話をすると、自然其裏に若い女の影があなたの頭を掠めて通るでせう。移つた私にも、移らない初からさういふ好奇心が既に動いてゐたのです。斯うした邪氣が豫備的に私の自然を損なつたためか、又は私がまだ人慣れなかつたためか、私は始めて其所の御孃さんに會つた時、へどもどした挨拶をしました。其代り御孃さんの方でも赤い顏をしました。

 私はそれ迄未亡人の風采や態度から推して、此御孃さんの凡てを想像してゐたのです。然し其想像は御孃さんに取つてあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君だからあゝなのだらう、其妻君の娘だから斯うだらうと云つた順序で、私の推測は段々延びて行きました。所が其推測が、御孃さんの顏を見た瞬間に、悉く打ち消されました。さうして私の頭の中へ今迄想像も及ばなかつた異性の匂が新らしく入つて來ました。私はそれから床の正面に活けてある花が厭でなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。

 其花は又規則正しく凋れる頃になると活け更へられるのです。琴も度々鍵の手に折れ曲がつた筋違の室に運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、其琴の音を聞いてゐました。私には其琴が上手なのか下手なのか能く解らないのです。けれども餘り込み入つた手を彈かない所を見ると、上手なのぢやなからうと考へました。まあ活花の程度位なものだらうと思ひました。花なら私にも好く分るのですが、御孃さんは決して旨い方ではなかつたのです。

 それでも臆面なく色々の花が私の床を飾つて呉れました。尤も活方は何時見ても同じ事でした。それから花瓶もついぞ變つた例がありませんでした。然し片方の音樂になると花よりももつと變でした。ぽつん/\糸を鳴らす丈で、一向肉聲を聞かせないのです。唄はないのではありませんが、丸で内所話でもするやうに小さな聲しか出さないのです。しかも叱られると全く出なくなるのです。

 私は喜んで此下手な活花を眺めては、まづさうな琴の音に耳を傾むけました。

十二  「私の氣分は國を立つ時既に厭世的になつてゐました。他は頼りにならないものだといふ觀念が、其時骨の中迄染み込んでしまつたやうに思はれたのです。私は私の敵視する伯父だの伯母だの、その他の親戚だのを、恰も人類の代表者の如く考へ出しました。汽車へ乘つてさへ隣のものの樣子を、それとなく注意し始めました。たまに向から話し掛けられでもすると、猶の事警戒を加へたくなりました。私の心は沈鬱でした。鉛を呑んだやうに重苦しくなる事が時々ありました。それでゐて私の神經は、今云つた如くに鋭どく尖つて仕舞つたのです。

 私が東京へ來て下宿を出やうとしたのも、是が大きな源因になつてゐるやうに思はれます。金に不自由がなければこそ、一戸を構へて見る氣にもなつたのだと云へばそれ迄ですが、元の通りの私ならば、たとひ懷中に餘裕が出來ても、好んでそんな面倒な眞似はしなかつたでせう。

 私は小石川へ引き移つてからも、當分此緊張した氣分に寛ぎを與へる事が出來ませんでした。私は自分で自分が恥づかしい程、きよと/\周圍を見廻してゐました。不思議にもよく働らくのは頭と眼だけで、口の方はそれと反對に、段々動かなくなつて來ました。私は家のものゝ樣子を猫のやうによく觀察しながら、黙つて机の前に坐つてゐました。時々は彼等に對して氣の毒だと思ふ程、私は油斷のない注意を彼等の上に注いでゐたのです。おれは物を偸まない巾着切見たやうなものだ、私は斯う考へて、自分が厭になる事さへあつたのです。

 貴方は定めて變に思ふでせう。其私が其所の御孃さんを何うして好く餘裕を有つてゐるか。其御孃さんの下手な活花を、何うして嬉しがつて眺める餘裕があるか。同じく下手な其人の琴を何うして喜こんで聞く餘裕があるか。さう質問された時、私はたゞ兩方とも事實であつたのだから、事實として貴方に教へて上げるといふより外に仕方がないのです。解釋は頭のある貴方に任せるとして、私はたゞ一言付け足して置きませう。私は金に對して人類を疑ぐつたけれども、愛に對しては、まだ人類を疑はなかつたのです。だから他から見ると變なものでも、また自分で考へて見て、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平氣で兩立してゐたのです。

 私は未亡人の事を常に奥さんと云つてゐましたから、是から未亡人と呼ばずに奥さんと云ひます。奥さんは私を靜かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めて呉れました。けれども私の不安な眼つきや、きよと/\した樣子については、何事も口へ出しませんでした。氣が付かなかつたのか、遠慮してゐたのか、どつちだかよく解りませんが、何しろ其所には丸で注意を拂つてゐないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚な方だと云つて、さも尊敬したらしい口の利き方をした事があります。其時正直な私も少し顏を赤らめて、向ふの言葉を否定しました。すると奥さんは『あなたは自分で氣が付かないから、左右御仰るんです』と眞面目に説明して呉れました。奥さんは始め私のやうな書生を宅へ置く積ではなかつたらしいのです。何處かの役所へ勤める人か何かに坐敷を貸す料簡で、近所のものに周旋を頼んでゐたらしいのです。俸給が豐でなくつて、已を得ず素人屋に下宿する位の人だからといふ考へが、それで前かたから奥さんの頭の何處かに這入つてゐたのでせう。奥さんは自分の胸に描いた其想像の御客と私とを比較して、こつちの方を鷹揚だと云つて褒めるのです。成程そんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金錢にかけて、鷹揚だつたかも知れません。然しそれは氣性の問題ではありませんから、私の内生活に取つて殆んど關係のないのと一般でした。奥さんはまた女丈にそれを私の全體に推し廣げて、同じ言葉を應用しやうと力めるのです。

十三  「奥さんの此態度が自然私の氣分に影響して來ました。しばらくするうちに、私の眼はもと程きよろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐つてゐる所に、ちやんと落付いてゐるやうな氣にもなれました。要するに奥さん始め家のものが、僻んだ私の眼や疑ひ深い私の樣子に、てんから取り合はなかつたのが、私に大きな幸福を與へたのでせう。私の神經は相手から照り返して來る反射のないために段々靜まりました。

 奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱つて呉れたものとも思はれますし、又自分で公言する如く、實際私を鷹揚だと觀察してゐたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それ程外へ出なかつたやうにも考へられますから、或は奥さんの方で胡魔化されてゐたのかも解りません。

 私の心が靜まると共に、私は段々家族のものと接近して來ました。奥さんとも御孃さんとも笑談を云ふやうになりました。茶を入れたからと云つて向ふの室へ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買つて來て、二人を此方へ招いたりする晩もありました。私は急に交際の區域が殖えたやうに感じました。それがために大切な勉強の時間を潰される事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向邪魔にならなかつたのです。奥さんはもとより閑人でした。御孃さんは學校へ行く上に、花だの琴だのを習つてゐるんだから、定めて忙がしからうと思ふと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に餘裕を有つてゐるやうに見えました。それで三人は顏さへ見ると一所に集まつて、世間話をしながら遊んだのです。

 私を呼びに來るのは、大抵御孃さんでした。御孃さんは縁側を直角に曲つて、私の室の前に立つ事もありますし、茶の間を拔けて、次の室の襖の影から姿を見せる事もありました。御孃さんは、其所へ來て一寸留まります。それから屹度私の名を呼んで、『御勉強?』と聞きます。私は大抵六づかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めてゐましたから、傍で見たらさぞ勉強家のやうに見えたのでせう。然し實際を云ふと、夫程熱心に書物を研究してはゐなかつたのです。頁の上に眼は着けてゐながら、御孃さんの呼びに來るのを待つてゐる位なものでした。待つてゐて來ないと、仕方がないから私の方で立ち上るのです。さうして向ふの室の前へ行つて、此方から『御勉強ですか』と聞くのです。

 御孃さんの部屋は茶の間と續いた六疊でした。奥さんはその茶の間にゐる事もあるし、又御孃さんの部屋にゐる事もありました。つまり此二つの部屋は仕切があつても、ないと同じ事で、親子二人が往つたり來たりして、どつち付かずに占領してゐたのです。私が外から聲を掛けると、『御這入なさい』と答へるのは屹度奥さんでした。御孃さんは其所にゐても滅多に返事をした事がありませんでした。

時たま御孃さん一人で、用があつて私の室へ這入つた序に、其所に坐つて話し込むやうな場合も其内に出て來ました。さういふ時には、私の心が妙に不安に冒されて來るのです。さうして若い女とたゞ差向ひで坐つてゐるのが不安なのだとばかりは思へませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るやうな不自然な態度が私を苦しめるのです。然し相手の方は却つて平氣でした。これが琴を浚ふのに聲さへ碌に出せなかつたあの女かしらと疑がはれる位、恥づかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、『はい』と返事をする丈で、容易に腰を上げない事さへありました。それでゐて御孃さんは決して子供ではなかつたのです。私の眼には能くそれが解つてゐました。能く解るやうに振る舞つて見せる痕迹さへ明らかでした。

十四  「私は御孃さんの立つたあとで、ほつと一息するのです。夫と同時に、物足りないやうな又濟まないやうな氣持になるのです。私は女らしかつたのかも知れません。今の青年の貴方がたから見たら猶左右見えるでせう。然し其頃の私達は大抵そんなものだつたのです。

 奥さんは滅多に外出した事がありませんでした。たまに宅を留守にする時でも、御孃さんと私を二人ぎり殘して行くやうな事はなかつたのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいふのは變ですが、奥さんの樣子を能く觀察してゐると、何だか自分の娘と私とを接近させたがつてゐるらしくも見えるのです。それでゐて、或場合には、私に對して暗に警戒する所もあるやうなのですから、始めて斯んな場合に出會つた私は、時々心持をわるくしました。

 私は奥さんの態度を何方かに片付て貰ひたかつたのです。頭の働きから云へば、それが明らかな矛盾に違ひなかつたからです。然し伯父に欺むかれた記憶のまだ新らしい私は、もう一歩踏み込んだ疑ひを挾さまずには居られませんでした。私は奥さんの此態度の何方かが本當で、何方かが僞だらうと推定しました。さうして判斷に迷ひました。たゞ判斷に迷ふばかりでなく、何でそんな妙な事をするか其意味が私には呑み込めなかつたのです。理由を考へ出さうとしても、考へ出せない私は、罪を女といふ一字に塗り付けて我慢した事もありました。必竟女だからあゝなのだ、女といふものは何うせ愚なものだ。私の考は行き詰れば何時でも此所へ落ちて來ました。

 それ程女を見縊つてゐた私が、また何うしても御孃さんを見縊る事が出來なかつたのです。私の理窟は其人の前に全く用を爲さない程動きませんでした。私は其人に對して、殆んど信仰に近い愛を有つてゐたのです。私が宗教だけに用ひる此言葉を、若い女に應用するのを見て、貴方は變に思ふかも知れませんが、私は今でも固く信じてゐるのです。本當の愛は宗教心とさう違つたものでないといふ事を固く信じてゐるのです。私は御孃さんの顏を見るたびに、自分が美くしくなるやうな心持がしました。御孃さんの事を考へると、氣高い氣分がすぐ自分に乘り移つて來るやうに思ひました。もし愛といふ不可思議なものに兩端があつて、其高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性慾が動いてゐるとすれば、私の愛はたしかに其高い極點を捕まへたものです。私はもとより人間として肉を離れる事の出來ない身體でした。けれども御孃さんを見る私の眼や、御孃さんを考へる私の心は、全く肉の臭を帶びてゐませんでした。

私は母に對して反感を抱くと共に、子に對して戀愛の度を増して行つたのですから、三人の關係は、下宿した始めよりは段々複雜になつて來ました。尤も其變化は殆んど内面的で外へは現れて來なかつたのです。そのうち私はあるひよつとした機會から、今迄奥さんを誤解してゐたのではなからうかといふ氣になりました。奥さんの私に對する矛盾した態度が、どつちも僞りではないのだらうと考へ直して來たのです。其上、それが互違に奥さんの心を支配するのでなくつて、何時でも兩方が同時に奥さんの胸に存在してゐるのだと思ふやうになつたのです。つまり奥さんが出來るだけ御孃さんを私に接近させやうとしてゐながら、同時に私に警戒を加へてゐるのは矛盾の樣だけれども、其警戒を加へる時に、片方の態度を忘れるのでも翻へすのでも何でもなく、矢張依然として二人を接近させたがつてゐたのだと觀察したのです。たゞ自分が正當と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釋したのです。御孃さんに對して、肉の方面から近づく念の萌さなかつた私は、其時入らぬ心配だと思ひました。しかし奥さんを惡く思ふ氣はそれから無くなりました。

十五  「私は奥さんの態度を色々綜合して見て、私が此所の家で充分信用されてゐる事を確めました。しかも其信用は初對面の時からあつたのだといふ證據さへ發見しました。他を疑ぐり始めた私の胸には、此發見が少し奇異な位に響いたのです。私は男に比べると女の方がそれ丈直覺に富んでゐるのだらうと思ひました。同時に、女が男のために、欺まされるのも此所にあるのではなからうかと思ひました。奥さんを左右觀察する私が、御孃さんに對して同じやうな直覺を強く働らかせてゐたのだから、今考へると可笑しいのです。私は他を信じないと心に誓ひながら、絶對に御孃さんを信じてゐたのですから。それでゐて、私を信じてゐる奥さんを奇異に思つたのですから。

 私は郷里の事に就いて餘り多くを語らなかつたのです。ことに今度の事件に就いては何にも云はなかつたのです。私はそれを念頭に浮べてさへ既に一種の不愉快を感じました。私は成るべく奥さんの方の話だけを聞かうと力めました。所がそれでは向ふが承知しません。何かに付けて、私の國元の事情を知りたがるのです。私はとう/\何もかも話してしまひました。私は二度と國へは歸らない、歸つても何にもない、あるのはたゞ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大變感働したらしい樣子を見せました。御孃さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思ひました。私は嬉しかつたのです。

 私の凡てを聞いた奥さんは、果して自分の直覺が的中したと云はないばかりの顏をし出しました。それからは私を自分の親戚に當る若いものか何かを取扱ふやうに待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。寧ろ愉快に感じた位です。所がそのうちに私の猜疑心が又起つて來ました。

 私が奥さんを疑ぐり始めたのは、極些細な事からでした。然し其些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張つて來ます。私は何ういふ拍子か不圖奥さんが、伯父と同じやうな意味で、御孃さんを私に接近させやうと力めるのではないかと考へ出したのです。すると今迄親切に見えた人が、急に狡猾な策略家として私の眼に映じて來たのです。私は苦々しい唇を噛みました。

奥さんは最初から、無人で淋しいから、客を置いて世話をするのだと公言してゐました。私も夫を嘘とは思ひませんでした。懇意になつて色々打ち明け話を聞いた後でも、其所に間違はなかつたやうに思はれます。然し一般の經濟状態は大して豐だと云ふ程ではありませんでした。利害問題から考へて見て、私と特殊の關係をつけるのは、先方に取つて決して損ではなかつたのです。

 私は又警戒を加へました。けれども娘に對して前云つた位の強い愛をもつてゐる私が、其母に對していくら警戒を加へたつて何になるでせう。私は一人で自分を嘲笑しました。馬鹿だなといつて、自分を罵つた事もあります。然しそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに濟んだのです。私の煩悶は、奥さんと同じやうに御孃さんも策略家ではなからうかといふ疑問に會つて始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、萬事を遣つてゐるのだらうと思ふと、私は急に苦しくつて堪らなくなるのです。不愉快なのではありません。絶體絶命のやうな行き詰つた心持になるのです。それでゐて私は、一方に御孃さんを固く信じて疑はなかつたのです。だから私は信念と迷ひの途中に立つて、少しも動く事が出來なくなつて仕舞ひました。私には何方も想像であり、又何方も眞實であつたのです。

十六  「私は相變らず學校へ出席してゐました。然し教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるやうな心持がしました。勉強も其通りでした。眼の中へ這入る活字は心の底迄浸み渡らないうちに烟の如く消えて行くのです。私は其上無口になりました。それを二三の友達が誤解して、冥想に耽つてでもゐるかのやうに、他の友達に傳へました。私は此誤解を解かうとはしませんでした。都合の好い假面を人が貸して呉れたのを、却つて仕合せとして喜びました。それでも時々は氣が濟まなかつたのでせう、發作的に焦燥ぎ廻つて彼等を驚ろかした事もあります。

 私の宿は人出入の少ない家でした。親類も多くはないやうでした。御孃さんの學校友達がときたま遊びに來る事はありましたが、極めて小さな聲で、居るのだか居ないのだか分らないやうな話をして歸つてしまふのが常でした。それが私に對する遠慮からだとは、如何な私にも氣が付きませんでした。私の所へ訪ねて來るものは、大した亂暴者でもありませんでしたけれども、宅の人に氣兼をする程な男は一人もなかつたのですから。そんな所になると、下宿人の私は主人のやうなもので、肝心の御孃さんが却つて食客の位地にゐたと同じ事です。

 然しこれはたゞ思ひ出した序に書いた丈で、實は何うでも構はない點です。たゞ其所に何うでも可くない事が一つあつたのです。茶の間か、さもなければ御孃さんの室で、突然男の聲が聞こえるのです。其聲が又私の客と違つて、頗ぶる低いのです。だから何を話してゐるのか丸で分らないのです。さうして分らなければ分らない程、私の神經に一種の昂奮を與へるのです。私は坐つてゐて變にいら/\し出します。私はあれは親類なのだらうか、それとも唯の知り合ひなのだらうかとまづ考へて見るのです。夫から若い男だらうか年輩の人だらうかと思案して見るのです。坐つてゐてそんな事の知れやう筈がありません。さうかと云つて、起つて行つて障子を開けて見る譯には猶行きません。私の神經は震へるといふよりも、大きな波動を打つて私を苦しめます。私は客の歸つた後で、屹度忘れずに其人の名を聞きました。御孃さんや奥さんの返事は、又極めて簡單でした。私は物足りない顏を二人に見せながら、物足りる迄追窮する勇氣を有つてゐなかつたのです。權利は無論有つてゐなかつたのでせう。私は自分の品格を重んじなければならないといふ教育から來た自尊心と、現に其自尊心を裏切してゐる物欲しさうな顏付とを同時に彼等の前に示すのです。彼等は笑ひました。それが嘲笑の意味でなくつて、好意から來たものか、又好意らしく見せる積なのか、私は即坐に解釋の餘地を見出し得ない程落付を失つてしまふのです。さうして事が濟んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんぢやなからうかと、何遍も心のうちで繰り返すのです。

 私は自由な身體でした。たとひ學校を中途で已めやうが、又何處へ行つて何う暮らさうが、或は何處の何者と結婚しやうが、誰とも相談する必要のない位地に立つてゐました。私は思ひ切つて奥さんに御孃さんを貰ひ受ける話をして見やうかといふ決心をした事がそれ迄に何度となくありました。けれども其度毎に私は躊躇して、口へはとう/\出さずに仕舞つたのです。斷られるのが恐ろしいからではありません。もし斷られたら、私の運命が何う變化するか分りませんけれども、其代り今迄とは方角の違つた場所に立つて、新らしい世の中を見渡す便宜も生じて來るのですから、其位の勇氣は出せば出せたのです。然し私は誘き寄せられるのが厭でした。他の手に乘るのは何よりも業腹でした。叔父に欺まされた私は、是から先何んな事があつても、人には欺まされまいと決心したのです。

十七  「私が書物ばかり買ふのを見て、奥さんは少し着物を拵えろと云ひました。私は實際田舍で織つた木綿ものしか有つてゐなかつたのです。其頃の學生は絹の入つた着物を肌に着けませんでした。私の友達に横濱の商人か何かで、宅は中々派出に暮してゐるものがありましたが、其所へある時羽二重の胴着が配達で屆いた事があります。すると皆ながそれを見て笑ひました。其男は恥かしがつて色々辯解しましたが、折角の胴着を行李の底へ放り込んで利用しないのです。それを又大勢が寄つてたかつて、わざと着せました。すると運惡く其胴着に蝨がたかりました。友達は丁度幸ひとでも思つたのでせう、評判の胴着をぐる/\と丸めて、散歩に出た序に、根津の大きな泥溝の中へ棄ててしまひました。其時一所に歩いてゐた私は、橋の上に立つて笑ひながら友達の所作を眺めてゐましたが、私の胸に何處にも勿體ないといふ氣は少しも起りませんでした。

 其頃から見ると私も大分大人になつてゐました。けれども未だ自分で餘所行の着物を拵えるといふ程の分別は出なかつたのです。私は卒業して髯を生やす時代が來なければ、服裝の心配などはするに及ばないものだといふ變な考を有つてゐたのです。それで奥さんに書物は要るが着物は要らないと云ひました。奥さんは私の買ふ書物の分量を知つてゐました。買つた本をみんな讀むのかと聞くのです。私の買ふものゝ中には字引もありますが、當然眼を通すべき筈でありながら、頁さへ切つてないのもあつたのですから、私は返事に窮しました。私は何うせ要らないものを買ふなら、書物でも衣服でも同じだといふ事に氣が付きました。其上私は色々世話になるといふ口實の下に、御孃さんの氣に入るやうな帶か反物を買つて遣りたかつたのです。それで萬事を奥さんに依頼しました。

 奥さんは自分一人で行くとは云ひません。私にも一所に來いと命令するのです。御孃さんも行かなくてはいけないと云ふのです。今と違つた空氣の中に育てられた私共は、學生の身分として、あまり若い女などと一所に歩き廻る習慣を有つてゐなかつたものです。其頃の私は今よりもまだ習慣の奴隷でしたから、多少躊躇しましたが、思ひ切つて出掛けました。

 御孃さんは大層着飾つてゐました。地體が色の白い癖に、白粉を豐富に塗つたものだから猶目立ちます。往來の人がじろじろ見て行くのです。さうして御孃さんを見たものは屹度其視線をひるがへして、私の顏を見るのだから、變なものでした。

 三人は日本橋へ行つて買ひたいものを買ひました。買ふ間にも色々氣が變るので、思つたより暇がかゝりました。奥さんはわざ/\私の名を呼んで何うだらうと相談をするのです。時々反物を御孃さんの肩から胸へ堅に宛てゝ置いて、私に二三歩退いて見て呉れろといふのです。私は其度ごとに、それは駄目だとか、それは能く似合ふとか、兎に角一人前の口を聞きました。

 斯んな事で時間が掛つて歸りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に對する御禮に何か御馳走すると云つて、木原店といふ寄席のある狹い横丁へ私を連れ込みました。横丁も狹いが、飯を食はせる家も狹いものでした。此邊の地理を一向心得ない私は、奥さんの知識に驚ろいた位です。

 我々は夜に入つて家へ歸りました。其翌日は日曜でしたから、私は終日室の中に閉ぢ籠つてゐました。月曜になつて、學校へ出ると、私は朝つぱらさう/\級友の一人から調戲はれました。何時妻を迎へたのかと云つてわざとらしく聞かれるのです。それから私の細君は非常に美人だといつて賞めるのです。私は三人連で日本橋へ出掛けた所を、其男に何處かで見られたものと見えます。

十八  「私は宅へ歸つて奥さんと御孃さんに其話をしました。奥さんは笑ひました。然し定めて迷惑だらうと云つて私の顏を見ました。私は其時腹のなかで、男は斯んな風にして、女から氣を引いて見られるのかと思ひました。奥さんの眼は充分私にさう思はせる丈の意味を有つてゐたのです。私は其時自分の考へてゐる通りを直截に打ち明けて仕舞へば好かつたかも知れません。然し私にはもう狐疑といふ薩張りしない塊がこびり付いてゐました。私は打ち明けやうとして、ひよいと留まりました。さうして話の角度を故意に少し外らしました。

 私は肝心の自分といふものを問題の中から引き拔いて仕舞ひました。さうして御孃さんの結婚について、奥さんの意中を探つたのです。奥さんは二三さういふ話のないでもないやうな事を、明らかに告げました。然しまだ學校へ出てゐる位で年が若いから、此方では左程急がないのだと説明しました。奥さんは口へは出さないけれども、御孃さんの容色に大分重きを置いてゐるらしく見えました。極めやうと思へば何時でも極められるんだからといふやうな事さへ口外しました。それから御孃さんより外に子供がないのも、容易に手離したがらない源因になつてゐました。嫁に遣るか、聟を取るか、それにさへ迷つてゐるのではなからうかと思はれる所もありました。

 話してゐるうちに、私は色々の知識を奥さんから得たやうな氣がしました。然しそれがために、私は機會を逸したと同樣の結果に陷いつてしまひました。私は自分に就いて、ついに一言も口を開く事が出來ませんでした。私は好い加減な所で話を切り上げて、自分の室へ歸らうとしました。

 さつき迄傍にゐて、あんまりだわとか何とか云つて笑つた御孃さんは、何時の間にか向ふの隅に行つて、脊中を此方へ向けてゐました。私は立たうとして振り返つた時、其後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が讀める筈はありません。御孃さんが此問題について何う考へてゐるか、私には見當が付きませんでした。御孃さんは戸棚を前にして坐つてゐました。其戸棚の一尺ばかり開いてゐる隙間から、御孃さんは何か引き出して膝の上へ置いて眺めてゐるらしかつたのです。私の眼はその隙間の端に、一昨日買つた反物を見付け出しました。私の着物も御孃さんのも同じ戸棚の隅に重ねてあつたのです。

 私が何とも云はずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改たまつた調子になつて、私に何う思ふかと聞くのです。その聞き方は何をどう思ふのかと反問しなければ解らない程不意でした。それが御孃さんを早く片付けた方が得策だらうかといふ意味だと判然した時、私は成るべく緩くらな方が可いだらうと答へました。奥さんは自分もさう思ふと云ひました。

 奥さんと御孃さんと私の關係が斯うなつてゐる所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。其男が此家庭の一員となつた結果は、私の運命に非常な變化を來してゐます。もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば、恐らくかういふ長いものを貴方に書き殘す必要も起らなかつたでせう。私は手もなく、魔の通る前に立つて、其瞬間の影に一生を薄暗くされて氣が付かずにゐたのと同じ事です。自白すると、私は自分で其男を宅へ引張つて來たのです。無論奥さんの許諾も必要ですから、私は最初何もかも隱さず打ち明けて、奥さんに頼んだのです。所が奥さんは止せと云ひました。私には連れて來なければ濟まない事情が充分あるのに、止せといふ奥さんの方には、筋の立つ理窟は丸でなかつたのです。だから私は私の善いと思ふ所を強ひて斷行してしまひました。

十九  「私は其友達の名を此所にKと呼んで置きます。私はこのKと小供の時からの仲好でした。小供の時からと云へば斷らないでも解つてゐるでせう、二人には同郷の縁故があつたのです。Kは眞宗の坊さんの子でした。尤も長男ではありません、次男でした。それである醫者の所へ養子に遣られたのです。私の生れた地方は大變本願寺派の勢力の強い所でしたから、眞宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かつたやうです。一例を擧げると、もし坊さんに女の子があつて、其女の子が年頃になつたとすると、檀家のものが相談して、何處か適當な所へ嫁に遣つて呉れます。無論費用は坊さんの懷から出るのではありません。そんな譯で眞宗寺は大抵有福でした。

 Kの生れた家も相應に暮らしてゐたのです。然し次男を東京へ修業に出す程の餘力があつたか何うか知りません。又修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まつたものか何うか、其所も私には分りません。兎に角Kは醫者の家へ養子に行つたのです。それは私達がまだ中學にゐる時の事でした。私は教場で先生が名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に變つてゐたので驚ろいたのを今でも記憶してゐます。

 Kの養子先も可なりな財産家でした。Kは其所から學資を貰つて東京へ出て來たのです。出て來たのは私と一所でなかつたけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。其時分は一つ室によく二人も三人も机を竝べて寐起したものです。Kと私も二人で同じ間にゐました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合ひながら、外を睨めるやうなものでしたらう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでゐて六疊の間の中では、天下を睥睨するやうな事を云つてゐたのです。

 然し我々は眞面目でした。我々は實際偉くなる積でゐたのです。ことにKは強かつたのです。寺に生れた彼は、常に精進といふ言葉を使ひました。さうして彼の行爲動作は悉くこの精進の一語で形容されるやうに、私には見えたのです。私は心のうちで常にKを畏敬してゐました。

 Kは中學にゐた頃から、宗教とか哲學とかいふ六づかしい問題で、私を困らせました。是は彼の父の感化なのか、又は自分の生れた家、即ち寺といふ一種特別な建物に屬する空氣の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遙かに坊さんらしい性格を有つてゐたやうに見受けられます。元來Kの養家では彼を醫者にする積で東京へ出したのです。然るに頑固な彼は醫者にはならない決心をもつて、東京へ出て來たのです。私は彼に向つて、それでは養父母を欺むくと同じ事ではないかと詰りました。大膽な彼は左右だと答へるのです。道のためなら、其位の事をしても構はないと云ふのです。其時彼の用ひた道といふ言葉は、恐らく彼にも能く解つてゐなかつたでせう。私は無論解つたとは云へません。然し年の若い私達には、この漠然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても氣高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行かうとする意氣組に卑しい所の見える筈はありません。私はKの説に贊成しました。私の同意がKに取つて何の位有力であつたか、それは私も知りません。一圖な彼は、たとひ私がいくら反對しやうとも、矢張自分の思ひ通りを貫ぬいたに違なからうとは察せられます。然し萬一の場合、贊成の聲援を與へた私に、多少の責任が出來てくる位の事は、子供ながら私はよく承知してゐた積です。よし其時にそれ丈の覺悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り廻る必要が起つた場合には、私に割り當てられただけの責任は、私の方で帶びるのが至當になる位な語氣で私は贊成したのです。

二十  「Kと私は同じ科へ入學しました。Kは澄ました顏をして、養家から送つてくれる金で、自分の好な道を歩き出したのです。知れはしないといふ安心と、知れたつて構ふものかといふ度胸とが、二つながらKの心にあつたものと見るよりほか仕方がありません。Kは私よりも平氣でした。

 最初の夏休みにKは國へ歸りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだと云つてゐました。私が歸つて來たのは九月上旬でしたが、彼は果して大觀音の傍の汚ない寺の中に閉ぢ籠つてゐました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狹い室でしたが、彼は其所で自分の思ふ通りに勉強が出來たのを喜こんでゐるらしく見えました。私は其時彼の生活の段々坊さんらしくなつて行くのを認めたやうに思ひます。彼は手頸に珠數を懸けてゐました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する眞似をして見せました。彼は斯うして日に何遍も珠數の輪を勘定するらしかつたのです。たゞし其意味は私には解りません。圓い輪になつてゐるものを一粒づゝ數へて行けば、何處迄數へて行つても終局はありません。Kはどんな所で何んな心持がして、爪繰る手を留めたでせう。詰らない事ですが、私はよくそれを思ふのです。

 私は又彼の室に聖書を見ました。私はそれ迄に御經の名を度々彼の口から聞いた覺がありますが、基督教に就いては、問はれた事も答へられた例もなかつたのですから、一寸驚ろきました。私は其理由を訊ねずにはゐられませんでした。Kは理由はないと云ひました。是程人の有難がる書物なら讀んで見るのが當り前だらうとも云ひました。其上彼は機會があつたら、コーランも讀んで見る積だと云ひました。彼はモハメツドと劒といふ言葉に大いなる興味を有つてゐるやうでした。

 二年目の夏に彼は國から催促を受けて漸く歸りました。歸つても專問の事は何にも云はなかつたものと見えます。家でも亦其所に氣が付かなかつたのです。あなたは學校教育を受けた人だから、斯ういふ消息を能く解してゐるでせうが、世間は學生の生活だの、學校の規則だのに關して、驚ろくべく無知なものです。我々に何でもない事が一向外部へは通じてゐません。我々は又比較的内部の空氣ばかり吸つてゐるので、校内の事は細大共に世の中に知れ渡つてゐる筈だと思ひ過ぎる癖があります。Kは其點にかけて、私より世間を知つてゐたのでせう、澄ました顏で又戻つて來ました。國を立つ時は私も一所でしたから、汽車へ乘るや否やすぐ何うだつたとKに問ひました。Kは何うでもなかつたと答へたのです。

 三度目の夏は丁度私が永久に父母の墳墓の地を去らうと決心した年です。私は其時Kに歸國を勸めましたが、Kは應じませんでした。さう毎年家へ歸つて何をするのだと云ふのです。彼はまた踏み留まつて勉強する積らしかつたのです。私は仕方なしに一人で東京を立つ事にしました。私の郷里で暮らした其二ヶ月間が、私の運命にとつて、如何に波瀾に富んだものかは、前に書いた通りですから繰り返しません。私は不平と幽鬱と孤獨の淋しさとを一つ胸に抱いて、九月に入つて又Kに逢ひました。すると彼の運命も亦私と同樣に變調を示してゐました。彼は私の知らないうちに、養家先へ手紙を出して、此方から自分の詐を白状してしまつたのです。彼は最初から其覺悟でゐたのださうです。今更仕方がないから、御前の好きなものを遣るより外に途はあるまいと、向ふに云はせる積もあつたのでせうか。兎に角大學へ入つて迄も養父母を欺むき通す氣はなかつたらしいのです。又欺むかうとしても、さう長く續くものではないと見拔いたのかも知れません。

二十一  「Kの手紙を見た養父は大變怒りました。親を騙すやうな不埓なものに學資を送る事は出來ないといふ嚴しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれを私に見せました。Kは又それと前後して實家から受取つた書翰も見せました。これにも前に劣らない程嚴しい詰責の言葉がありました。養家先へ對して濟まないといふ義理が加はつてゐるからでもありませうが、此方でも一切構はないと書いてありました。Kが此事件のために復籍してしまふか、それとも他に妥協の道を講じて、依然養家に留まるか、そこは是から起る問題として、差し當り何うかしなければならないのは、月々に必要な學資でした。

 私は其點に就いてKに何か考があるのかと尋ねました。Kは夜學校の教師でもする積だと答へました。其時分は今に比べると、存外世の中が寛ろいでゐましたから、内職の口は貴方が考へる程拂底でもなかつたのです。私はKがそれで十分遣つて行けるだらうと考へました。然し私には私の責任があります。Kが養家の希望に背いて、自分の行きたい道を行かうとした時、贊成したものは私です。私は左右かと云つて手を拱いでゐる譯に行きません。私は其場で物質的の補助をすぐ申し出しました。するとKは一も二もなくそれを跳ね付けました。彼の性格から云つて、自活の方が友達の保護の下に立つより遙かに快よく思はれたのでせう。彼は大學へ這入つた以上、自分一人位何うか出來なければ男でないやうな事を云ひました。私は私の責任を完ふするために、Kの感情を傷つけるに忍びませんでした。それで彼の思ふ通りにさせて、私は手を引きました。

 Kは自分の望むやうな口を程なく探し出しました。然し時間を惜む彼にとつて、此仕事が何の位辛かつたかは想像する迄もない事です。彼は今迄通り勉強の手をちつとも緩めずに、新らしい荷を脊負つて猛進したのです。私は彼の健康を氣遣ひました。然し剛氣な彼は笑ふ丈で、少しも私の注意に取合ひませんでした。

 同時に彼と養家との關係は、段々こん絡がつて來ました。時間に餘裕のなくなつた彼は、前のやうに私と話す機會を奪はれたので、私はついに其顛末を詳しく聞かずに仕舞ひましたが、解決の益困難になつて行く事丈は承知してゐました。人が仲に入つて調停を試みた事も知つてゐました。其人は手紙でKに歸國を促がしたのですが、Kは到底駄目だと云つて、應じませんでした。此剛情な所が、――Kは學年中で歸れないのだから仕方がないと云ひましたけれども、向ふから見れば剛情でせう。そこが事態を益險惡にした樣にも見えました。彼は養家の感情を害すると共に、實家の怒も買ふやうになりました。私が心配して双方を融和するために手紙を書いた時は、もう何の効果もありませんでした。私の手紙は一言の返事さへ受けずに葬られてしまつたのです。私も腹が立ちました。今迄も行掛り上、Kに同情してゐた私は、それ以後は理否を度外に置いてもKの味方をする氣になりました。

 最後にKはとう/\復籍に決しました。養家から出して貰つた學資は、實家で辨償する事になつたのです。其代り實家の方でも構はないから、是からは勝手にしろといふのです。昔の言葉で云へば、まあ勘當なのでせう。或はそれ程強いものでなかつたかも知れませんが、當人はさう解釋してゐました。Kは母のない男でした。彼の性格の一面は、たしかに繼母に育てられた結果とも見る事が出來るやうです。もし彼の實の母が生きてゐたら、或は彼と實家との關係に、斯うまで隔りが出來ずに濟んだかも知れないと私は思ふのです。彼の父は云ふ迄もなく僧侶でした。けれども義理堅い點に於て、寧ろ武士に似た所がありはしないかと疑はれます。

二十二  「Kの事件が一段落ついた後で、私は彼の姉の夫から長い封書を受取りました。Kの養子に行つた先は、此人の親類に當るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、此人の意見が重きをなしてゐたのだと、Kは私に話して聞かせました。

 手紙には其後Kが何うしてゐるか知らせて呉れと書いてありました。姉が心配してゐるから、成るべく早く返事を貰ひたいといふ依頼も付け加へてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいた此姉を好いてゐました。彼等はみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、此姉とKの間には大分年齒の差があつたのです。それでKの小供の時分には、繼母よりも此姉の方が、却つて本當の母らしく見えたのでせう。

 私はKに手紙を見せました。Kは何とも云ひませんでしたけれども、自分の所へ此姉から同じやうな意味の書状が二三度來たといふ事を打ち明けました。Kは其度に心配するに及ばないと答へて遣つたのださうです。運惡く此姉は生活に餘裕のない家に片付いたゝめに、いくらKに同情があつても、物質的に弟を何うして遣る譯にも行かなかつたのです。

 私はKと同じやうな返事を彼の義兄宛で出しました。其中に、萬一の場合には私が何うでもするから、安心するやうにといふ意味を強い言葉で書き現はしました。是は固より私の一存でした。Kの行先を心配する此姉に安心を與へやうといふ好意は無論含まれてゐましたが、私を輕蔑したとより外に取りやうのない彼の實家や養家に對する意地もあつたのです。

 Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の中頃になる迄、約一年半の間、彼は獨力で己れを支へて行つたのです。所が此過度の勞力が次第に彼の健康と精神の上に影響して來たやうに見え出しました。それには無論養家を出る出ないの蒼蠅い問題も手傳つてゐたでせう。彼は段々感傷的になつて來たのです。時によると、自分丈が世の中の不幸を一人で脊負つて立つてゐるやうな事を云ひます。さうして夫を打ち消せばすぐ激するのです。それから自分の未來に横はる光明が、次第に彼の眼を遠退いて行くやうにも思つて、いら/\するのです。學問を遣り始めた時には、誰しも偉大な抱負を有つて、新らしい旅に上るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍いのに氣が付いて、過半は其所で失望するのが當り前になつてゐますから、Kの場合も同じなのですが、彼の焦慮り方は又普通に比べると遙かに甚しかつたのです。私はついに彼の氣分を落ち付けるのが專一だと考へました。

 私は彼に向つて、餘計な仕事をするのは止せと云ひました。さうして當分身體を樂にして、遊ぶ方が大きな將來のために得策だと忠告しました。剛情なKの事ですから、容易に私のいふ事などは聞くまいと、かねて豫期してゐたのですが、實際云ひ出して見ると、思つたよりも説き落すのに骨が折れたので弱りました。Kはたゞ學問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養つて強い人になるのが自分の考だと云ふのです。それには成るべく窮屈な境遇にゐなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、丸で醉狂です。其上窮屈な境遇にゐる彼の意志は、ちつとも強くなつてゐないのです。彼は寧ろ神經衰弱に罹つてゐる位なのです。私は仕方がないから、彼に向つて至極同感であるやうな樣子を見せました。自分もさういふ點に向つて、人生を進む積だつたと遂には明言しました。(尤も是は私に取つてまんざら空虚な言葉でもなかつたのです。Kの説を聞いてゐると、段々さういふ所に釣り込まれて來る位、彼には力があつたのですから)。最後に私はKと一所に住んで、一所に向上の路を辿つて行きたいと發議しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪まづく事を敢てしたのです。さうして漸との事で彼を私の家に連れて來ました。

二十三 「私の座敷には控えの間といふやうな四疊が付屬してゐました。玄關を上つて私のゐる所へ通らうとするには、是非此四疊を横切らなければならないのだから、實用の點から見ると、至極不便な室でした。私は此所へKを入れたのです。尤も最初は同じ八疊に二つ机を竝べて、次の間を共有にして置く考へだつたのですが、Kは狹苦しくつても一人で居る方が好いと云つて、自分で其方のはうを擇んだのです。

前にも話した通り、奥さんは私の此所置に對して始めは不贊成だつたのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商賣でないのだから、成るべくなら止した方が好いといふのです。私が決して世話の燒ける人でないから構ふまいといふと、世話は燒けないでも、氣心の知れない人は厭だと答へるのです。それでは今厄介になつてゐる私だつて同じ事ではないかと詰ると、私の氣心は初めから能く分つてゐると辯解して已まないのです。私は苦笑しました。すると奥さんは又理窟の方向を更へます。そんな人を連れて來るのは、私の爲に惡いから止せと云ひ直します。何故私のために惡いかと聞くと、今度は向ふで苦笑するのです。

實をいふと私だつて強ひてKと一所にゐる必要はなかつたのです。けれども月々の費用を金の形で彼の前に竝べて見せると、彼は屹度それを受取る時に躊躇するだらうと思つたのです。彼はそれ程獨立心の強い男でした。だから私は彼を私の宅へ置いて、二人前の食料を彼の知らない間にそつと奥さんの手に渡さうとしたのです。然し私はKの經濟問題について、一言も奥さんに打ち明ける氣はありませんでした。

私はたゞKの健康に就いて云々しました。一人で置くと益人間が偏窟になるばかりだからと云ひました。それに付け足して、Kが養家と折合の惡かつた事や、實家と離れてしまつた事や、色色話して聞かせました。私は溺れかゝつた人を抱いて、自分の熱を向ふに移してやる覺悟で、Kを引き取るのだと告げました。其積であたゝかい面倒を見て遣つて呉れと、奥さんにも御孃さんにも頼みました。私はここ迄來て漸々奥さんを説き伏せたのです。然し私から何にも聞かないKは、此顛末を丸で知らずにゐました。私も却つてそれを滿足に思つて、のつそり引き移つて來たKを、知らん顏で迎へました。

奥さんと御孃さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何かをして呉れました。凡てそれを私に對する好意から來たのだと解釋した私は、心のうちで喜びました。――Kが相變らずむつちりした樣子をしてゐるにも拘はらず。

私がKに向つて新らしい住居の心持は何うだと聞いた時に、彼はたゞ一言惡くないと云つた丈でした。私から云はせれば惡くない所ではないのです。彼の今迄居た所は北向の濕つぽい臭のする汚ない室でした。食物も室相應に粗末でした。私の家へ引き移つた彼は、幽谷から喬木に移つた趣があつた位です。それを左程に思ふ氣色を見せないのは、一つは彼の強情から來てゐるのですが、一つは彼の主張からも出てゐるのです。佛教の教義で養はれた彼は、衣食住について兎角の贅澤をいふのを恰も不道徳のやうに考へてゐました。なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの傳を讀んだ彼には、動ともすると精神と肉體とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば靈の光輝が増すやうに感ずる場合さへあつたのかも知れません。

 私は成るべく彼に逆はない方針を取りました。私は氷を日向へ出して溶かす工夫をしたのです。今に融けて温かい水になれば、自分で自分に氣が付く時機が來るに違ないと思つたのです。

二十四 「私は奥さんからさう云ふ風に取扱かはれた結果、段々快活になつて來たのです。それを自覺してゐたから、同じものを今度はKの上に應用しやうと試みたのです。Kと私とが性格の上に於て、大分相違のある事は、長く交際つて來た私に能く解つてゐましたけれども、私の神經が此家庭に入つてから多少角が取れた如く、Kの心も此所に置けば何時か沈まる事があるだらうと考へたのです。

Kは私より強い決心を有してゐる男でした。勉強も私の倍位はしたでせう。其上持つて生れた頭の質が私よりもずつと可かつたのです。後では專問が違ましたから何とも云へませんが、同じ級にゐる間は、中學でも高等學校でも、Kの方が常に上席を占めてゐました。私には平生から何をしてもKに及ばないといふ自覺があつた位です。けれども私が強ひてKを私の宅へ引張つて來た時には、私の方が能く事理を辨へてゐると信じてゐました。私に云はせると、彼は我慢と忍耐の區別を了解してゐないやうに思はれたのです。是はとくに貴方のために付け足して置きたいのですから聞いて下さい。肉體なり精神なり凡て我々の能力は、外部の刺戟で、發達もするし、破壞されもするでせうが、何方にしても刺戟を段々に強くする必要のあるのは無論ですから、能く考へないと、非常に險惡な方向へむいて進んで行きながら、自分は勿論傍のものも氣が付かずにゐる恐れが生じてきます。醫者の説明を聞くと、人間の胃袋程横着なものはないさうです。粥ばかり食つてゐると、それ以上の堅いものを消化す力が何時の間にかなくなつて仕舞ふのださうです。だから何でも食ふ稽古をして置けと醫者はいふのです。けれども是はたゞ慣れるといふ意味ではなからうと思ひます。次第に刺戟を増すに從つて、次第に營養機能の抵抗力が強くなるといふ意味でなくてはなりますまい。もし反對に胃の力の方がぢり/\弱つて行つたなら結果は何うなるだらうと想像して見ればすぐ解る事です。Kは私より偉大な男でしたけれども、全く此所に氣が付いてゐなかつたのです。たゞ困難に慣れてしまへば、仕舞に其困難は何でもなくなるものだと極めてゐたらしいのです。艱苦を繰り返せば、繰り返すといふだけの功徳で、其艱苦が氣にかゝらなくなる時機に邂逅へるものと信じ切つてゐたらしいのです。

 私はKを説くときに、是非其所を明らかにして遣りたかつたのです。然し云へば屹度反抗されるに極つてゐました。また昔の人の例などを、引合に持つて來るに違ないと思ひました。さうなれば私だつて、其人達とKと違つてゐる點を明白に述べなければならなくなります。それを首肯つて呉れるやうなKなら可いのですけれども、彼の性質として、議論が其所迄行くと容易に後へは返りません。猶先へ出ます。さうして、口で先へ出た通りを、行爲で實現しに掛ります。彼は斯うなると恐るべき男でした。偉大でした。自分で自分を破壞しつゝ進みます。結果から見れば、彼はたゞ自己の成功を打ち碎く意味に於て、偉大なのに過ぎないのですけれども、それでも決して平凡ではありませんでした。彼の氣性をよく知つた私はついに何とも云ふ事が出來なかつたのです。其上私から見ると、彼は前にも述べた通り、多少神經衰弱に罹つてゐたやうに思はれたのです。よし私が彼を説き伏せた所で、彼は必ず激するに違ないのです。私は彼と喧嘩をする事は恐れてはゐませんでしたけれども、私が孤獨の感に堪へなかつた自分の境遇を顧みると、親友の彼を、同じ孤獨の境遇に置くのは、私に取つて忍びない事でした。一歩進んで、より孤獨な境遇に突き落すのは猶厭でした。それで私は彼が宅へ引き移つてからも、當分の間は批評がましい批評を彼の上に加へずにゐました。たゞ穩かに周圍の彼に及ぼす結果を見る事にしたのです。

二十五  「私は蔭へ廻つて、奥さんと御孃さんに、成るべくKと話しをする樣に頼みました。私は彼の是迄通つて來た無言生活が彼に祟つてゐるのだらうと信じたからです。使はない鐵が腐るやうに、彼の心には錆が出てゐたとしか、私には思はれなかつたのです。

 奥さんは取り付き把のない人だと云つて笑つてゐました。御孃さんは又わざ/\其例を擧げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kは無いと答へるさうです。では持つて來ようと云ふと、要らないと斷わるさうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだと云つたぎり應對をしないのださうです。私はたゞ苦笑してゐる譯にも行きません。氣の毒だから、何とか云つて其場を取り繕ろつて置かなければ濟まなくなります。尤もそれは春の事ですから、強ひて火にあたる必要もなかつたのですが、是では取り付き把がないと云はれるのも無理はないと思ひました。

 それで私は成るべく、自分が中心になつて、女二人とKとの連絡をはかる樣に力めました。Kと私が話してゐる所へ家の人を呼ぶとか、又は家の人と私が一つ室に落ち合つた所へ、Kを引つ張り出すとか、何方でも其場合に應じた方法をとつて、彼等を接近させやうとしたのです。勿論Kはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起つて室の外へ出ました。又ある時はいくら呼んでも中々出て來ませんでした。Kはあんな無駄話をして何處が面白いと云ふのです。私はたゞ笑つてゐました。然し心の中では、Kがそのために私を輕蔑してゐる事が能く解りました。

 私はある意味から見て實際彼の輕蔑に價してゐたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遙かに高いところにあつたとも云はれるでせう。私もそれを否みはしません。然し眼だけ高くつて、外が釣り合はないのは手もなく不具です。私は何を措いても、此際彼を人間らしくするのが專一だと考へたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で埋まつてゐても、彼自身が偉くなつて行かない以上は、何の役にも立たないといふ事を發見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まづ異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。さうして其所から出る空氣に彼を曝した上、錆び付きかゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みたのです。

 此試みは次第に成功しました。初のうち融合しにくいやうに見えたものが、段々一つに纏まつて來出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しづゝ悟つて行くやうでした。彼はある日私に向つて、女はさう輕蔑すべきものでないと云ふやうな事を云ひました。Kははじめ女からも、私同樣の知識と學問を要求してゐたらしいのです。左右してそれが見付からないと、すぐ輕蔑の念を生じたものと思はれます。今迄の彼は、性によつて立場を變へる事を知らずに、同じ視線で凡ての男女を一樣に觀察してゐたのです。私は彼に、もし我等二人丈が男同志で永久に話を交換してゐるならば、二人はたゞ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだらうと云ひました。彼は尤もだと答へました。私は其時御孃さんの事で、多少夢中になつてゐる頃でしたから、自然そんな言葉も使ふやうになつたのでせう。然し裏面の消息は彼には一口も打ち明けませんでした。

 今迄書物で城壁をきづいて其中に立て籠つてゐたやうなKの心が、段々打ち解けて來るのを見てゐるのは、私に取つて何よりも愉快でした。私は最初からさうした目的で事を遣り出したのですから、自分の成功に伴ふ喜悦を感ぜずにはゐられなかつたのです。私は本人に云はない代りに、奥さんと御孃さんに自分の思つた通りを話しました。二人も滿足の樣子でした。

二十六  「Kと私は同じ科に居りながら、專攻の學問が違つてゐましたから、自然出る時や歸る時に遲速がありました。私の方が早ければ、たゞ彼の空室を通り拔ける丈ですが、遲いと簡單な挨拶をして自分の部屋へ這入るのを例にしてゐました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖を開ける私を一寸見ます。さうして屹度今歸つたのかと云ひます。私は何も答へないで點頭く事もありますし、或はたゞ『うん』と答へて行き過ぎる場合もありました。

 ある日私は神田に用があつて、歸りが何時もよりずつと後れました。私は急ぎ足に門前迄來て、格子をがらりと開けました。それと同時に、私は御孃さんの聲を聞いたのです。聲は慥にKの室から出たと思ひました。玄關から眞直に行けば、茶の間、御孃さんの部屋と二つ續いてゐて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、といふ間取なのですから、何處で誰の聲がした位は、久しく厄介になつてゐる私には能く分るのです。私はすぐ格子を締めました。すると御孃さんの聲もすぐ已みました。私が靴を脱いでゐるうち、――私は其時分からハイカラで手數のかゝる編上を穿いてゐたのですが、――私がこゞんで其靴紐を解いてゐるうち、Kの部屋では誰の聲もしませんでした。私は變に思ひました。ことによると、私の疳違かも知れないと考へたのです。然し私がいつもの通りKの室を拔けやうとして、襖を開けると、其所に二人はちやんと坐つてゐました。Kは例の通り今歸つたかと云ひました。御孃さんも『御歸り』と坐つた儘で挨拶しました。私には氣の所爲か其簡單な挨拶が少し硬いやうに聞こえました。何處かで自然を踏み外してゐるやうな調子として、私の鼓膜に響いたのです。私は御孃さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひつそりしてゐたから聞いて見た丈の事です。

 奥さんは果して留守でした。下女も奥さんと一所に出たのでした。だから家に殘つてゐるのは、Kと御孃さん丈だつたのです。私は一寸首を傾けました。今迄長い間世話になつてゐたけれども、奥さんが御孃さんと私だけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかつたのですから。私は何か急用でも出來たのかと御孃さんに聞き返しました。御孃さんはたゞ笑つてゐるのです。私は斯んな時に笑ふ女が嫌でした。若い女に共通な點だと云へばそれ迄かも知れませんが、御孃さんも下らない事に能く笑ひたがる女でした。然し御孃さんは私の顏色を見て、すぐ不斷の表情に歸りました。急用ではないが、一寸用があつて出たのだと眞面目に答へました。下宿人の私にはそれ以上問ひ詰める權利はありません。私は沈默しました。

 私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も歸つて來ました。やがて晩食の食卓でみんなが顏を合せる時刻が來ました。下宿した當座は萬事客扱ひだつたので、食事のたびに下女が膳を運んで來て呉れたのですが、それが何時の間にか崩れて、飯時には向ふへ呼ばれて行く習慣になつてゐたのです。Kが新らしく引き移つた時も、私が主張して彼を私と同じやうに取扱はせる事に極めました。其代り私は薄い板で造つた足の疊み込める華奢な食卓を奥さんに寄附しました。今では何處の宅でも使つてゐるやうですが、其頃そんな卓の周圍に竝んで飯を食ふ家族は殆んどなかつたのです。私はわざ/\御茶の水の家具屋へ行つて、私の工夫通りにそれを造り上させたのです。

 私は其卓上で奥さんから其日何時もの時刻に肴屋が來なかつたので、私達に食はせるものを買ひに町へ行かなければならなかつたのだといふ説明を聞かされました。成程客を置いてゐる以上、それも尤もな事だと私が考へた時、御孃さんは私の顏を見て又笑ひ出しました。然し今度は奥さんに叱られてすぐ已めました。

二十七  「一週間ばかりして私は又Kと御孃さんが一所に話してゐる室を通り拔けました。其時御孃さんは私の顏を見るや否や笑ひ出しました。私はすぐ何が可笑しいのかと聞けば可かつたのでせう。それをつい默つて自分の居間迄來て仕舞つたのです。だからKも何時ものやうに、今歸つたかと聲を掛ける事が出來なくなりました。御孃さんはすぐ障子を開けて茶の間へ入つたやうでした。

 夕飯の時、御孃さんは私を變な人だと云ひました。私は其時も何故變なのか聞かずにしまひました。たゞ奥さんが睨めるやうな眼を御孃さんに向けるのに氣が付いた丈でした。

 私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は傳通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻つて又富坂の下へ出ました。散歩としては短かい方ではありませんでしたが、其間に話した事は極めて少なかつたのです。性質からいふと、Kは私よりも無口な男でした。私も多辯な方ではなかつたのです。然し私は歩きながら、出來る丈話を彼に仕掛て見ました。私の問題は重に二人の下宿してゐる家族に就いてでした。私は奥さんや御孃さんを彼が何う見てゐるか知りたかつたのです。所が彼は海のものとも山のものとも見分の付かないやうな返事ばかりするのです。しかも其返事は要領を得ない癖に、極めて簡單でした。彼は二人の女に關してよりも、專攻の學科の方に多くの注意を拂つてゐる樣に見えました。尤もそれは二學年目の試驗が目の前に逼つてゐる頃でしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が學生らしい學生だつたのでせう。其上彼はシユエデンボルグが何うだとか斯うだとか云つて、無學な私を驚ろかせました。

 我々が首尾よく試驗を濟ましました時、二人とももう後一年だと云つて奥さんは喜こんで呉れました。さう云ふ奥さんの唯一の誇とも見られる御孃さんの卒業も、間もなく來る順になつてゐたのです。Kは私に向つて、女といふものは何にも知らないで學校を出るのだと云ひました。Kは御孃さんが學問以外に稽古してゐる縫針だの琴だの活花だのを、丸で眼中に置いてゐないやうでした。私は彼の迂濶を笑つてやりました。さうして女の價値はそんな所にあるものでないといふ昔の議論を又彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁もしませんでした。其代り成程といふ樣子も見せませんでした。私には其所が愉快でした。彼のふんと云つた調子が、依然として女を輕蔑してゐるやうに見えたからです。女の代表者として私の知つてゐる御孃さんを、物の數とも思つてゐないらしかつたからです。今から囘顧すると、私のKに對する嫉妬は、其時にもう充分萌してゐたのです。

 私は夏休みに何處かへ行かうかとKに相談しました。Kは行きたくないやうな口振を見せました。無論彼は自分の自由意志で何處へも行ける身體ではありませんが、私が誘ひさへすれば、また何處へ行つても差支へない身體だつたのです。私は何故行きたくないのかと彼に尋ねて見ました。彼は理由も何にもないと云ふのです。宅で書物を讀んだ方が自分の勝手だと云ふのです。私が避暑地へ行つて涼しい所で勉強した方が、身體の爲だと主張すると、それなら私一人行つたら可からうと云ふのです。然し私はK一人を此所に殘して行く氣にはなれないのです。私はたゞでさへKと宅のものが段々親しくなつて行くのを見てゐるのが、餘り好い心持ではなかつたのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を惡くするのかと云はれゝば夫迄です。私は馬鹿に違ないのです。果しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲に入りました。二人はとう/\一所に房州へ行く事になりました。

二十八  「Kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は始てでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田とか云ひました。今では何んなに變つてゐるか知りませんが、其頃は非道い漁村でした。第一何處も彼處も腥さいのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳のやうな大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろ/\してゐるのです。

 私はすぐ厭になりました。然しKは好いとも惡いとも云ひません。少なくとも顏付丈は平氣なものでした。其癖彼は海に入るたんびに何處かに怪我をしない事はなかつたのです。私はとうとう彼を説き伏せて、其所から富浦に行きました。富浦から又那古に移りました。總て此沿岸は其時分から重に學生の集まる所でしたから、何處でも我々には丁度手頃の海水浴場だつたのです。Kと私は能く海岸の岩の上に坐つて、遠い海の色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下す水は、又特別に綺麗なものでした。赤い色だの藍の色だの、普通市場に上らないやうな色をした小魚が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでゐるのが鮮やかに指さゝれました。

 私は其所に坐つて、よく書物をひろげました。Kは何もせずに默つてゐる方が多かつたのです。私にはそれが考へに耽つてゐるのか、景色に見惚れてゐるのか、若しくは好きな想像を描いてゐるのか、全く解らなかつたのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしてゐるのだと聞きました。Kは何もしてゐないと一口答へる丈でした。私は自分の傍に斯うぢつとして坐つてゐるものが、Kでなくつて、御孃さんだつたら嘸愉快だらうと思ふ事が能くありました。それ丈ならまだ可いのですが、時にはKの方でも私と同じやうな希望を抱いて岩の上に坐つてゐるのではないかしらと忽然疑ひ出すのです。すると落ち付いて其所に書物をひろげてゐるのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。さうして遠慮のない大きな聲を出して怒鳴ります。纏まつた詩だの歌だのを面白さうに吟ずるやうな手緩い事は出來ないのです。只野蠻人の如くにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後からぐいと攫みました。斯うして海の中へ突き落したら何うすると云つてKに聞きました。Kは動きませんでした。後向の儘、丁度好い、遣つて呉れと答へました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。

 Kの神經衰弱は此時もう大分可くなつてゐたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になつて來てゐたのです。私は自分より落付いてゐるKを見て、羨ましがりました。又憎らしがりました。彼は何うしても私に取り合ふ氣色を見せなかつたからです。私にはそれが一種の自信の如く映りました。然しその自信を彼に認めた所で、私は決して滿足出來なかつたのです。私の疑ひはもう一歩前へ出て、その性質を明らめたがりました。彼は學問なり事業なりに就いて、是から自分の進んで行くべき前途の光明を再び取り返した心持になつたのだらうか。單にそれ丈ならば、Kと私との利害に何の衝突の起る譯はないのです。私は却つて世話のし甲斐があつたのを嬉しく思ふ位なものです。けれども彼の安心がもし御孃さんに對してであるとすれば、私は決して彼を許す事が出來なくなるのです。不思議にも彼は私の御孃さんを愛してゐる素振に全く氣が付いてゐないやうに見えました。無論私もそれがKの眼に付くやうにわざとらしくは振舞ひませんでしたけれども。Kは元來さういふ點にかけると鈍い人なのです。私には最初からKなら大丈夫といふ安心があつたので、彼をわざ/\宅へ連れて來たのです。

二十九  「私は思ひ切つて自分の心をKに打ち明けやうとしました。尤も是は其時に始まつた譯でもなかつたのです。旅に出ない前から、私にはさうした腹が出來てゐたのですけれども、打ち明ける機會をつらまへる事も、其機會を作り出す事も、私の手際では旨く行かなかつたのです。今から思ふと、其頃私の周圍にゐた人間はみんな妙でした。女に關して立ち入つた話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種を有たないのも大分ゐたでせうが、たとひ有つてゐても默つてゐるのが普通の樣でした。比較的自由な空氣を呼吸してゐる今の貴方がたから見たら、定めし變に思はれるでせう。それが道學の餘習なのか、又は一種のはにかみなのか、判斷は貴方の理解に任せて置きます。

 Kと私は何でも話し合へる中でした。偶には愛とか戀とかいふ問題も、口に上らないではありませんでしたが、何時でも抽象的な理論に落ちてしまふ丈でした。それも滅多には話題にならなかつたのです。大抵は書物の話と學問の話と、未來の事業と、抱負と、修養の話位で持ち切つてゐたのです。いくら親しくつても斯う堅くなつた日には、突然調子を崩せるものではありません。二人はたゞ堅いなりに親しくなる丈です。私は御孃さんの事をKに打ち明けやうと思ひ立つてから、何遍齒掻ゆい不快に惱まされたか知れません。私はKの頭の何處か一ケ所を突き破つて、其所から柔らかい空氣を吹き込んでやりたい氣がしました。

 貴方がたから見て笑止千萬な事も其時の私には實際大困難だつたのです。私は旅先でも宅にゐた時と同じやうに卑怯でした。私は始終機會を捕える氣でKを觀察してゐながら、變に高踏的な彼の態度を何うする事も出來なかつたのです。私に云はせると、彼の心臟の周圍は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎ懸けやうとする血潮は、一滴も其心臟の中へは入らないで、悉く彈き返されてしまふのです。

 或時はあまりにKの樣子が強くて高いので、私は却つて安心した事もあります。さうして自分の疑を腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のやうに見えて、急に厭な心持になるのです。然し少時すると、以前の疑が又逆戻りをして、強く打ち返して來ます。凡てが疑ひから割り出されるのですから、凡てが私には不利益でした。容貌もKの方が女に好かれるやうに見えました。性質も私のやうにこせ/\してゐない所が、異性には氣に入るだらうと思はれました。何處か間が拔けてゐて、それで何處かに確かりした男らしい所のある點も、私よりは優勢に見えました。學力になれば專問こそ違ひますが、私は無論Kの敵でないと自覺してゐました。――凡て向ふの好い所丈が斯う一度に眼先へ散らつき出すと、一寸安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。

 Kは落ち付かない私の樣子を見て、厭なら一先東京へ歸つても可いと云つたのですが、さう云はれると、私は急に歸りたくなくなりました。實はKを東京へ歸したくなかつたのかも知れません。二人は房州の鼻を廻つて向ふ側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思ひをして、上總の其所一里に騙されながら、うん/\歩きました。私にはさうして歩いてゐる意味が丸で解らなかつた位です。私は冗談半分Kにさう云ひました。するとKは足があるから歩くのだと答へました。さうして暑くなると、海に入つて行かうと云つて、何處でも構はず潮へ漬りました。その後を又強い日で照り付けられるのですから、身體が倦怠くてぐた/\になりました。

三十  「斯んな風にして歩いてゐると、暑さと疲勞とで自然身體の調子が狂つて來るものです。尤も病氣とは違ひます。急に他の身體の中へ、自分の靈魂が宿替をしたやうな氣分になるのです。私は平生の通りKと口を利きながら、何處かで平生の心持と離れるやうになりました。彼に對する親しみも憎しみも、旅中限りといふ特別な性質を帶びる風になつたのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、又歩行のため、在來と異なつた新らしい關係に入る事が出來たのでせう。其時の我々は恰も道づれになつた行商のやうなものでした。いくら話をしても何時もと違つて、頭を使ふ込み入つた問題には觸れませんでした。

 我々は此調子でとう/\銚子迄行つたのですが、道中たつた一つの例外があつたのを今に忘れる事が出來ないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊といふ所で、鯛の浦を見物しました。もう年數も餘程經つてゐますし、それに私には夫程興味のない事ですから、判然とは覺えてゐませんが、何でも其所は日蓮の生れた村だとか云ふ話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられてゐたとかいふ言傳へになつてゐるのです。それ以來村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至つたのだから、浦には鯛が澤山ゐるのです。我々は小舟を傭つて、其鯛をわざ/\見に出掛けたのです。

 其時私はたゞ一圖に波を見てゐました。さうして其波の中に動く少し紫がかつた鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。然しKは私程それに興味を有ち得なかつたものと見えます。彼は鯛よりも却つて日蓮の方を頭の中で想像してゐたらしいのです。丁度其所に誕生寺といふ寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでせう、立派な伽藍でした。Kは其寺に行つて住持に會つて見るといひ出しました。實をいふと、我々は隨分變な服裝をしてゐたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠を買つて被つてゐました。着物は固より双方とも垢じみた上に汗で臭くなつてゐました。私は坊さんなどに會ふのは止さうと云ひました。Kは強情だから聞きません。厭なら私丈外に待つてゐろといふのです。私は仕方がないから一所に玄關にかゝりましたが、心のうちでは屹度斷られるに違ないと思つてゐました。所が坊さんといふものは案外丁寧なもので、廣い立派な座敷へ私達を通して、すぐ會つて呉れました。其時分の私はKと大分考が違つてゐましたから、坊さんとKの談話にそれ程耳を傾ける氣も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いてゐたやうです。日蓮は草日蓮と云はれる位で、草書が大變上手であつたと坊さんが云つた時、字の拙いKは、何だ下らないといふ顏をしたのを私はまだ覺えてゐます。Kはそんな事よりも、もつと深い意味の日蓮が知りたかつたのでせう。坊さんが其點でKを滿足させたか何うかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向つて日蓮の事を云々し出しました。私は暑くて草臥れて、それ所ではありませんでしたから、唯口の先で好い加減な挨拶をしてゐました。夫も面倒になつてしまひには全く默つてしまつたのです。

 たしかその翌る晩の事だと思ひますが、二人は宿へ着いて飯を食つて、もう寐やうといふ少し前になつてから、急に六づかしい問題を論じ合ひ出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事に就いて、私が取り合はなかつたのを、快よく思つてゐなかつたのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だと云つて、何だか私をさも輕薄ものゝやうに遣り込めるのです。ところが私の胸には御孃さんの事が蟠まつてゐますから、彼の侮蔑に近い言葉をたゞ笑つて受け取る譯に行きません。私は私で辯解を始めたのです。

三十一  「其時私はしきりに人間らしいといふ言葉を使ひました。Kは此人間らしいといふ言葉のうちに、私が自分の弱點の凡てを隱してゐると云ふのです。成程後から考へれば、Kのいふ通りでした。然し人間らしくない意味をKに納得させるために其言葉を使ひ出した私には、出立點が既に反抗的でしたから、それを反省するやうな餘裕はありません。私は猶の事自説を主張しました。するとKが彼の何處をつらまえて人間らしくないと云ふのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。或は人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先丈では人間らしくないやうな事を云ふのだ。又人間らしくないやうに振舞はうとするのだ。

 私が斯う云つた時、彼はたゞ自分の修養が足りないから、他にはさう見えるかも知れないと答へた丈で、一向私を反駁しやうとしませんでした。私は張合が拔けたといふよりも、却つて氣の毒になりました。私はすぐ議論を其所で切り上げました。彼の調子もだん/\沈んで來ました。もし私が彼の知つてゐる通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだらうと云つて悵然としてゐました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。靈のために肉を虐げたり、道のために體を鞭つたりした所謂難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどの位そのために苦しんでゐるか解らないのが、如何にも殘念だと明言しました。

 Kと私とはそれぎり寐てしまいました。さうして其翌る日から又普通の行商の態度に返つて、うん/\汗を流しながら歩き出したのです。然し私は路々其晩の事をひよい/\と思ひ出しました。私には此上もない好い機會が與へられたのに、知らない振をして何故それを遣り過ごしたのだらうといふ悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいといふ抽象的な言葉を用ひる代りに、もつと直截で簡單な話をKに打ち明けてしまへば好かつたと思ひ出したのです。實を云ふと、私がそんな言葉を創造したのも、御孃さんに對する私の感情が土臺になつてゐたのですから、事實を蒸溜して拵らえた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原の形そのまゝを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だつたでせう。私にそれが出來なかつたのは、學問の交際が基調を構成してゐる二人の親しみに、自から一種の惰性があつたため、思ひ切つてそれを突き破る丈の勇氣が私に缺けてゐたのだといふ事をこゝに自白します。氣取り過ぎたと云つても、虚榮心が崇つたと云つても同じでせうが、私のいふ氣取るとか虚榮とかいふ意味は、普通のとは少し違ひます。それがあなたに通じさへすれば、私は滿足なのです。

 我々は眞黒になつて東京へ歸りました。歸つた時は私の氣分が又變つてゐました。人間らしいとか、人間らしくないとかいふ小理窟は殆んど頭の中に殘つてゐませんでした。Kにも宗教家らしい樣子が全く見えなくなりました。恐らく彼の心のどこにも靈がどうの肉がどうのといふ問題は、其時宿つてゐなかつたでせう。二人は異人種のやうな顏をして、忙がしさうに見える東京をぐる/\眺めました。それから兩國へ來て、暑いのに軍鶏を食ひました。Kは其勢で小石川迄歩いて歸らうと云ふのです。體力から云へばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ應じました。

 宅へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚ろきました。二人はたゞ色が黒くなつたばかりでなく、無暗に歩いてゐたうちに大變瘠せてしまつたのです。奥さんはそれでも丈夫さうになつたと云つて賞めて呉れるのです。御孃さんは奥さんの矛盾が可笑しいと云つて又笑ひ出しました。旅行前時々腹の立つた私も、其時丈は愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久し振に聞いた所爲でせう。

三十二  「それのみならず私は御孃さんの態度の少し前と變つてゐるのに氣が付きました。久し振で旅から歸つた私達が平生の通り落付く迄には、萬事に就いて女の手が必要だつたのですが、其世話をして呉れる奥さんは兎に角、御孃さんが凡て私の方を先にして、Kを後廻しにするやうに見えたのです。それを露骨に遣られては、私も迷惑したかも知れません。場合によつては却つて不快の念さへ起しかねなかつたらうと思ふのですが、御孃さんの所作は其點で甚だ要領を得てゐたから、私は嬉しかつたのです。つまり御孃さんは私だけに解るやうに、持前の親切を餘分に私の方へ割り宛てゝ呉れたのです。だからKは別に厭な顏もせずに平氣でゐました。私は心の中でひそかに彼に對する 凱歌を奏しました。

 やがて夏も過ぎて九月の中頃から我々はまた學校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自の時間の都合で、出入の刻限にまた遲速が出來てきました。私がKより後れて歸る時は一週に三度ほどありましたが、何時歸つても御孃さんの影をKの室に認める事はないやうになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、『今歸つたのか』を規則の如く繰り返しました。私の會釋も殆んど器械の如く簡單で且つ無意味でした。

 たしか十月の中頃と思ひます、私は寐坊をした結果、日本服の儘急いで學校へ出た事があります。穿物も編上などを結んでゐる時間が惜しいので、草履を突つかけたなり飛び出したのです。其日は時間割からいふと、Kよりも私の方が先へ歸る筈になつてゐました。私は戻つて來ると、其積で玄關の格子をがらりと開けたのです。すると居ないと思つてゐたKの聲がひよいと聞こえました。同時に御孃さんの笑ひ聲が私の耳に響きました。私は何時ものやうに手數のかゝる靴を穿いてゐないから、すぐ玄關に上がつて仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐つてゐるKを見ました。然し御孃さんはもう其所にはゐなかつたのです。私は恰もKの室から逃れ出るやうに去る其後姿をちらりと認めた丈でした。私はKに何うして早く歸つたのかと問ひました。Kは心持が惡いから休んだのだと答へました。私が自分の室に這入つて其儘坐つてゐると、間もなく御孃さんが茶を持つて來て呉れました。其時御孃さんは始めて御歸りといつて私に挨拶をしました。私は笑ひながらさつきは何故逃げたんですと聞けるやうな捌けた男ではありません。それでゐて腹の中では何だか其事が氣にかゝるやうな人間だつたのです。御孃さんはすぐ座を立つて縁側傳ひに向ふへ行つてしまひました。然しKの室の前に立ち留まつて、二言三言内と外とで話しをしてゐました。それは先刻の續きらしかつたのですが、前を聞かない私には丸で解りませんでした。

 そのうち御孃さんの態度がだん/\平氣になつて來ました。Kと私が一所に宅にゐる時でも、よくKの室の縁側へ來て彼の名を呼びました。さうして其所へ入つて、ゆつくりしてゐました。無論郵便を持つて來る事もあるし、洗濯物を置いて行く事もあるのですから、其位の交通は同じ宅にゐる二人の關係上、當然と見なければならないのでせうが、是非御孃さんを專有したいといふ強烈な一念に動かされてゐる私には、何うしてもそれが當然以上に見えたのです。ある時は御孃さんがわざ/\私の室へ來るのを囘避して、Kの方ばかり行くやうに思はれる事さへあつた位です。それなら何故Kに宅を出て貰はないのかと貴方は聞くでせう。然しさうすれば私がKを無理に引張て來た主意が立たなくなる丈です。私にはそれが出來ないのです。

三十三  「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を拔けて細い坂路を上つて宅へ歸りました。Kの室は空虚うでしたけれども、火鉢には繼ぎたての火が暖かさうに燃えてゐました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳さうと思つて、急いで自分の室の仕切を開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く殘つてゐる丈で、火種さへ盡きてゐるのです。私は急に不愉快になりました。

 其時私の足音を聞いて出て來たのは、奥さんでした。奥さんは默つて室の眞中に立つてゐる私を見て、氣の毒さうに外套を脱がせて呉れたり、日本服を着せて呉れたりしました。それから私が寒いといふのを聞いて、すぐ次の間からKの火鉢を持つて來て呉れました。私がKはもう歸つたのかと聞きましたら、奥さんは歸つて又出たと答へました。其日もKは私より後れて歸る時間割だつたのですから、私は何うした譯かと思ひました。奥さんは大方用事でも出來たのだらうと云つてゐました。

 私はしばらく其所に坐つたまゝ書見をしました。宅の中がしんと靜まつて、誰の話し聲も聞こえないうちに、初冬の寒さと佗びしさとが、私の身體に食ひ込むやうな感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私は不圖賑やかな所へ行きたくなつたのです。雨はやつと歇つたやうですが、空はまだ冷たい鉛のやうに重く見えたので、私は用心のため、蛇の目を肩に擔いで、砲兵工廠の裏手の土塀について東へ坂を下りました。其時分はまだ道路の改正が出來ない頃なので、坂の勾配が今よりもずつと急でした。道幅も狹くて、あゝ眞直ではなかつたのです。其上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞がつてゐるのと、放水がよくないのとで、往來はどろどろでした。ことに細い石橋を渡つて柳町の通りへ出る間が非道かつたのです。足駄でも長靴でも無暗に歩く譯には行きません。誰でも路の眞中に自然と細長く泥が掻き分けられた所を、後生大事に辿つて行かなければならないのです。其幅は僅か一二尺しかないのですから、手もなく往來に敷いてある帶の上を踏んで向へ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になつてそろ/\通り拔けます。私は此細帶の上で、はたりとKに出合ひました。足の方にばかり氣を取られてゐた私は、彼と向き合ふ迄、彼の存在に丸で氣が付かずにゐたのです。私は不意に自分の前が塞がつたので偶然眼を上げた時、始めて其所に立つてゐるKを認めたのです。私はKに何處へ行つたのかと聞きました。Kは一寸其所迄と云つたぎりでした。彼の答へは何時もの通りふんといふ調子でした。Kと私は細い帶の上で身體を替せました。するとKのすぐ後に一人の若い女が立つてゐるのが見えました。近眼の私には、今迄それが能く分らなかつたのですが、Kを遣り越した後で、其女の顏を見ると、それが宅の御孃さんだつたので、私は少からず驚ろきました。御孃さんは心持薄赤い顏をして、私に挨拶をしました。其時分の束髪は今と違つて廂が出てゐないのです、さうして頭の眞中に蛇のやうにぐる/\卷きつけてあつたものです。私はぼんやり御孃さんの頭を見てゐましたが、次の瞬間に、何方か路を讓らなければならないのだといふ事に氣が付きました。私は思ひ切つてどろ/\の中へ片足踏ん込みました。さうして比較的通り易い所を空けて、御孃さんを渡して遣りました。

 それから柳町の通りへ出た私は何處へ行つて好いか自分にも分らなくなりました。何處へ行つても面白くないやうな心持がするのです。私は飛泥の上がるのも構はずに、糠る海の中を自暴にどし/\歩きました。それから直ぐ宅へ歸つて來ました。

三十四  「私はKに向つて御孃さんと一所に出たのかと聞きました。Kは左右ではないと答へました。眞砂町で偶然出會つたから連れ立つて歸つて來たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入つた質問を控えなければなりませんでした。然し食事の時、又御孃さんに向つて、同じ問を掛けたくなりました。すると御孃さんは私の嫌な例の笑ひ方をするのです。さうして何處へ行つたか中てゝ見ろと仕舞に云ふのです。其頃の私はまだ癇癪持でしたから、さう不眞面目に若い女から取り扱はれると腹が立ちました。所が其所に氣の付くのは、同じ食卓に着いてゐるものゝうちで奥さん一人だつたのです。Kは寧ろ平氣でした。御孃さんの態度になると、知つてわざと遣るのか、知らないで無邪氣に遣るのか、其所の區別が一寸判然しない點がありました。若い女として御孃さんは思慮に富んだ方でしたけれども、其若い女に共通な私の嫌な所も、あると思へば思へなくもなかつたのです。さうして其嫌な所は、Kが宅へ來てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに對する私の嫉妬に歸して可いものか、又は私に對する御孃さんの技巧と見傚して然るべきものか、一寸分別に迷ひました。私は今でも決して其時の私の嫉妬心を打ち消す氣はありません。私はたび/\繰り返した通り、愛の裏面に此感情の働きを明らかに意識してゐたのですから。しかも傍のものから見ると、殆んど取るに足りない瑣事に、此感情が屹度首を持ち上げたがるのでしたから。是は餘事ですが、かういふ嫉妬は愛の半面ぢやないでせうか。私は結婚してから、此感情がだん%\薄らいで行くのを自覺しました。其代り愛情の方も決して元のやうに猛烈ではないのです。

 私はそれ迄躊躇してゐた自分の心を、一思ひに相手の胸へ擲き付けやうかと考へ出しました。私の相手といふのは御孃さんではありません、奥さんの事です。奥さんに御孃さんを呉れろと明白な談判を開かうかと考へたのです。然しさう決心しながら、一日/\と私は斷行の日を延ばして行つたのです。さういふと私はいかにも優柔な男のやうに見えます、又見えても構ひませんが、實際私の進みかねたのは、意志の力に不足があつた爲ではありません。Kの來ないうちは、他の手に乘るのが厭だといふ我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないやうにしてゐました。Kの來た後は、もしかすると御孃さんがKの方に意があるのではなからうかといふ疑念が絶えず私を制するやうになつたのです。果して御孃さんが私よりもKに心を傾むけてゐるならば、此戀は口へ云ひ出す價値のないものと私は決心してゐたのです。恥を掻かせられるのが辛いなどゝ云ふのとは少し譯が違ます。此方でいくら思つても、向ふが内心他の人に愛の眼を注いでゐるならば、私はそんな女と一所になるのは厭なのです。世の中では否應なしに自分の好いた女を嫁に貰つて嬉しがつてゐる人もありますが、それは私達より餘つ程世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物のする事と、當時の私は考へてゐたのです。一度貰つて仕舞へば何うか斯うか落ち付くものだ位の哲理では、承知する事が出來ない位私は熱してゐました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だつたのです。同時に尤も迂遠な愛の實際家だつたのです。

 肝心の御孃さんに、直接此私といふものを打ち明ける機會も、長く一所にゐるうちには時々出て來たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、さういふ事は許されてゐないのだといふ自覺が、其頃の私には強くありました。然し決してそれ許が私を束縛したとは云へません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に氣兼なく自分の思つた通りを遠慮せずに口にする丈の勇氣に乏しいものと私は見込んでゐたのです。

三十五  「斯んな譯で私はどちらの方面へ向つても進む事が出來ずに立ち竦んでゐました。身體の惡い時に午睡などをすると、眼だけ覺めて周圍のものが判然見えるのに、何うしても手足の動かせない場合がありませう。私は時としてあゝいふ苦しみを人知れず感じたのです。

 其内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多を遣るから誰か友達を連れて來ないかと云つた事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答へたので、奥さんは驚ろいてしまひました。成程Kに友達といふ程の友達は一人もなかつたのです。往來で會つた時挨拶をする位のものは多少ありましたが、それ等だつて決して歌留多などを取る柄ではなかつたのです。奥さんはそれぢや私の知つたものでも呼んで來たら何うかと云ひ直しましたが、私も生憎そんな陽氣な遊びをする心持になれないので、好い加減な生返事をしたなり、打ち遣つて置きました。所が晩になつてKと私はとう/\御孃さんに引つ張り出されてしまひました。客も誰も來ないのに、内々の小人數丈で取らうといふ歌留多ですから頗る靜なものでした。其上斯ういふ遊技を遣り付けないKは、丸で懷手をしてゐる人と同樣でした。私はKに一體百人一首の歌を知つてゐるのかと尋ねました。Kは能く知らないと答へました。私の言葉を聞いた御孃さんは、大方Kを輕蔑するとでも取つたのでせう。それから眼に立つやうにKの加勢をし出しました。仕舞には二人が殆んど組になつて私に當るといふ有樣になつて來ました。私は相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかつたのです。幸ひにKの態度は少しも最初と變りませんでした。彼の何處にも得意らしい樣子を認めなかつた私は、無事に其場を切り上げる事が出來ました。

 それから二三日經つた後の事でしたらう、奥さんと御孃さんは朝から市ヶ谷にゐる親類の所へ行くと云つて宅を出ました。Kも私もまだ學校の始まらない頃でしたから、留守居同樣あとに殘つてゐました。私は書物を讀むのも散歩に出るのも厭だつたので、たゞ漠然と火鉢の縁に肱を載せて凝と顋を支へたなり考へてゐました。隣の室にゐるKも一向音を立てませんでした。双方とも居るのだか居ないのだか分らない位靜でした。尤も斯ういふ事は、二人の間柄として別に珍らしくも何ともなかつたのですから、私は別段それを氣にも留めませんでした。

 十時頃になつて、Kは不意に仕切の襖を開けて私と顏を見合せました。彼は敷居の上に立つた儘、私に何を考へてゐると聞きました。私はもとより何も考へてゐなかつたのです。もし考へてゐたとすれば、何時もの通り御孃さんが問題だつたかも知れません。其御孃さんには無論奥さんも食つ付いてゐますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のやうに、私の頭の中をぐるぐる囘つて、此問題を複雜にしてゐるのです。Kと顏を見合せた私は、今迄朧氣に彼を一種の邪魔ものゝ如く意識してゐながら、明らかに左右と答へる譯に行かなかつたのです。私は依然として彼の顏を見て默つてゐました。するとKの方からつか/\と私の座敷へ入つて來て、私のあたつてゐる火鉢の前に坐りました。私はすぐ兩肱を火鉢の縁から取り除けて、心持それをKの方へ押し遣るやうにしました。

 Kは何時もに似合はない話を始めました。奥さんと御孃さんは市ヶ谷の何處へ行つたのだらうと云ふのです。私は大方叔母さんの所だらうと答へました。Kは其叔母さんは何だと又聞きます。私は矢張り軍人の細君だと教へて遣りました。すると女の年始は大抵十五日過だのに、何故そんなに早く出掛けたのだらうと質問するのです。私は何故だか知らないと挨拶するより外に仕方がありませんでした。

三十六  「Kは中々奥さんと御孃さんの話を已めませんでした。仕舞には私も答へられないやうな立ち入つた事迄聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思ひ出すと、私は何うしても彼の調子の變つてゐる所に氣が付かずにはゐられないのです。私はとう/\何故今日に限つてそんな事ばかり云ふのかと彼に尋ねました。其時彼は突然默りました。然し私は彼の結んだ口元の肉が顫へるやうに動いてゐるのを注視しました。彼は元來無口な男でした。平生から何か云はうとすると、云ふ前に能く口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するやうに容易く開かない所に、彼の言葉の重みも籠つてゐたのでせう。一旦聲が口を破つて出るとなると、其聲には普通の人よりも倍の強い力がありました。

 彼の口元を一寸眺めた時、私はまた何か出て來るなとすぐ疳付いたのですが、それが果して何の準備なのか、私の豫覺は丸でなかつたのです。だから驚ろいたのです。彼の重々しい口から、彼の御孃さんに對する切ない戀を打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたやうなものです。口をもぐ/\させる働さへ、私にはなくなつて仕舞つたのです。

 其時の私は恐ろしさの塊りと云ひませうか、又は苦しさの塊りと云ひませうか、何しろ一つの塊りでした。石か鐵のやうに頭から足の先までが急に固くなつたのです。呼吸をする彈力性さへ失はれた位に堅くなつたのです。幸ひな事に其状態は長く續きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい氣分を取り戻しました。さうして、すぐ失策つたと思ひました。先を越されたなと思ひました。

 然し其先を何うしやうといふ分別は丸で起りません。恐らく起る丈の餘裕がなかつたのでせう。私は腋の下から出る氣味のわるい汗が襯衣に滲み透るのを凝と我慢して動かずにゐました。Kは其間何時もの通り重い口を切つては、ぽつり/\と自分の心を打ち明けて行きます。私は苦しくつて堪りませんでした。恐らく其苦しさは、大きな廣告のやうに、私の顏の上に判然りした字で貼り付けられてあつたらうと私は思ふのです。いくらKでも其所に氣の付かない筈はないのですが、彼は又彼で、自分の事に一切を集中してゐるから、私の表情などに注意する暇がなかつたのでせう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫ぬいてゐました。重くて鈍い代りに、とても容易な事では動かせないといふ感じを私に與へたのです。私の心は半分其自白を聞いてゐながら、半分何うしやう/\といふ念に絶えず掻き亂されてゐましたから、細かい點になると殆んど耳へ入らないと同樣でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いつた苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるやうになつたのです。つまり相手は自分より強いのだといふ恐怖の念が萌し始めたのです。

 Kの話が一通り濟んだ時、私は何とも云ふ事が出來ませんでした。此方も彼の前に同じ意味の自白をしたものだらうか、夫とも打ち明けずにゐる方が得策だらうか、私はそんな利害を考へて默つてゐたのではありません。たゞ何事も云へなかつたのです。又云ふ氣にもならなかつたのです。

 午食の時、Kと私は向ひ合せに席を占めました。下女に給仕をして貰つて、私はいつにない不味い飯を濟ませました。二人は食事中も殆んど口を利きませんでした。奥さんと御孃さんは何時歸るのだか分りませんでした。

三十七  「二人は各自の室に引き取つたぎり顏を合はせませんでした。Kの靜かな事は朝と同じでした。私も凝と考へ込んでゐました。

 私は當然自分の心をKに打ち明けるべき筈だと思ひました。然しそれにはもう時機が後れてしまつたといふ氣も起りました。何故先刻Kの言葉を遮ぎつて、此方から逆襲しなかつたのか、其所が非常な手落りのやうに見えて來ました。責めてKの後に續いて、自分は自分の思ふ通りを其場で話して仕舞つたら、まだ好かつたらうにとも考へました。Kの自白に一段落が付いた今となつて、此方から又同じ事を切り出すのは、何う思案しても變でした。私は此不自然に打ち勝つ方法を知らなかつたのです。私の頭は悔恨に搖られてぐら/\しました。

 私はKが再び仕切の襖を開けて向ふから突進してきて呉れゝば好いと思ひました。私に云はせれば、先刻は丸で不意撃に會つたも同じでした。私にはKに應する準備も何もなかつたのです。私は午前に失なつたものを、今度は取り戻さうといふ下心を持つてゐました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。然し其襖は何時迄經つても開きません。さうしてKは永久に靜なのです。

 其内私の頭は段々此靜かさに掻き亂されるやうになつて來ました。Kは今襖の向で何を考へてゐるだらうと思ふと、それが氣になつて堪らないのです。不斷も斯んな風に御互が仕切一枚を間に置いて默り合つてゐる場合は始終あつたのですが、私はKが靜であればある程、彼の存在を忘れるのが普通の状態だつたのですから、其時の私は餘程調子が狂つてゐたものと見なければなりません。それでゐて私は此方から進んで襖を開ける事が出來なかつたのです。一旦云ひそびれた私は、また向ふから働らき掛けられる時機を待つより外に仕方がなかつたのです。

 仕舞に私は凝として居られなくなりました。無理に凝としてゐれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立つて縁側へ出ました。其所から茶の間へ來て、何といふ目的もなく、鐵瓶の湯を湯呑に注いで一杯呑みました。それから玄關へ出ました。私はわざとKの室を囘避するやうにして、斯んな風に自分を往來の眞中に見出したのです。私には無論何處へ行くといふ的もありません。たゞ凝としてゐられない丈でした。それで方角も何も構はずに、正月の町を、無暗に歩き廻つたのです。私の頭はいくら歩いてもKの事で一杯になつてゐました。私もKを振ひ落す氣で歩き廻る譯ではなかつたのです。寧ろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついて居たのです。

 私には第一に彼が解しがたい男のやうに見えました。何うしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、又何うして打ち明けなければゐられない程に、彼の戀が募つて來たのか、さうして平生の彼は何處に吹き飛ばされてしまつたのか、凡て私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知つてゐました。又彼の眞面目な事を知つてゐました。私は是から私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くを有つてゐると信じました。同時に是からさき彼を相手にするのが變に氣味が惡かつたのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に凝と坐つてゐる彼の容貌を始終眼の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底出來ないのだといふ聲が何處かで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のやうに思へたからでせう。私は永久彼に祟られたのではなからうかといふ氣さへしました。

 私が疲れて宅へ歸つた時、彼の室は依然として人氣のないやうに靜でした。

三十八  「私が家へ這入ると間もなく俥の音が聞こえました。今のやうに護謨輪のない時分でしたから、がら/\いふ厭な響が可なりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。

 私が夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり經つた後の事でしたが、まだ奥さんと御孃さんの晴着が脱ぎ棄てられた儘、次の室を亂雜に彩どつてゐました。二人は遲くなると私達に濟まないといふので、飯の支度に間に合ふやうに、急いで歸つて來たのださうです。然し奥さんの親切はKと私とに取つて殆んど無效も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のやうに、素氣ない挨拶ばかりしてゐました。Kは私よりも猶寡言でした。たまに親子連で外出した女二人の氣分が、また平生よりは勝れて晴やかだつたので、我々の態度は猶の事眼に付きます。奥さんは私に何うかしたのかと聞きました。私は少し心持が惡いと答へました。實際私は心持が惡かつたのです。すると今度は御孃さんがKに同じ問を掛けました。Kは私のやうに心持が惡いとは答へません。たゞ口が利きたくないからだと云ひました。御孃さんは何故口が利きたくないのかと追窮しました。私は其時ふと重たい瞼を上げてKの顏を見ました。私にはKが何と答へるだらうかといふ好奇心があつたのです。Kの唇は例のやうに少し顫へてゐました。それが知らない人から見ると、丸で返事に迷つてゐるとしか思はれないのです。御孃さんは笑ひながら又何か六づかしい事を考へてゐるのだらうと云ひました。Kの顏は心持薄赤くなりました。

 其晩私は何時もより早く床へ入りました。私が食事の時氣分が惡いと云つたのを氣にして、奥さんは十時頃蕎麥湯を持つて來て呉れました。然し私の室はもう眞暗でした。奥さんはおや/\と云つて、仕切りの襖を細目に開けました。洋燈の光がKの机から斜にぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きてゐたものと見えます。奥さんは枕元に坐つて、大方風邪を引いたのだらうから身體を暖ためるが可いと云つて、湯呑を顏の傍へ突き付けるのです。私は已を得ず、どろ/\した蕎麥湯を奥さんの見てゐる前で飮みました。

 私は遲くなる迄暗いなかで考へてゐました。無論一つ問題をぐる/\廻轉させる丈で、外に何の效力もなかつたのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしてゐるだらうと思ひ出しました。私は半ば無意識においと聲を掛けました。すると向ふでもおいと返事をしました。Kもまだ起きてゐたのです。私はまだ寐ないのかと襖ごしに聞きました。もう寐るといふ簡單な挨拶がありました。何をしてゐるのだと私は重ねて問ひました。今度はKの答がありません。其代り五六分經つたと思ふ頃に、押入をがらりと開けて、床を延べる音が手に取るやうに聞こえました。私はもう何時かと又尋ねました。Kは一時二十分だと答へました。やがて洋燈をふつと吹き消す音がして、家中が眞暗なうちに、しんと靜まりました。

 然し私の眼は其暗いなかで愈冴えて來るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに聲を掛けました。Kも以前と同じやうな調子で、おいと答へました。私は今朝彼から聞いた事に就いて、もつと詳しい話をしたいが、彼の都合は何うだと、とう/\此方から切り出しました。私は無論襖越にそんな談話を交換する氣はなかつたのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考へたのです。所がKは先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答へたやうな素直な調子で、今度は應じません。左右だなあと低い聲で澁つてゐます。私は又はつと思はせられました。

三十九  「Kの生返事は翌日になつても、其翌日になつても、彼の態度によく現はれてゐました。彼は自分から進んで例の問題に觸れようとする氣色を決して見せませんでした。尤も機會もなかつたのです。奥さんと御孃さんが揃つて一日宅を空けでもしなければ、二人はゆつくり落付いて、左右いふ事を話し合ふ譯にも行かないのですから。私はそれを能く心得てゐました。心得てゐながら、變にいら/\し出すのです。其結果始めは向ふから來るのを待つ積で、暗に用意をしてゐた私が、折があつたら此方で口を切らうと決心するやうになつたのです。

 同時に私は默つて家のものゝ樣子を觀察して見ました。然し奥さんの態度にも御孃さんの素振にも、別に平生と變つた點はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼等の擧動に是といふ差違が生じないならば、彼の自白は單に私丈に限られた自白で、肝心の本人にも、又其監督者たる奥さんにも、まだ通じてゐないのは慥でした。さう考へた時私は少し安心しました。それで無理に機會を拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の與へて呉れるものを取り逃さないやうにする方が好からうと思つて、例の問題にはしばらく手を着けずにそつとして置く事にしました。

 斯う云つて仕舞へば大變簡單に聞こえますが、さうした心の經過には、潮の滿干と同じやうに、色々の高低があつたのです。私はKの動かない樣子を見て、それにさま%\の意味を付け加へました。奥さんと御孃さんの言語動作を觀察して、二人の心が果して其所に現はれてゐる通なのだらうかと疑つても見ました。さうして人間の胸の中に裝置された複雜な器械が、時計の針のやうに、明瞭に僞りなく、盤上の數字を指し得るものだらうかと考へました。要するに私は同じ事を斯うも取り、彼あも取りした揚句、漸く此處に落ち付いたものと思つて下さい。更に六づかしく云へば、落ち付くなどゝいふ言葉は、此際決して使はれた義理でなかつたのかも知れません。

 其内學校がまた始まりました。私達は時間の同じ日には連れ立つて宅を出ます。都合が可ければ歸る時にも矢張り一所に歸りました。外部から見たKと私は、何にも前と違つた所がないやうに親しくなつたのです。けれども腹の中では、各自に各自の事を勝手に考へてゐたに違ありません。ある日私は突然往來でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、此間の自白が私丈に限られてゐるか、又は奥さんや御孃さんにも通じてゐるかの點にあつたのです。私の是から取るべき態度は、此問に對する彼の答次第で極めなければならないと、私は思つたのです。すると彼は外の人にはまだ誰にも打ち明けてゐないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだつたので、内心嬉しがりました。私はKの私より横着なのを能く知つてゐました。彼の度胸にも敵はないといふ自覺があつたのです。けれども一方では又妙に彼を信じてゐました。學資の事で養家を三年も欺むいてゐた彼ですけれども、彼の信用は私に對して少しも損はれてゐなかつたのです。私はそれがために却つて彼を信じ出した位です。だからいくら疑ひ深い私でも、明白な彼の答を腹の中で否定する氣は起りやうがなかつたのです。

 私は又彼に向つて、彼の戀を何う取り扱かふ積かと尋ねました。それが單なる自白に過ぎないのか、又は其自白についで、實際的の效果をも收める氣なのかと問ふたのです。然るに彼は其所になると、何にも答へません。默つて下を向いて歩き出します。私は彼に隱し立をして呉れるな、凡て思つた通りを話して呉れと頼みました。彼は何も私に隱す必要はないと判然斷言しました。然し私の知らうとする點には、一言の返事も與へないのです。私も往來だからわざ/\立ち留まつて底迄突き留める譯に行きません。ついそれなりに爲てしまひました。

四十  「ある日私は久し振に學校の圖書館に入りました。私は廣い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外國雜誌を、あちら此方と引繰り返して見てゐました。私は擔任教師から專攻の學科に關して、次の週までにある事項を調べて來いと命ぜられたのです。然し私に必要な事柄が中々見付からないので、私は二度も三度も雜誌を借り替へなければなりませんでした。最後に私はやつと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを讀み出しました。すると突然幅の廣い机の向ふ側から小さな聲で私の名を呼ぶものがあります。私は不圖眼を上げて其所に立つてゐるKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲るやうにして、彼の顏を私に近付けました。御承知の通り圖書館では他の人の邪魔になるやうな大きな聲で話をする譯に行かないのですから、Kの此所作は誰でも遣る普通の事なのですが、私は其時に限つて、一種變な心持がしました。

 Kは低い聲で勉強かと聞きました。私は一寸調べものがあるのだと答へました。それでもKはまだ其顏を私から放しません。同じ低い調子で一所に散歩をしないかといふのです。私は少し待つてゐれば爲ても可いと答へました。彼は待つてゐると云つた儘、すぐ私の前の空席に腰を卸しました。すると私は氣が散つて急に雜誌が讀めなくなりました。何だかKの胸に一物があつて、談判でもしに來られたやうに思はれて仕方がないのです。私は已を得ず讀みかけた雜誌を伏せて、立ち上がらうとしました。Kは落付き拂つてもう濟んだのかと聞きます。私は何うでも可いのだと答へて、雜誌を返すと共に、Kと圖書館を出ました。

 二人は別に行く所もなかつたので、龍岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。其時彼は例の事件について、突然向ふから口を切りました。前後の樣子を綜合して考へると、Kはそのために私をわざ/\散歩に引つ張出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ實際的の方面へ向つてちつとも進んでゐませんでした。彼は私に向つて、たゞ漠然と、何う思ふと云ふのです。何う思ふといふのは、さうした戀愛の淵に陷いつた彼を、何んな眼で私が眺めるかといふ質問なのです。一言でいふと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたい樣なのです。其所に私は彼の平生と異なる點を確かに認める事が出來たと思ひました。度々繰り返すやうですが、彼の天性は他の思はくを憚かる程弱く出來上つてはゐなかつたのです。斯うと信じたら一人でどんどん進んで行く丈の度胸もあり勇氣もある男なのです。養家事件で其特色を強く胸の裏に彫り付けられた私が、是は樣子が違ふと明らかに意識したのは當然の結果なのです。

 私がKに向つて、此際何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼は何時もにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが實際恥づかしいと云ひました。さうして迷つてゐるから自分で自分が分らなくなつてしまつたので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないと云ひました。私は隙かさず迷ふといふ意味を聞き糺しました。彼は進んで可いか退ぞいて可いか、それに迷ふのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。さうして退ぞかうと思へば退ぞけるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉が其所で不意に行き詰りました。彼はたゞ苦しいと云つた丈でした。實際彼の表情には苦しさうな所があり/\と見えてゐました。もし相手が御孃さんでなかつたならば、私は何んなに彼に都合の好い返事を、その渇き切つた顏の上に慈雨の如く注いで遣つたか分りません。私はその位の美くしい同情を有つて生れて來た人間と自分ながら信じてゐます。然し其時の私は違つてゐました。

四十一  「私は丁度他流試合でもする人のやうにKを注意して見てゐたのです。私は、私の眼、私の心、私の身體、すべて私といふ名の付くものを五分の隙間もないやうに用意して、Kに向つたのです。罪のないKは穴だらけといふより寧ろ明け放しと評するのが適當な位に無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管してゐる要塞の地圖を受取つて、彼の眼の前でゆつくりそれを眺める事が出來たも同じでした。

 Kが理想と現實の間に彷徨してふら/\してゐるのを發見した私は、たゞ一打で彼を倒す事が出來るだらうといふ點にばかり眼を着けました。さうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです。私は彼に向つて急に嚴粛な改たまつた態度を示し出しました。無論策略からですが、其態度に相應する位な緊張した氣分もあつたのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる餘裕はありませんでした。私は先づ『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』と云ひ放ちました。是は二人で房州を旅行してゐる際、Kが私に向つて使つた言葉です。私は彼の使つた通りを、彼と同じやうな口調で、再び彼に投げ返したのです。然し決して復讐ではありません。私は復讐以上に殘酷な意味を有つてゐたといふ事を自白します。私は其一言でKの前に横たはる戀の行手を塞がうとしたのです。

 Kは眞宗寺に生れた男でした。然し彼の傾向は中學時代から決して生家の宗旨に近いものではなかつたのです。教義上の區別をよく知らない私が、斯んな事をいふ資格に乏しいのは承知してゐますが、私はたゞ男女に關係した點についてのみ、さう認めてゐたのです。Kは昔しから精進といふ言葉が好でした。私は其言葉の中に、禁慾といふ意味も籠つてゐるのだらうと解釋してゐました。然し後で實際を聞いて見ると、それよりもまだ嚴重な意味が含まれてゐるので、私は驚ろきました。道のためには凡てを犠牲にすべきものだと云ふのが彼の第一信條なのですから、攝慾や禁慾は無論、たとひ慾を離れた戀そのものでも道の妨害になるのです。Kが自活生活をしてゐる時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。其頃から御孃さんを思つてゐた私は、勢ひ何うしても彼に反對しなければならなかつたのです。私が反對すると、彼は何時でも氣の毒さうな顏をしました。其所には同情よりも侮蔑の方が餘計に現はれてゐました。

 斯ういふ過去を二人の間に通り拔けて來てゐるのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だといふ言葉は、Kに取つて痛いに違いなかつたのです。然し前にも云つた通り、私は此一言で、彼が折角積み上げた過去を蹴散らした積ではありません。却つてそれを今迄通り積み重ねて行かせやうとしたのです。それが道に達しやうが、天に屆かうが、私は構ひません。私はたゞKが急に生活の方向を轉換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は單なる利己心の發現でした。

 『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ』

 私は二度同じ言葉を繰り返しました。さうして、其言葉がKの上に何う影響するかを見詰めてゐました。

 『馬鹿だ』とやがてKが答へました。『僕は馬鹿だ』

 Kはぴたりと其所へ立ち留つた儘動きません。彼は地面の上を見詰めてゐます。私は思はずぎよつとしました。私にはKが其刹那に居直り強盗の如く感ぜられたのです。然しそれにしては彼の聲が如何にも力に乏しいといふ事に氣が付きました。私は彼の眼遣を參考にしたかつたのですが、彼は最後迄私の顏を見ないのです。さうして、徐々と又歩き出しました。

四十二  「私はKと竝んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。或は待ち伏せと云つた方がまだ適當かも知れません。其時の私はたとひKを騙し打ちにしても構はない位に思つてゐたのです。然し私にも教育相當の良心はありますから、もし誰か私の傍へ來て、御前は卑怯だと一言私語いて呉れるものがあつたなら、私は其瞬間に、はつと我に立ち歸つたかも知れません。もしKが其人であつたなら、私は恐らく彼の前に赤面したでせう。たゞKは私を窘めるには餘りに正直でした。餘りに單純でした。餘りに人格が善良だつたのです。目のくらんだ私は、其所に敬意を拂ふ事を忘れて、却つて其所に付け込んだのです。其所を利用して彼を打ち倒さうとしたのです。

 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私は其時やつとKの眼を眞向に見る事が出來たのです。Kは私より脊の高い男でしたから、私は勢ひ彼の顏を見上げるやうにしなければなりません。私はさうした態度で、狼の如き心を罪のない羊に向けたのです。

 『もう其話は止めやう』と彼が云ひました。彼の眼にも彼の言葉にも變に悲痛な所がありました。私は一寸挨拶が出來なかつたのです。するとKは、『止めて呉れ』と今度は頼むやうに云ひ直しました。私は其時彼に向つて殘酷な答を與へたのです。狼が隙を見て羊の咽喉笛へ食ひ付くやうに。

 『止めて呉れつて、僕が云ひ出した事ぢやない、もと/\君の方から持ち出した話ぢやないか。然し君が止めたければ、止めても可いが、たゞ口の先で止めたつて仕方があるまい。君の心でそれを止める丈の覺悟がなければ。一體君は君の平生の主張を何うする積なのか』

 私が斯う云つた時、脊の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるやうな感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方では又人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平氣でゐられない質だつたのです。私は彼の樣子を見て漸やく安心しました。すると彼は卒然『覺悟?』と聞きました。さうして私がまだ何とも答へない先に『覺悟、――覺悟ならない事もない』と付け加へました。彼の調子は獨言のやうでした。又夢の中の言葉のやうでした。

 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖たかな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失つた杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を竝べて聳えてゐるのを振り返つて見た時は、寒さが脊中へ噛り付いたやうな心持がしました。我々は夕暮の本郷臺を急ぎ足でどしどし通り拔けて、又向ふの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私は其頃になつて、漸やく外套の下に體の温味を感じ出した位です。

 急いだためでもありませうが、我々は歸り路には殆んど口を聞きませんでした。宅へ歸つて食卓へ向つた時、奥さんは何うして遲くなつたのかと尋ねました。私はKに誘はれて上野へ行つたと答へました。奥さんは此寒いのにと云つて驚ろいた樣子を見せました。御孃さんは上野に何があつたのかと聞きたがります。私は何もないが、たゞ散歩したのだといふ返事丈して置きました。平生から無口なKは、いつもより猶默つてゐました。奥さんが話しかけても、御孃さんが笑つても、碌な挨拶はしませんでした。それから飯を呑み込むやうに掻き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室へ引き取りました。

四十三  「其頃は覺醒とか新らしい生活とかいふ文字のまだない時分でした。然しKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新らしい方角へ走り出さなかつたのは、現代人の考へが彼に缺けてゐたからではないのです。彼には投げ出す事の出來ない程尊とい過去があつたからです。彼はそのために今日迄生きて來たと云つても可い位なのです。だからKが一直線に愛の目的物に向つて猛進しないと云つて、決して其愛の生温い事を證據立てる譯には行きません。いくら熾烈な感情が燃えてゐても、彼は無暗に動けないのです。前後を忘れる程の衝動が起る機會を彼に與へない以上、Kは何うしても一寸踏み留まつて自分の過去を振り返らなければならなかつたのです。さうすると過去が指し示す路を今迄通り歩かなければならなくなるのです。其上彼には現代人の有たない強情と我慢がありました。私は此双方の點に於て能く彼の心を見拔いてゐた積なのです。

 上野から歸つた晩は、私に取つて比較的安靜な夜でした。私はKが室へ引き上げたあとを追ひ懸けて、彼の机の傍に坐り込みました。さうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑さうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いてゐたでせう、私の聲にはたしかに得意の響があつたのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳した後、自分の室に歸りました。外の事にかけては何をしても彼に及ばなかつた私も、其時丈は恐るゝに足りないといふ自覺を彼に對して有つてゐたのです。

 私は程なく穩やかな眠に落ちました。然し突然私の名を呼ぶ聲で眼を覺ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、其所にKの黒い影が立つてゐます。さうして彼の室には宵の通りまだ燈火が點いてゐるのです。急に世界の變つた私は、少しの間口を利く事も出來ずに、ぼうつとして、其光景を眺めてゐました。

 其時Kはもう寐たのかと聞きました。Kは何時でも遲く迄起きてゐる男でした。私は黒い影法師のやうなKに向つて、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、たゞもう寐たか、まだ起きてゐるかと思つて、便所へ行つた序に聞いて見た丈だと答へました。Kは洋燈の灯を脊中に受けてゐるので、彼の顏色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の聲は不斷よりも却つて落ち付いてゐた位でした。

 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇に歸りました。私は其暗闇より靜かな夢を見るべく又眼を閉ぢました。私はそれぎり何も知りません。然し翌朝になつて、昨夕の事を考へて見ると、何だか不思議でした。私はことによると、凡てが夢ではないかと思ひました。それで飯を食ふ時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだと云ひます。何故そんな事をしたのかと尋ねると、別に判然した返事もしません。調子の拔けた頃になつて、近頃は熟睡が出來るのかと却つて向ふから私に問ふのです。私は何だか變に感じました。

 其日は丁度同じ時間に講義の始まる時間割になつてゐたので、二人はやがて一所に宅を出ました。今朝から昨夕の事が氣に掛つてゐる私は、途中でまたKを追窮しました。けれどもKはやはり私を滿足させるやうな答をしません。私はあの事件に就いて何か話す積ではなかつたのかと念を押して見ました。Kは左右ではないと強い調子で云ひ切りました。昨日上野で『其話はもう止めやう』と云つたではないかと注意する如くにも聞こえました。Kはさういふ點に掛けて鋭どい自尊心を有つた男なのです。不圖其所に氣のついた私は突然彼の用ひた『覺悟』といふ言葉を連想し出しました。すると今迄丸で氣にならなかつた其二字が妙な力で私の頭を抑え始めたのです。

四十四  「Kの果斷に富んだ性格は私によく知れてゐました。彼の此事件に就いてのみ優柔な譯も私にはちやんと呑み込めてゐたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしつかり攫まへた積で得意だつたのです。所が『覺悟』といふ彼の言葉を、頭のなかで何遍も咀嚼してゐるうちに、私の得意はだん/\色を失なつて、仕舞にはぐら/\搖き始めるやうになりました。私は此場合も或は彼にとつて例外でないのかも知れないと思ひ出したのです。凡ての疑惑、煩悶、懊惱、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに疊み込んでゐるのではなからうかと疑ぐり始めたのです。さうした新らしい光で覺悟の二字を眺め返して見た私は、はつと驚ろきました。其時の私が若し此驚きを以て、もう一返彼の口にした覺悟の内容を公平に見廻したらば、まだ可かつたかも知れません。悲しい事に私は片眼でした。私はたゞKが御孃さんに對して進んで行くといふ意味に其言葉を解釋しました。果斷に富んだ彼の性格が、戀の方面に發揮されるのが即ち彼の覺悟だらうと一圖に思ひ込んでしまつたのです。

 私は私にも最後の決斷が必要だといふ聲を心の耳で聞きました。私はすぐ其聲に應じて勇氣を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覺悟を極めました。私は默つて機會を覘つてゐました。しかし二日經つても三日經つても、私はそれを捕まへる事が出來ません。私はKのゐない時、又御孃さんの留守な折を待つて、奥さんに談判を開かうと考へたのです。然し片方がゐなければ、片方が邪魔をするといつた風の日ばかり續いて、何うしても『今だ』と思ふ好都合が出て來て呉れないのです。私はいら/\しました。

 一週間の後私はとう/\堪え切れなくなつて、假病を遣ひました。奥さんからも御孃さんからも、K自身からも、起きろといふ催促を受けた私は、生返事をした丈で、十時頃迄蒲團を被つて寐てゐました。私はKも御孃さんもゐなくなつて、家の内がひつそり靜まつた頃を見計つて寐床を出ました。私の顏を見た奥さんは、すぐ何處が惡いかと尋ねました。食物は枕元へ運んでやるから、もつと寐てゐたら可からうと忠告しても呉れました。身體に異状のない私は、とても寐る氣にはなれません。顏を洗つて何時もの通り茶の間で飯を食ひました。其時奥さんは長火鉢の向側から給仕をして呉れたのです。私は朝飯とも午飯とも片付かない茶椀を手に持つた儘、何んな風に問題を切り出したものだらうかと、そればかり屈托してゐたから、外觀からは實際氣分の好くない病人らしく見えただらうと思ひます。

 私は飯を終つて烟草を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍を離れる譯に行きません。下女を呼んで膳を下げさせた上、鐵瓶に水を注したり、火鉢の縁を拭いたりして、私に調子を合はせてゐます。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問ひました。奥さんはいゝえと答へましたが、今度は向ふで何故ですと聞き返して來ました。私は實は少し話したい事があるのだと云ひました。奥さんは何ですかと云つて、私の顏を見ました。奥さんの調子は丸で私の氣分に這入り込めないやうな輕いものでしたから、私の次に出すべき文句も少し澁りました。

 私は仕方なしに言葉の上で、好い加減にうろつき廻つた末、Kが近頃何か云ひはしなかつたかと奥さんに聞いて見ました。奥さんは思ひも寄らないといふ風をして、『何を?』とまた反問して來ました。さうして私の答へる前に、『貴方には何か仰やつたんですか』と却つて向で聞くのです。

四十五  「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに傳へる氣のなかつた私は、『いゝえ』といつてしまつた後で、すぐ自分の嘘を快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覺はないのだから、Kに關する用件ではないのだと云ひ直しました。奥さんは『左右ですか』と云つて、後を待つてゐます。私は何うしても切り出さなければならなくなりました。私は突然『奥さん、御孃さんを私に下さい』と云ひました。奥さんは私の豫期してかゝつた程驚ろいた樣子も見せませんでしたが、それでも少時返事が出來なかつたものと見えて、默つて私の顏を眺めてゐました。一度云ひ出した私は、いくら顏を見られても、それに頓着などはしてゐられません。『下さい、是非下さい』と云ひました。『私の妻として是非下さい』と云ひました。奥さんは年を取つてゐる丈に、私よりもずつと落付いてゐました。『上げてもいゝが、あんまり急ぢやありませんか』と聞くのです。私が『急に貰ひたいのだ』とすぐ答へたら笑ひ出しました。さうして『よく考へたのですか』と念を押すのです。私は云ひ出したのは突然でも、考へたのは突然でないといふ譯を強い言葉で説明しました。

 それから未だ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れて仕舞ひました。男のやうに判然した所のある奥さんは、普通の女と違つて斯んな場合には大變心持よく話の出來る人でした。『宜ござんす、差し上げませう』と云ひました。『差し上げるなんて威張つた口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰つて下さい。御存じの通り父親のない憐れな子です』と後では向ふから頼みました。

 話は簡單でかつ明瞭に片付いてしまひました。最初から仕舞迄に恐らく十五分とは掛らなかつたでせう。奥さんは何の條件も持ち出さなかつたのです。親類に相談する必要もない、後から斷ればそれで澤山だと云ひました。本人の意嚮さへたしかめるに及ばないと明言しました。そんな點になると、學問をした私の方が、却つて形式に拘泥する位に思はれたのです。親類は兎に角、當人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは『大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子を遣る筈がありませんから』と云ひました。

 自分の室へ歸つた私は、事のあまりに譯もなく進行したのを考へて、却つて變な氣持になりました。果して大丈夫なのだらうかといふ疑念さへ、どこからか頭の底に這ひ込んで來た位です。けれども大體の上に於て、私の未來の運命は、是で定められたのだといふ觀念が私の凡てを新たにしました。

 私は午頃又茶の間へ出掛けて行つて、奥さんに、今朝の話を御孃さんに何時通じてくれる積かと尋ねました。奥さんは、自分さへ承知してゐれば、いつ話しても構はなからうといふやうな事を云ふのです。斯うなると何んだか私よりも相手の方が男見たやうなので、私はそれぎり引き込まうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でも可い、稽古から歸つて來たら、すぐ話さうと云ふのです。さうして貰ふ方が都合が好いと答へて又自分の室に歸りました。然し默つて自分の机の前に坐つて、二人のこそ/\話を遠くから聞いてゐる私を想像して見ると、何だか落ち付いてゐられないやうな氣もするのです。私はとう/\帽子を被つて表へ出ました。さうして又坂の下で御孃さんに行き合ひました。何にも知らない御孃さんは私を見て驚ろいたらしかつたのです。私が帽子を脱つて『今御歸り』と尋ねると、向ふではもう病氣は癒つたのかと不思議さうに聞くのです。私は『えゝ癒りました、癒りました』と答へて、ずん/\水道橋の方へ曲つてしまひました。

四十六  「私は猿樂町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私が此界隈を歩くのは、何時も古本屋をひやかすのが目的でしたが、其日は手摺のした書物などを眺める氣が、何うしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考へてゐました。私には先刻の奥さんの記憶がありました。夫から御孃さんが宅へ歸つてからの想像がありました。私はつまり此二つのもので歩かせられてゐた樣なものです。其上私は時々往來の眞中で我知らず不圖立ち留まりました。さうして今頃は奥さんが御孃さんにもうあの話をしてゐる時分だらうなどと考へました。また或時は、もうあの話が濟んだ頃だとも思ひました。

 私はとう/\萬世橋を渡つて、明神の坂を上つて、本郷臺へ來て、夫から又菊坂を下りて、仕舞に小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離は此三區に跨がつて、いびつな圓を描いたとも云はれるでせうが、私は此長い散歩の間殆んどKの事を考へなかつたのです。今其時の私を囘顧して、何故だと自分に聞いて見ても一向分りません。たゞ不思議に思ふ丈です。私の心がKを忘れ得る位、一方に緊張してゐたと見ればそれ迄ですが、私の良心が又それを許すべき筈はなかつたのですから。

 Kに對する私の良心が復活したのは、私が宅の格子を開けて、玄關から坐敷へ通る時、即ち例のごとく彼の室を拔けやうとした瞬間でした。彼は何時もの通り机に向つて書見をしてゐました。彼は何時もの通り書物から眼を放して、私を見ました。然し彼は何時もの通り今歸つたのかとは云ひませんでした。彼は『病氣はもう癒いのか、醫者へでも行つたのか』と聞きました。私は其刹那に、彼の前に手を突いて、詫まりたくなつたのです。しかも私の受けた其時の衝動は決して弱いものではなかつたのです。もしKと私がたつた二人曠野の眞中にでも立つてゐたならば、私は屹度良心の命令に從つて、其場で彼に謝罪したらうと思ひます。然し奧には人がゐます。私の自然はすぐ其所で食ひ留められてしまつたのです。さうして悲しい事に永久に復活しなかつたのです。

 夕飯の時Kと私はまた顏を合せました。何にも知らないKはたゞ沈んでゐた丈で、少しも疑ひ深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんは何時もより嬉しさうでした。私だけが凡てを知つてゐたのです。私は鉛のやうな飯を食ひました。其時御孃さんは何時ものやうにみんなと同じ食卓に竝びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今と答へる丈でした。それをKは不思議さうに聞いてゐました。仕舞に何うしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方極りが惡いのだらうと云つて、一寸私の顏を見ました。Kは猶不思議さうに、なんで極が惡いのかと追窮しに掛りました。奥さんは微笑しながら又私の顏を見るのです。

 私は食卓に着いた初から、奥さんの顏付で、事の成行を略推察してゐました。然しKに説明を與へるために、私のゐる前で、それを悉く話されては堪らないと考へました。奥さんはまた其位の事を平氣でする女なのですから、私はひや/\したのです。幸にKは又元の沈默に歸りました。平生より多少機嫌のよかつた奥さんも、とう/\私の恐れを抱いてゐる點までは話を進めずに仕舞ひました。私はほつと一息して室へ歸りました。然し私が是から先Kに對して取るべき態度は、何うしたものだらうか、私はそれを考へずにはゐられませんでした。私は色々の辯護を自分の胸に拵らえて見ました。けれども何の辯護もKに對して面と向ふには足りませんでした。卑怯な私は終に自分で自分をKに説明するのが厭になつたのです。

四十七  「私は其儘二三日過ごしました。其二三日の間Kに對する絶えざる不安が私の胸を重くしてゐたのは云ふ迄もありません。私はたゞでさへ何とかしなければ、彼に濟まないと思つたのです。其上奥さんの調子や、御孃さんの態度が、始終私を突ツつくやうに刺戟するのですから、私は猶辛かつたのです。何處か男らしい氣性を具へた奥さんは、何時私の事を食卓でKに素ぱ拔かないとも限りません。それ以來ことに目立つやうに思へた私に對する御孃さんの擧止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは斷言出來ません。私は何とかして、私と此家族との間に成り立つた新らしい關係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。然し倫理的に弱點をもつてゐると、自分で自分を認めてゐる私には、それがまた至難の事のやうに感ぜられたのです。

 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改ためてさう云つて貰はうかと考へました。無論私のゐない時にです。然しありの儘を告げられては、直接と間接の區別がある丈で、面目のないのに變りはありません。と云つて、拵え事を話して貰はうとすれば、奥さんから其理由を詰問されるに極つてゐます。もし奥さんに總ての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱點を自分の愛人と其母親の前に曝け出さなければなりません。眞面目な私には、それが私の未來の信用に關するとしか思はれなかつたのです。結婚する前から戀人の信用を失ふのは、たとひ一分一厘でも、私には堪え切れない不幸のやうに見えました。

 要するに私は正直な路を歩く積で、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。さうして其所に氣のついてゐるものは、今の所たゞ天と私の心だけだつたのです。然し立ち直つて、もう一歩前へ踏み出さうとするには、今滑つた事を是非共周圍の人に知られなければならない窮境に陷いつたのです。私は飽くまで滑つた事を隱したがりました。同時に、何うしても前へ出ずには居られなかつたのです。私は此間に挾まつてまた立ち竦みました。

 五六日經つた後、奥さんは突然私に向つて、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答へました。すると何故話さないのかと、奥さんが私を詰るのです。私は此問の前に固くなりました。其時奥さんが私を驚ろかした言葉を、私は今でも忘れずに覺えてゐます。

 『道理で妾が話したら變な顏をしてゐましたよ。貴方もよくないぢやありませんか。平生あんなに親しくしてゐる間柄だのに、默つて知らん顏をしてゐるのは』

 私はKが其時何か云ひはしなかつたかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にも云はないと答へました。然し私は進んでもつと細かい事を尋ねずにはゐられませんでした。奥さんは固より何も隱す譯がありません。大した話もないがと云ひながら、一々Kの樣子を語つて聞かせて呉れました。

 奥さんの云ふ所を綜合して考へて見ると、Kは此最後の打撃を、最も落付いた驚をもつて迎へたらしいのです。Kは御孃さんと私との間に結ばれた新らしい關係に就いて、最初は左右ですかとたゞ一口云つた丈だつたさうです。然し奥さんが、『あなたも喜こんで下さい』と述べた時、彼ははじめて奥さんの顏を見て微笑を洩らしながら、『御目出たう御座います』と云つた儘席を立つたさうです。さうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返つて、『結婚は何時ですか』と聞いたさうです。それから『何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません』と云つたさうです。奥さんの前に坐つてゐた私は、其話を聞いて胸が塞るやうな苦しさを覺えました。

四十八  「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日餘りになります。其間Kは私に對して少しも以前と異なつた樣子を見せなかつたので、私は全くそれに氣が付かずにゐたのです。彼の超然とした態度はたとひ外觀だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考へました。彼と私を頭の中で竝べてみると、彼の方が遙かに立派に見えました。『おれは策略で勝つても人間としては負けたのだ』といふ感じが私の胸に渦卷いて起りました。私は其時さぞKが輕蔑してゐる事だらうと思つて、一人で顏を赧らめました。然し今更Kの前に出て、恥を掻かせられるのは、私の自尊心にとつて大いな苦痛でした。

 私が進まうか止さうかと考へて、兎も角も翌日迄待たうと決心したのは土曜の晩でした。所が其晩に、Kは自殺して死んで仕舞つたのです。私は今でも其光景を思ひ出すと慄然とします。何時も東枕で寐る私が、其晩に限つて、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風で不圖眼を覺したのです。見ると、何時も立て切つてあるKと私の室との仕切の襖が、此間の晩と同じ位開いてゐます。けれども此間のやうに、Kの黒い姿は其所には立つてゐません。私は暗示を受けた人のやうに、床の上に肱を突いて起き上りながら、屹とKの室を覗きました。洋燈が暗く點つてゐるのです。それで床も敷いてあるのです。然し掛蒲團は跳返されたやうに裾の方に重なり合つてゐるのです。さうしてK自身は向ふむきに突ツ伏してゐるのです。

 私はおいと云つて聲を掛けました。然し何の答もありません。おい何うかしたのかと私は又Kを呼びました。それでもKの身體は些とも動きません。私はすぐ起き上つて、敷居際迄行きました。其所から彼の室の樣子を、暗い洋燈の光で見廻して見ました。

 其時私の受けた第一の感じは、Kから突然戀の自白を聞かされた時のそれと略同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、恰も硝子で作つた義眼のやうに、動く能力を失ひました。私は棒立に立竦みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私は又あゝ失策つたと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未來を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横はる全生涯を物凄く照らしました。さうして私はがた/\顫へ出したのです。

 それでも私はついに私を忘れる事が出來ませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは豫期通り私の名宛になつてゐました。私は夢中で封を切りました。然し中には私の豫期したやうな事は何にも書いてありませんでした。私は私に取つて何んなに辛い文句が其中に書き列ねてあるだらうと豫期したのです。さうして、もし夫が奥さんや御孃さんの眼に觸れたら、何んなに輕蔑されるかも知れないといふ恐怖があつたのです。私は一寸眼を通した丈で、まづ助かつたと思ひました。(固より世間體の上丈で助かつたのですが、其世間體が此場合、私にとつては非常な重大事件に見えたのです。)

 手紙の内容は簡單でした。さうして寧ろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するといふ丈なのです。それから今迄私に世話になつた禮が、極あつさりした文句で其後に付け加へてありました。世話序に死後の片付方も頼みたいといふ言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて濟まんから宜しく詫をして呉れといふ句もありました。國元へは私から知らせて貰ひたいといふ依頼もありました。必要な事はみんな一口づゝ書いてある中に御孃さんの名前丈は何處にも見えません。私は仕舞迄讀んで、すぐKがわざと囘避したのだといふ事に氣が付きました。然し私の尤も痛切に感じたのは、最後に墨の餘りで書き添へたらしく見える、もつと早く死ぬべきだのに何故今迄生きてゐたのだらうといふ意味の文句でした。

 私は顫へる手で、手紙を卷き收めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くやうに、元の通り机の上に置きました。さうして振り返つて、襖に迸ばしつてゐる血潮を始めて見たのです。

四十九  「私は突然Kの頭を抱えるやうに兩手で少し持ち上げました。私はKの死顏が一目見たかつたのです。然し俯伏になつてゐる彼の顏を、斯うして下から覗き込んだ時、私はすぐ其手を放してしまひました。慄とした許ではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今觸つた冷たい耳と、平生に變らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めてゐました。私は少しも泣く氣にはなれませんでした。私はたゞ恐ろしかつたのです。さうして其恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺戟して起る單調な恐ろしさ許ではありません。私は忽然と冷たくなつた此友達によつて暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。

 私は何の分別もなくまた私の室に歸りました。さうして八疊の中をぐる/\廻り始めました。私の頭は無意味でも當分さうして動いてゐろと私に命令するのです。私は何うかしなければならないと思ひました。同時にもう何うする事も出來ないのだと思ひました。座敷の中をぐる/\廻らなければゐられなくなつたのです。檻の中へ入れられた熊の樣の態度で。

 私は時々奧へ行つて奥さんを起さうといふ氣になります。けれども女に此恐ろしい有樣を見せては惡いといふ心持がすぐ私を遮ります。奥さんは兎に角、御孃さんを驚ろかす事は、とても出來ないといふ強い意志が私を抑えつけます。私はまたぐる/\廻り始めるのです。

 私は其間に自分の室の洋燈を點けました。それから時計を折々見ました。其時の時計程埓の明かない遲いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明に間もなかつた事丈は明らかです。ぐる/\廻りながら、其夜明を待ち焦れた私は、永久に暗い夜が續くのではなからうかといふ思ひに惱まされました。

 我々は七時前に起きる習慣でした。學校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合はないのです。下女は其關係で六時頃に起きる譯になつてゐました。然し其日私が下女を起しに行つたのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だと云つて注意して呉れました。奥さんは私の足音で眼を覺したのです。私は奥さんに眼が覺めてゐるなら、一寸私の室迄來て呉れと頼みました。奥さんは寐卷の上へ不斷着の羽織を引掛て、私の後に跟いて來ました。私は室へ這入るや否や、今迄開いてゐた仕切の襖をすぐ立て切りました。さうして奥さんに飛んだ事が出來たと小聲で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋で隣の室を指すやうにして、『驚ろいちや不可ません』と云ひました。奥さんは蒼い顏をしました。『奥さん、Kは自殺しました』と私がまた云ひました。奥さんは其所に居竦まつたやうに、私の顏を見て默つてゐました。其時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。『濟みません。私が惡かつたのです。あなたにも御孃さんにも濟まない事になりました』と詫まりました。私は奥さんと向ひ合ふ迄、そんな言葉を口にする氣は丸でなかつたのです。然し奥さんの顏を見た時不意に我とも知らず左右云つて仕舞つたのです。Kに詫まる事の出來ない私は、斯うして奥さんと御孃さんに詫びなければゐられなくなつたのだと思つて下さい。つまり私の自然が平生の私を出し拔いてふら/\と懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釋しなかつたのは私にとつて幸でした。蒼い顏をしながら、『不慮の出來事なら仕方がないぢやありませんか』と慰さめるやうに云つて呉れました。然し其顏には驚ろきと怖れとが、彫り付けられたやうに、硬く筋肉を攫んでゐました。

五十  「私は奥さんに氣の毒でしたけれども、また立つて今閉めたばかりの唐紙を開けました。其時Kの洋燈に油が盡きたと見えて、室の中は殆んど眞暗でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持つた儘、入口に立つて奥さんを顧みました。奥さんは私の後から隱れるやうにして、四疊の中を覗き込みました。然し這入らうとはしません。其所は其儘にして置いて、雨戸を開けて呉れと私に云ひました。

 それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあつて要領を得てゐました。私は醫者の所へも行きました。又警察へも行きました。然しみんな奥さんに命令されて行つたのです。奥さんはさうした手續の濟む迄、誰もKの部屋へは入れませんでした。

 Kは小さなナイフで頸動脈を切つて一息に死んで仕舞つたのです。外に創らしいものは何にもありませんでした。私が夢のやうな薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋から一度に迸ばしつたものと知れました。私は日中の光で明らかに其迹を再び眺めました。さうして人間の血の勢といふものの劇しいのに驚ろきました。

 奥さんと私は出來る丈の手際と工夫を用ひて、Kの室を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸ひ彼の蒲團に吸收されてしまつたので、疊はそれ程汚れないで濟みましたから、後始末はまだ樂でした。二人は彼の死骸を私の室に入れて、不斷の通り寐てゐる體に横にしました。私はそれから彼の實家へ電報を打ちに出たのです。

 私が歸つた時は、Kの枕元にもう線香が立てられてゐました。室へ這入るとすぐ佛臭い烟で鼻を撲たれた私は、其烟の中に坐つてゐる女二人を認めました。私が御孃さんの顏を見たのは、昨夜來此時が始めてゞした。御孃さんは泣いてゐました。奥さんも眼を赤くしてゐました。事件が起つてからそれ迄泣く事を忘れてゐた私は、其時漸やく悲しい氣分に誘はれる事が出來たのです。私の胸はその悲しさのために、何の位寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤を與へてくれたものは、其時の悲しさでした。

 私は默つて二人の傍に坐つてゐました。奥さんは私にも線香を上げてやれと云ひます。私は線香を上げて又默つて坐つてゐました。御孃さんは私には何とも云ひません。たまに奥さんと一口二口言葉を換はす事がありましたが、それは當座の用事に即いてのみでした。御孃さんにはKの生前に就いて語る程の餘裕がまだ出て來なかつたのです。私はそれでも昨夜の物凄い有樣を見せずに濟んでまだ可かつたと心のうちで思ひました。若い美くしい人に恐ろしいものを見せると、折角の美くしさが、其爲に破壞されて仕舞ひさうで私は怖かつたのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端迄來た時ですら、私はその考を度外に置いて行動する事は出來ませんでした。私には綺麗な花を罪もないのに妄りに鞭うつと同じやうな不快がそのうちに籠つてゐたのです。

 國元からKの父と兄が出て來た時、私はKの遺骨を何處へ埋めるかに就いて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雜司ヶ谷近邊をよく一所に散歩した事があります。Kには其所が大變氣に入つてゐたのです。それで私は笑談半分に、そんなに好なら死んだら此所へ埋めて遣らうと約束した覺があるのです。私も今其約束通りKを雜司ヶ谷へ葬つたところで、何の位の功徳になるものかとは思ひました。けれども私は私の生きてゐる限り、Kの墓の前に跪まづいて月々私の懺悔を新たにしたかつたのです。今迄構ひ付けなかつたKを、私が萬事世話をして來たといふ義理もあつたのでせう、Kの父も兄も私の云ふ事を聞いて呉れました。

五十一  「Kの葬式の歸り路に、私はその友人の一人から、Kが何うして自殺したのだらうといふ質問を受けました。事件があつて以來私はもう何度となく此質問で苦しめられてゐたのです。奥さんも御孃さんも、國から出て來たKの父兄も、通知を出した知り合ひも、彼とは何の縁故もない新聞記者迄も、必ず同樣の質問を私に掛けない事はなかつたのです。私の良心は其度にちく/\刺されるやうに痛みました。さうして私は此質問の裏に、早く御前が殺したと白状してしまへといふ聲を聞いたのです。

 私の答は誰に對しても同じでした。私は唯彼の私宛で書き殘した手紙を繰り返す丈で、外に一口も附加へる事はしませんでした。葬式の歸りに同じ問を掛けて、同じ答を得たKの友人は、懷から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながら其友人によつて指し示された箇所を讀みました。それにはKが父兄から勘當された結果厭世的な考を起して自殺したと書いてあるのです。私は何にも云はずに、其新聞を疊んで友人の手に歸しました。友人の此外にもKが氣が狂つて自殺したと書いた新聞があると云つて教へて呉れました。忙がしいので、殆んど新聞を讀む暇がなかつた私は、丸でさうした方面の知識を缺いてゐましたが、腹の中では始終氣にかゝつてゐた所でした。私は何よりも宅のものゝ迷惑になるやうな記事の出るのを恐れたのです。ことに名前丈にせよ御孃さんが引合に出たら堪らないと思つてゐたのです。私は其友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、たゞ其二種ぎりだと答へました。

 私が今居る家へ引越したのはそれから間もなくでした。奥さんも御孃さんも前の所にゐるのを厭がりますし、私も其夜の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だつたので、相談の上移る事に極めたのです。

 移つて二ヶ月程してから私は無事に大學を卒業しました。卒業して半年も經たないうちに、私はとう/\御孃さんと結婚しました。外側から見れば、萬事が豫期通りに運んだのですから、目出度と云はなければなりません。奥さんも御孃さんも如何にも幸福らしく見えました。私も幸福だつたのです。けれども私の幸福には暗い影が隨いてゐました。私は此幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなからうかと思ひました。

 結婚した時御孃さんが、――もう御孃さんではありませんから、妻と云ひます。――妻が、何を思ひ出したのか、二人でKの墓參をしやうと云ひ出しました。私は意味もなく唯ぎよつとしました。何うしてそんな事を急に思ひ立つたのかと聞きました。妻は二人揃つて御參りをしたら、Kが嘸喜こぶだらうと云ふのです。私は何事も知らない妻の顏をしけじけ眺めてゐましたが、妻から何故そんな顏をするのかと問はれて始めて氣が付きました。

 私は妻の望通り二人連れ立つて雜司ヶ谷へ行きました。私は新らしいKの墓へ水をかけて洗つて遣りました。妻は其前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私と一所になつた顛末を述べてKに喜こんで貰ふ積でしたらう。私は腹の中で、たゞ自分が惡かつたと繰り返す丈でした。

 其時妻はKの墓を撫でゝ見て立派だと評してゐました。其墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行つて見立たりした因縁があるので、妻はとくに左右云ひたかつたのでせう。私は其新らしい墓と、新らしい私の妻と、それから地面の下に埋められたKの新らしい白骨とを思ひ比べて、運命の冷罵を感ぜずにはゐられなかつたのです。私は其れ以後決して妻と一所にKの墓參りをしない事にしました。

五十二  「私の亡友に對する斯うした感じは何時迄も續きました。實は私も初からそれを恐れてゐたのです。年來の希望であつた結婚すら、不安のうちに式を擧げたと云へば云へない事もないでせう。然し自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによると或は是が私の心持を一轉して新らしい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思つたのです。所が愈夫として朝夕妻と顏を合せて見ると、私の果敢ない希望は手嚴しい現實のために脆くも破壞されてしまひました。私は妻と顏を合せてゐるうちに、卒然Kに脅かされるのです。つまり妻が中間に立つて、Kと私を何處迄も結び付けて離さないやうにするのです。妻の何處にも不足を感じない私は、たゞ此一點に於て彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐ夫が映ります。映るけれども、理由は解らないのです。私は時々妻から何故そんなに考へてゐるのだとか、何か氣に入らない事があるのだらうとかいふ詰問を受けました。笑つて濟ませる時はそれで差支ないのですが、時によると、妻の癇も高じて來ます。しまひには『あなたは私を嫌つてゐらつしやるんでせう』とか、『何でも私に隱してゐらつしやる事があるに違ない』とかいふ怨言も聞かなくてはなりません。私は其度に苦しみました。

 私は一層思ひ切つて、有の儘を妻に打ち明けやうとした事もあります。然しいざといふ間際になると自分以外のある力が不意に來て私を抑え付けるのです。私を理解してくれる貴方の事だから、説明する必要もあるまいと思ひますが、話すべき筋だから話して置きます。其時分の私は妻に對して己を飾る氣は丸でなかつたのです。もし私が亡友に對すると同じやうな善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を竝べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違ないのです。それを敢てしない私に利害の打算がある筈はありません。私はたゞ妻の記憶に暗黒な一點を印するに忍びなかつたから打ち明けなかつたのです。純白なものに一雫の印氣でも容赦なく振り掛けるのは、私にとつて大變な苦痛だつたのだと解釋して下さい。

 一年經つてもKを忘れる事の出來なかつた私の心は常に不安でした。私は此不安を驅逐するために書物に溺れやうと力めました。私は猛烈な勢をもつて勉強し始めたのです。さうして其結果を世の中に公けにする日の來るのを待ちました。けれども無理に目的を拵えて、無理に其目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。私は何うしても書物のなかに心を埋めてゐられなくなりました。私は又腕組をして世の中を眺めだしたのです。

 妻はそれを今日に困らないから心に弛みが出るのだと觀察してゐたやうでした。妻の家にも親子二人位は坐つてゐて何うか斯うか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支のない境遇にゐたのですから、さう思はれるのも尤もです。私も幾分かスポイルされた氣味がありませう。然し私の動かなくなつた原因の主なものは、全く其所にはなかつたのです。叔父に欺むかれた當時の私は、他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を惡く取る丈あつて、自分はまだ確な氣がしてゐました。世間は何うあらうとも此己は立派な人間だといふ信念が何處かにあつたのです。それがKのために美事に破壞されてしまつて、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふら/\しました。他に愛想を盡かした私は、自分にも愛想を盡かして動けなくなつたのです。

五十三  「書物の中に自分を生理にする事の出來なかつた私は、酒に魂を浸して、己れを忘れやうと試みた時期もあります。私は酒が好きだとは云ひません。けれども飮めば飮める質でしたから、ただ量を頼みに心を盛り潰さうと力めたのです。此淺薄な方便はしばらくするうちに私を猶厭世的にしました。私は爛醉の眞最中に不圖自分の位置に氣が付くのです。自分はわざと斯んな眞似をして己れを僞つてゐる愚物だといふ事に氣が付くのです。すると身振ひと共に眼も心も醒めてしまひます。時にはいくら飮んでも斯うした假裝状態にさへ入り込めないで無暗に沈んで行く場合も出て來ます。其上技巧で愉快を買つた後には、屹度沈鬱な反動があるのです。私は自分の最も愛してゐる妻と其母親に、何時でも其所を見せなければならなかつたのです。しかも彼等は彼等に自然な立場から私を解釋して掛ります。

 妻の母は時々氣拙い事を妻に云ふやうでした。それを妻は私に隱してゐました。然し自分は自分で、單獨に私を責めなければ氣が濟まなかつたらしいのです。責めると云つても、決して強い言葉ではありません。妻から何か云はれた爲に、私が激した例は殆んどなかつた位ですから。妻は度々何處が氣に入らないのか遠慮なく云つて呉れと頼みました。それから私の未來のために酒を止めろと忠告しました。ある時は泣いて『貴方は此頃人間が違つた』と云ひました。それ丈なら未可いのですけれども、『Kさんが生きてゐたら、貴方もそんなにはならなかつたでせう』と云ふのです。私は左右かも知れないと答へた事がありましたが、私の答へた意味と、妻の了解した意味とは全く違つてゐたのですから、私は心のうちで悲しかつたのです。それでも私は妻に何事も説明する氣にはなれませんでした。

 私は時々妻に詫まりました。それは多く酒に醉つて遲く歸つた翌日の朝でした。妻は笑ひました。或は默つてゐました。たまにぽろ/\と涙を落す事もありました。私は何方にしても自分が不愉快で堪らなかつたのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのと詰り同じ事になるのです。私はしまひに酒を止めました。妻の忠告で止めたといふより、自分で厭になつたから止めたと云つた方が適當でせう。

 酒は止めたけれども、何もする氣にはなりません。仕方がないから書物を讀みます。然し讀めば讀んだなりで、打ち遣つて置きます。私は妻から何の爲に勉強するのかといふ質問を度々受けました。私はたゞ苦笑してゐました。然し腹の底では、世の中で自分が最も信愛してゐるたつた一人の人間すら、自分を理解してゐないのかと思ふと、悲しかつたのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇氣が出せないのだと思ふと益悲しかつたのです。私は寂寞でした。何處からも切り離されて世の中にたつた一人住んでゐるやうな氣のした事も能くありました。

 同時に私はKの死因を繰り返し/\考へたのです。其當座は頭がたゞ戀の一字で支配されてゐた所爲でもありませうが、私の觀察は寧ろ簡單でしかも直線的でした。Kは正しく失戀のために死んだものとすぐ極めてしまつたのです。しかし段々落ち付いた氣分で、同じ現象に向つて見ると、さう容易くは解決が着かないやうに思はれて來ました。現實と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私は仕舞にKが私のやうにたつた一人で淋しくつて仕方がなくなつた結果、急に所決したのではなからうかと疑がひ出しました。さうして又慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じやうに辿つてゐるのだといふ豫覺が、折々風のやうに私の胸を横過り始めたからです。

五十四  「其内妻の母が病氣になりました。醫者に見せると到底癒らないといふ診斷でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。是は病人自身の爲でもありますし、又愛する妻の爲でもありましたが、もつと大きな意味からいふと、ついに人間の爲でした。私はそれ迄にも何かしたくつて堪らなかつたのだけれども、何もする事が出來ないので已を得ず懷手をしてゐたに違ありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたといふ自覺を得たのは此時でした。私は罪滅しとでも名づけなければならない、一種の氣分に支配されてゐたのです。

 母は死にました。私と妻はたつた二人ぎりになりました。妻は私に向つて、是から世の中で頼りにするものは一人しかなくなつたと云ひました。自分自身さへ頼りにする事の出來ない私は、妻の顏を見て思はず涙ぐみました。さうして妻を不幸な女だと思ひました。又不幸な女だと口へ出しても云ひました。妻は何故だと聞きます。妻には私の意味が解らないのです。私もそれを説明してやる事が出來ないのです。妻は泣きました。私が不斷からひねくれた考で彼女を觀察してゐるために、そんな事を云ふやうになるのだと恨みました。

 母の亡くなつた後、私は出來る丈妻を親切に取り扱かつて遣りました。たゞ當人を愛してゐたから許ではありません。私の親切には箇人を離れてもつと廣い背景があつたやうです。丁度妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は滿足らしく見えました。けれども其滿足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄な點が何處かに含まれてゐるやうでした。然し妻が私を理解し得たにした所で、此物足りなさは増すとも減る氣遣はなかつたのです。女には大きな人道の立場から來る愛情よりも、多少義理をはづれても自分丈に集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いやうに思はれますから。

 妻はある時、男の心と女の心とは何うしてもぴたりと一つになれないものだらうかと云ひました。私はたゞ若い時ならなれるだらうと曖昧な返事をして置きました。妻は自分の過去を振り返つて眺めてゐるやうでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。

 私の胸には其時分から時々恐ろしい影が閃めきました。初めはそれが偶然外から襲つて來るのです。私は驚ろきました。私はぞつとしました。然ししばらくしてゐる中に、私の心が其物凄い閃めきに應ずるやうになりました。しまひには外から來ないでも、自分の胸の底に生れた時から潛んでゐるものゝ如くに思はれ出して來たのです。私はさうした心持になるたびに、自分の頭が何うかしたのではなからうかと疑つて見ました。けれども私は醫者にも誰にも診て貰ふ氣にはなりませんでした。

 私はたゞ人間の罪といふものを深く感じたのです。其感じが私をKの墓へ毎月行かせます。其感じが私に妻の母の看護をさせます。さうして其感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。私は其感じのために、知らない路傍の人から鞭たれたいと迄思つた事もあります。斯うした階段を段々經過して行くうちに、人に鞭たれるよりも、自分で自分を鞭つ可きだといふ氣になります。自分で自分を鞭つよりも、自分で自分を殺すべきだといふ考が起ります。私は仕方がないから、死んだ氣で生きて行かうと決心しました。

 私がさう決心してから今日迄何年になるでせう。私と妻とは元の通り仲好く暮して來ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。然し私の有つてゐる一點、私に取つては容易ならん此一點が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思ふと、私は妻に對して非常に氣の毒な氣がします。

五十五  「死んだ積で生きて行かうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。然し私が何の方面かへ切つて出やうと思ひ立つや否や、恐ろしい力が何處からか出て來て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないやうにするのです。さうして其力が私に御前は何をする資格もない男だと抑え付けるやうに云つて聞かせます。すると私は其一言で直ぐたりと萎れて仕舞ひます。しばらくして又立ち上がらうとすると、又締め付けられます。私は齒を食ひしばつて、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷かな聲で笑ひます。自分で能く知つてゐる癖にと云ひます。私は又ぐたりとなります。

 波瀾も曲折もない單調な生活を續けて來た私の内面には、常に斯うした苦しい戰爭があつたものと思つて下さい。妻が見て齒痒がる前に、私自身が何層倍齒痒い思ひを重ねて來たか知れない位です。私がこの牢屋の中に凝としてゐる事が何うしても出來なくなつた時、又その牢屋を何うしても突き破る事が出來なくなつた時、必竟私にとつて一番樂な努力で遂行出來るものは自殺より外にないと私は感ずるやうになつたのです。貴方は何故と云つて眼を みはるかも知れませんが、何時も私の心を握り締めに來るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食ひ留めながら、死の道丈を自由に私のために開けて置くのです。動かずにゐれば兎も角も、少しでも動く以上は、其道を歩いて進まなければ私には進みやうがなくなつたのです。

 私は今日に至る迄既に二三度運命の導いて行く最も樂な方向へ進まうとした事があります。然し私は何時でも妻に心を惹かされました。さうして其妻を一所に連れて行く勇氣は無論ないのです。妻に凡てを打ち明ける事の出來ない位な私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天壽を奪ふなどゝいふ手荒な所作は、考へてさへ恐ろしかつたのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります。二人を一束にして火に燻べるのは、無理といふ點から見ても、痛ましい極端としか私には思へませんでした。

 同時に私だけが居なくなつた後の妻を想像して見ると如何にも不憫でした。母の死んだ時、是から世の中で頼りにするものは私より外になくなつたと云つた彼女の述懷を、私は腸に沁み込むやうに記憶させられてゐたのです。私はいつも躊躇しました。妻の顏を見て、止して可かつたと思ふ事もありました。さうして又凝と竝んで仕舞ひます。さうして妻から時時物足りなさうな眼で眺めらるのです。

 記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです。始めて貴方に鎌倉で會つた時も、貴方と一所に郊外を散歩した時も、私の氣分に大した變りはなかつたのです。私の後には何時でも黒い影が括ツ付いてゐました。私は妻のために、命を引きずつて世の中を歩いてゐたやうなものです。貴方が卒業して國へ歸る時も同じ事でした。九月になつたらまた貴方に會はうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く會ふ氣でゐたのです。秋が去つて、冬が來て、其冬が盡きても、屹度會ふ積でゐたのです。

 すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな氣がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き殘つてゐるのは必竟時勢遲れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にさう云ひました。妻は笑つて取り合ひませんでしたが、何を思つたものか、突然私に、では殉死でもしたら可からうと調戲ひました。

五十六  「私は殉死といふ言葉を殆んど忘れてゐました。平生使ふ必要のない字だから、記憶の底に沈んだ儘、腐れかけてゐたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思ひ出した時、私は妻に向つてもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積だと答へました。私の答も無論笑談に過ぎなかつたのですが、私は其時何だか古い不要な言葉に新らしい意義を盛り得たやうな心持がしたのです。

 それから約一ケ月程經ちました。御大葬の夜私は何時もの通り書齋に坐つて、相圖の號砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去つた報知の如く聞こえました。後で考へると、それが乃木大將の永久に去つた報知にもなつてゐたのです。私は號外を手にして、思はず妻に殉死だ殉死だと云ひました。

 私は新聞で乃木大將の死ぬ前に書き殘して行つたものを讀みました。西南戰爭の時敵に旗を奪られて以來、申し譯のために死なう/\と思つて、つい今日迄生きてゐたといふ意味の句を見た時、私は思はず指を折つて、乃木さんが死ぬ覺悟をしながら生きながらへて來た年月を勘定して見ました。西南戰爭は明治十年ですから、明治四十五年迄には三十五年の距離があります。乃木さんは此三十五年の間死なう/\と思つて、死ぬ機會を待つてゐたらしいのです。私はさういふ人に取つて、生きてゐた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方が苦しいだらうと考へました。

 それから二三日して、私はとう/\自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに、貴方にも私の自殺する譯が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右だとすると、それは時勢の推移から來る人間の相違だから仕方がありません。或は箇人の有つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れません。私は私の出來る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今迄の敍述で己れを盡した積です。

 私は妻を殘して行きます。私がゐなくなつても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に殘酷な驚愕を與へる事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬ積です。妻の知らない間に、こつそり此世から居なくなるやうにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思はれたいのです。氣が狂つたと思はれても滿足なのです。

 私が死なうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分は貴方に此長い自敍傳の一節を書き殘すために使用されたものと思つて下さい。始めは貴方に會つて話をする氣でゐたのですが、書いて見ると、却つて其方が自分を判然描き出す事が出來たやうな心持がして嬉しいのです。私は醉興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の經驗の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを僞りなく書き殘して置く私の努力は、人間を知る上に於て、貴方にとつても、外の人にとつても、徒勞ではなからうと思ひます。 [8]渡邊華山は邯鄲といふ畫を描くために、死期を一週間繰り延べたといふ話をつい先達て聞きました。他から見たら餘計な事のやうにも解釋できませうが、當人にはまた當人相應の要求が心の中にあるのだから已むを得ないとも云はれるでせう。私の努力も單に貴方に對する約束を果すためばかりではありません。半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。

 然し私は今其要求を果しました。もう何にもする事はありません。此手紙が貴方の手に落ちる頃には、私はもう此世にはゐないでせう。とくに死んでゐるでせう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷の叔母の所へ行きました。叔母が病氣で手が足りないといふから私が勸めて遣つたのです。私は妻の留守の間に、この長いものゝ大部分を書きました。時々妻が歸つて來ると、私はすぐそれを隱しました。

 私は私の過去を善惡ともに他の參考に供する積です。然し妻だけはたつた一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に對してもつ記憶を、成るべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きてゐる以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡てを腹の中に仕舞つて置いて下さい」。